初めてのライブ
スマホのアラームの音が部屋に響く
あと5分だけと思いながらアラームを止めようとするが、今日の予定を思い出し重い腰を上げて布団から出る
「おはよう、お母さん」
「おはよう花恋、お母さんもう行くから、朝ごはんは適当に食べてね」
「うん」
キョロキョロとリビングを見渡すが、求めていた姿は見当たらない
「あの子ならもう家出たわよ、あんた達大丈夫なの?花恋がアイドル辞めてからずっとこんな感じだけど…」
「全然大丈夫!今度、話す時間作るし。お母さんは気にしないで仕事頑張って」
「そう?じゃあお母さん仕事行くからね」
「いってらっしゃい」
家のドアはバタンと音を立てて閉まる
思わずため息をつく
「…ご飯食べよ」
朝から、胸の奥がざわざわしていた。
ライブの日特有の緊張、というより、今日は他のバンドもいるんだと体が分かっている感じ。
取り出した手鏡に映る自分は、いつも通りのはずなのに、どこか音が出る前の楽器みたいに落ち着かなかった。
「この公園で待ち合わせ…のはずなんだけどな」
キョロキョロと周りを見回すと咲夜くんの姿をみつけて駆け寄る
「おはよう、咲夜くん」
「おはようございます」
気まずい、知り合ったばかりだから特に話せることがない…
「咲夜くん、昨日のLINEみた?」
「バンド名未定で、バンドリーダー(仮)で出ることになったやつですよね」
「そうそう」
時を遡ること昨日
瑠璃さんが前のバンドで申し込みをしていた、対バンイベントをキャンセルすることが難しいため、このメンバーで出ることになったのだが、締切を完全に忘れていた瑠璃さんは”バンド名未定”という名前のバンドで、バンドリーダー(仮)として奏さんで申し込んだのであった
「まぁ同意の上ですけど、僕もバンドメンバー(仮)にされて、計画性なさすぎですよあの人」
「あはは…」
咲夜くんはだんだん瑠璃さんに対しての当たりが強くなってきた気が…
「おはよー」
「はよー」
次に来たのは瑠璃さんと奏さんだった
「バンドマンって大抵遅刻してくるものだと思ってました」
「咲夜のバンドマンに対するイメージってどうなってんだよ」
「四季くんは一緒じゃないんだ?」
辺りを見回すがまだ姿はみえない
「あー四季はね…」
「アイツはいつも遅刻してくるから、早い時間を集合時間として教えてる。もうすぐ本来の集合時間だから、来るはず」
「おはよーごめんまた遅刻した?」
ベースケースを背負った四季が駆け寄ってくる
「いや平気、ライブハウスいくぞ」
ここが今日ライブする場所…
懐かしいな、まだ地下アイドルだった頃こんな感じのライブハウスに出たりしてたな
「おはようございます。バンド名未定です。今日はよろしくお願いします。」
バンドリーダー(仮)の奏さんが挨拶をする。それに合わせて、私たちもよろしくお願いしますと声を揃える
挨拶は基本中の基本。スタッフさんや対バンの方々に元気に挨拶をする。これはアイドルをしていた時と変わらない。
ライブハウスの控え室
少しでも心を落ち着かせるためにアイドル時代のルーティンをする
「花恋音程バッチリじゃん」
四季くんは目をパチクリさせていた
「えなになに!?今の何!?」
瑠璃さんは花恋の顔を覗き込む
「リップロールだよ。ボイトレの基礎技術で、緊張を解したり、声域の安定化や喉の保湿効果が期待できるの。今はもう歌わないけど、アイドル時代のルーティンだったの。」
「てゆうかそれよりもさ、今日の対バン本当に良かったの?本当は瑠璃さんの前のバンドの枠だったじゃん。」
「ほんとそうだよね。いやチケット売る前で良かったけどさ」
もう悪態をつけるくらいには過去のことにできたらしい
「そうだみんなはどうやってチケットノルマ達成したわけ?10枚あったよね?」
「友達に売ったなあ」
「四季は…」
瑠璃に向かって誤魔化すようにニコリと四季は笑う
四季くんの女遊び関連の人達そのうちライブに殴り込みにきそう…
「てゆうか瑠璃さんこそチケット売れるような友達いるんですか?」
咲夜は鼻で笑う
瑠璃と咲夜は控え室でギャーギャーと騒ぎ出す
言えない…私友達ほとんどいなくて、ほぼアイドル時代の稼ぎで自腹したとか言えない…!
ほんとは見に来て欲しい子もいたけど、今の私にそんな勇気はなかった
その時、控え室の扉がノックされる。
はい、と扉を開けたのは咲夜くんだった。
「どうもー。pumpsのギターボーカル、雨音でーす。今日はよろしくお願いしまーす。」
雨音と名乗る女性は手を振りながら、ゆるくニコニコと笑っていた
そして雨音さんの目が四季くんに向いた。
「久しぶり」
軽い一言。
でも空気が一瞬、引っかかった。
四季くんは表情を変えずに、
「ああ」とだけ返す。
この二人、知り合いなんだ。
四季くん、やっぱりこういう知り合い多いな
理由は、聞かなくても分かっていた
「瑠璃ちゃんも久しぶりー!バンド解散しちゃったって聞いた時びっくりしたよー」
元々瑠璃さんの前のバンドとpumpsの対バンイベントだから知り合いなんだ
その後ろから、
淡々とした足取りで入ってきた人がいた。
「こんにちは、同じくpumpsのキーボード担当の飛鳥井未来です」
静かな声。肩につかないくらいのボブ。
白いキーボードケースを肩にかけた人だった。
目が合った瞬間、なぜか息が止まった。
「…キーボード入ってるんですね」
ニコリと私に笑いかけた
「あ、はい。久石花恋といいます。今日はよろしくお願いします。」
ぺこりと頭を下げる
「楽しみにしてます」
その声には、競うとか比べるとか、そういう色がなかった。
「俺は将来スーパーアーティストになる予定のpumpsのドラマー、緒方新!」
突然、空気を割るように声がした。
金髪気味の髪をかき上げながら、
ニヤニヤ笑っている男。
「今日はちゃんと叩いていくからさ、変なバンド名、覚えて帰るわ」
「ただの仮の名前なので、覚えていかなくて大丈夫です…。」
瑠璃さんが申し訳なさそうに言う
新はさらに楽しそうに笑った。
「いやいや、冗談冗談。対バンなんだから、仲良くしようぜ?」
この人、茶化して笑っているが目の奥が笑っていない
…怖いな
そう思った瞬間
「うちの新がすみません…」
と、後ろから低めの声。
新の襟元を軽く引っ張ったのは、中性的な顔立ちをした男の人だった。
「ごめんなさい、うちのドラムがうるさくて」
困ったように笑いながらも、手慣れた動き。
この人いつもこうしてるんだろうな…
「いえ、こちらこそうちの四季が迷惑かけてたらすみません」
奏さんはペコペコと頭を下げる
「奏さん、最早四季さんの親だな…」
奏さんはバンドメンバーの兄や親のような立場になりつつある。最近入ったばかりの咲夜くんも察したようだ
「pumpsのベース、鏑木百歳です。」
バンド名未定の私たちもpumpsに一通り挨拶をした。
四季くんと雨音さん距離近い…
胸の辺りがモヤッとする
嫉妬なんてできる立場じゃないのに
そんな私の様子を察したのか雨音さんが声をかけてくる
「すっごい可愛いこの子、四季って今はこういう子が好みなの?」
全身めちゃくちゃ見られている
「えーと、あの」
「花恋とはそういうのじゃないから」
四季くんからすぐに否定が入る
「ふーん?四季がすぐ否定するなんてね、いつも流すじゃん。あたし、それだけじゃない気がするんだけどなー」
雨音さんってめちゃくちゃ鋭い…
「改めて、あたし赤城雨音。四季とは遊び友達みたいな?よろしく」
雨音さんは手を差し出してくる
「久石花恋です。よろしくお願いします。」
雨音さんの手は雨上がりの窓のように手汗で湿っていた
もうすぐで私達の出番だ。
「円陣とかしとく?」
四季くんは冗談を言っているみたいに笑った
「おーそれいいな、するか!」
奏さんがそういうと、暑苦しいのが嫌いな咲夜くんは嫌そうな顔をした
「どういう掛け声にする?とりあえず、バンド名未定、ファイオー!とか?」
「部活でよくやるやつですね」
「じゃあ奏さん、バンドリーダー(仮)として、お願いします」
私がそういって、手を差し出すとみんなの手が重なる
「よし!バンド名未定!」
「ファイオー!」
ステージに立つと、照明が思ったより眩しかった。
客席は暗くて、誰の顔もはっきり見えない。
それなのに、視線だけが重たく降ってくる。
キーボードの前に座る。
鍵盤に指を置いた瞬間、手が少し冷たいことに気づいた。
「大丈夫?」
小さく、瑠璃さんの声。
私は頷いて、息を吸う。
カウントが始まる。
四季くんのベースが、低く鳴った。
咲夜くんと瑠璃さんのギターが、それに重なる。
テンポは合ってる。
少し走った最初も奏さんが少しづつ修正してくれてる。
音程も、問題ない。
ちゃんと、できてる。
そう思ったのに。
曲が進むにつれて、胸の奥が妙に静かだった。
盛り上がるはずのサビで、音が前に出きらない。
何か足りない気がする
でも、何?
どの音が足りない?
迷った一瞬、私は結局、楽譜通りの和音を押さえた。
綺麗な音。
間違っていない音。
ギターが前に出ようとする。
ベースが少しうねる。
私が、支えなきゃ。
そう思うのに、指が動かない。
正解しか、出てこない。
間奏に入る。
本来なら、ここで空気が変わるはずだった。
なのに変わらない。
客席から手拍子が起きる。
ステージからお客さんの顔が見える。
アイドルをしていた時のお客さんは、こんな表情じゃなかった、波にならない。
あれ…?
焦りが、遅れてやってくる。
テンポは合ってる。
演奏は崩れてない。
それでも、何かが足りてない感覚だけが、はっきり残る。
最後の音が鳴り終わった。
一拍、間があってから拍手が起こる。
まばらではない。
でも、熱もない。
深く一礼をして、ステージを降りる。
足が床についた瞬間、ようやく息を吐いた。
「お疲れ様」
誰かが言った。
私は笑おうとして、うまく笑えなかった。
悪くは、なかった。
でも、私の胸の奥に、何も残っていなかった。
「次pumpsだって!ほら行こ!」
私を引っ張ってくれたのは瑠璃さんだった。
ステージ袖から見る景色は、いつもより少し遠く感じた。
照明が落ちて、
pumpsの名前が呼ばれる。
歓声が一段、上がる。
あ、違う。
空気が、切り替わった。
最初に鳴ったのは、ギターだった。
鋭いのに、雑味がない。
そこに重なる雨音さんの声は、
強くて、迷いがなかった。
「……すご」
誰かが小さく呟いたけど、それすらもう、どうでもよかった。
歌が上手いとか、
ギターが巧いとか、
そういう話じゃない。
ステージはあたしのものだって、主張するような音だった。
新さんの叩き方は、正直うるさい。
でも、不快じゃない。
「俺の音だぞ」って
主張してるくせに、
ちゃんと全体を押し上げている。
新さんとは今日が初対面なのに、人物像が伝わってきた。
百歳さんのベースは曲の輪郭がくっきりする。
上手い、縁の下の力持ちって感じでバンドを支えている。
何よりも、キーボード。
キーボードってこんな凄いんだ
未来さんのキーボードはバンド全体の音を聴いたり状況を考えて、曲をよくするにはどんな音を足せばいいかちゃんと考えてる
未来さんは、正解を弾いていない
でも、間違いもしていなかった
ギターが足りないところ。
ドラムが強すぎるところ。
歌が一番活きる隙間。
そこに、遊び心みたいに音を置いていく。
この人、楽しんでるんだ
「…あ」
思わず手を握りしめる
今、ギターパートを弾いた?
pumpsはギターフレーズが足りてない。だから、あえてギターパートを弾きにいったんだ
私のキーボードとは全然違う
そうか
私はずっと、「間違えない音」を弾いてきただけだった。
キーボードじゃない。
バンドの中で、息をしていないピアノ。
咲夜くんのギターを初めて聴いたとき、
胸の奥がざわついた理由が、今ならわかる。
あのとき感じた「足りなさ」は、気のせいなんかじゃなかった。
喉の奥がつっかえて、目の奥が熱くなる
曲が終わった瞬間、拍手と歓声が一気に押し寄せる。
ステージの上の未来さんは何事もなかったみたいに、キーボードから手を離した。
悔しい。
それだけが、胸に残った。
みんなの音をもっと活かせたのに
視界がどんどんぼやけて、こらえていた最初の一粒が零れると、あとはボロボロと止まらない。
わかってる、挑戦しなきゃいけなかったんだ。間違えなければ、怒られない。
音程を外さなければ、誰にも迷惑をかけない。
そうやって私は、ずっと安全な音を選んできた。
でも、それだけじゃ、誰の心にも触れない、刺さらない音になる。
演奏後、未来さんは何事もなかったみたいに水を飲んでいた
「え?花恋?」
隣にいた瑠璃さんが驚いていた
「っ…」
嗚咽と切れ切れの声が、喉の奥から吐き出されていく
「花恋、ほらハンカチ」
差し出されたハンカチを強く握り締める
「…俺も悔しい」
そう言って四季は光り輝くステージをみつめていた




