混乱
「…ダメだ…今度イベントなのに、全然フレーズ浮かんでこない」
辞書と歌詞ノートのページを何枚も捲る
スタジオの片隅。アンプの電源は落ちていて、静けさだけが残っている。
四季はベースを膝に乗せたまま、花恋をちらりと見た。
「珍しいじゃん」
「珍しくないよ、最近ずっとこんな感じで…」
「それっぽい言葉は出るんだけどさ」
四季は立ち上がって、花恋の近くに椅子を寄せ座る。花恋の歌詞ノートをペラペラと捲る
「甘酸っぱい両思いの曲にしようと思ってるんだけど、如何せん私が恋愛経験なさすぎて」
「嘘っぽいっていうか……触れてない」
四季は少し考えてから、立ち上がった。
「触れてない?」
「うん」
「感情に、ちゃんと触れてない感じ」
「だよね〜…」
自分で言っておきながら、胸が少し痛む。
「じゃあさ」
軽い声だった
「触れればいいんじゃない?」
「え?」
花恋が顔を上げた瞬間、距離が近いことに気づく。
顎に冷たい指先が触れる
逃げる時間がなかった
迷いのない、手馴れた動きだった
考える暇もなく唇が重なる
痛くて甘いファーストキスだった
「……っ」
四季はすぐに離れて、何事もなかったみたいに言う。
「どう?」
「どうって……」
「今、何感じた?」
花恋は言葉を失ったまま、胸に手を当てる。
心臓が、やけにうるさい。
「……混乱」
「…ていうか私、初めてだったのに…」
「えっ!?嘘、ごめん忘れていいよ」
「忘れられるか!」
「ごめん、冗談」
四季の無神経な言葉に怒りが隠せない
「てか、ごめんって言わない約束!」
「あ、ごめん」
「…許しちゃうから…」
あーもー!恥ずかしすぎる!さらに顔に熱が籠る
頬に手を当てると熱い体温が手のひらに伝わる
本人はけらけらと笑いながら私をからかっている
この人、絶対私がファーストキスだってわかっててしたな…!
四季はもうベースに戻っている。
「今のやつ」
「そのまま書けばいいじゃん」
軽く言う。まるで、実験みたいに
こっちの気も知らずに
花恋はノートを見下ろした
ペンを握る指が、少し震えている
「……ずるい」
小さく呟くと、四季は振り返って笑った。
「曲のためだろ?」
「恋愛ごっこ、なんだから」
その言葉に、胸の奥がちくりとする。
でも
花恋はペンを走らせ始めた。
さっきまで出なかった言葉が、嘘みたいに溢れてくる。
これではテーマまで変わってしまう
初めてのキスは、痛くて甘くて嘘の味がした
君はいたずらで、余裕だった
僕の場所だけ雪が積もっていくみたい
「書けた」
「ほらね」
「今度の対バンイベントで使えるかな」
「なんとか曲間に合わせるわ」
花恋は顔を上げずに言う。
「ねえ、四季くん」
「なに」
「今のキス、次も必要?」
一瞬だけ、間があった。
「……必要なら」
ニコッと笑って言った
その答えが、やけに軽くて、それがまた花恋の胸を締め付けた
花恋は、その胸の痛みを誤魔化すように、またペンを走らせた。




