契約
スタジオの蛍光灯は、いつもより少し白かった。奏は今日は18時まで仕事で、私と四季で二人でスタジオ練習だ。
四季がベースをケースに戻しながら言う。
「で、俺たちの世間に出す初めての曲なんだけどさ。もっと近い距離の言葉がほしい」
花恋はキーボードの前に座ったまま、鍵盤に触れず、歌詞ノートを手に持っている。
代わりに、四季の横顔を見る。
「近いって、どのくらい?」
「……恋人、くらい」
一瞬の沈黙。
四季の声は軽い。でも視線は逃げなかった。
ああ、この人は本気で言っている。
音楽のためなら、何でも使う気なんだ。
あの時、食らいつくって、こっちも利用されるだけされて、利用してやるって決めたから。
花恋は笑った。
昔、アイドルのときに身につけた、あの角度の笑顔で。
「じゃあさ」
椅子から立ち上がり、四季の前に一歩近づく。
「恋愛ごっこは?」
「…は?」
「曲のためでしょ?付き合ってるふり。手も繋ぐし、キスもする。ちゃんと、素材になるくらいには」
四季の目が、一瞬だけ揺れた。
計算外だったのだろう。
利用する側が先に条件を出されることに。
「いいの?」
「いいよ。どうせ使われるなら、ちゃんと使われたい」
花恋はそう言って、四季の指先を取った。
あたたかい。
その事実が、胸の奥を少しだけ痛くする。
好きなんだよ、こういうとこも
優しくないところ。
人を道具みたいに見るところ。
それでも音楽だけは嘘をつかないところ。
四季はゆっくり息を吐いて、笑った。
「……やっぱ君、めちゃくちゃだね」
「今さら?」
スタジオのホワイトボードには、
本来ならバンドメンバー候補が書かれるはずだった。
でも今は、四季がマーカーを持って立っている。
「一応、決めとこう」
「何を?」
花恋はキーボードの椅子に座ったまま、足を組む。
「その……ごっこ、のルール」
四季は少し言いにくそうにしながらも、
線を一本引いた。
「まず、これは曲の制作のため」
「うん」
「バンド外に漏らさない。これから作るであろうSNSも、匂わせもなし」
「元アイドル相手に、それ言う?一応そこら辺の管理はしっかりしてるんだけど」
花恋は頬を膨らませ、むっとする。
「じゃあ、逆に言う」
二本目の線。
「ライブが終わったら、解散」
「期間限定ってこと?」
「曲が完成するまで」
花恋は少し考えてから、首を振った。
「だめ」
「え?」
「完成したら終わり、でしょ。うまくいったら続くはなし」
四季は眉をひそめる。
「それ、俺に不利じゃない?」
「知ってる」
花恋は淡々と言う。
「でも、曖昧にしたらどっちかが勘違いするよ」
四季は無言で、三本目の線を引いた。
四季くんは多分勘違いなんてしない、するなら私の方だ。今の言葉は私への言葉だ
「……感情の責任は取らない」
「うん」
「泣いても、怒っても、それは各自処理」
「冷たいね」
「今さら」
その言葉に、花恋は小さく笑った。
「じゃあ、私からもいい?」
「どうぞ」
花恋は立ち上がり、マーカーを受け取る。
四本目の線。
「歌詞の内容に、口出ししない」
「それは……」
「私が何を書いても、使うか使わないかだけ決めて」
四季は少し間を置いて、頷いた。
「わかった」
五本目。
「傷つくようなことをしたら、ごめんは禁止」
「……は?」
「謝られたら、私、許しちゃうから」
四季は言葉を失った。
「それって」
「最後まで、クズでいてほしいってこと」
花恋は真っ直ぐに四季を見る。
「中途半端に優しくされる方が、作品にならない」
沈黙。
スタジオの空調の音だけが響く。
四季はゆっくりと息を吐いて、最後の線を引いた。
「……恋愛感情が本物になっても、認めないこと」
花恋は、一瞬だけ目を伏せた。
「それ、誰のためのルール?」
「……俺」
嘘だ。私のためのルールだ。私が勘違いするから
「そっか」
四季はマーカーを置く。
「じゃあ成立だね」
「何が」
「この恋愛ごっこ」
四季はボードを見る。
並んだルールは、どれも逃げ道を潰す言葉ばかりだった。
「後悔しない?」
花恋は少し考えてから、答える。
「後悔すると思う」
「……」
「でもね」
歌詞ノートに指を置きながら、続ける。
「後悔しない恋しかできないなら、私はもう何も書けない」
四季は何も言えなくなった。
「って、ちょっと待って四季くんそのペン油性じゃん!」
「は!?ちょっと待てこれどうすれば」
「私除光液買ってくる!」
白いボードには、
逃げ道のない線だけが残った。




