元アイドル、バンドを始める
付き合ってはいけない3B、美容師、バーテンダー、そしてバンドマン。
バンドマンの中でも特に恋をしてはいけないと言われているのはベーシストだ。私はそんなバンドマン、ベーシストの最悪の2つが揃った、ベーシストに恋をした。
雨が降りそうな夜だった。
雨が降る前の湿った匂い。この匂いが好きだ。
花恋は、どこへ行くつもりもなく歩いていた。
スマホは電源を切ったまま、バッグの奥に沈めている。
晒し系YouTuberにでっち上げの熱愛を晒された私は今頃、ネットで大炎上。
ネクストブレイクアイドル。
熱愛報道。
脱退。
言葉にすると、たったそれだけなのに、
世界から押し出されるには十分すぎた。
「ごめんなさい」と何度も言った。
誰かもわからない人達に頭を下げ続けた。
(私のせいで、グループに、迷惑かけちゃったな…)
妹の顔が思い浮かぶ、私、嫌われただろうな…あの子、逃げることを極度に嫌ってるし…
(……疲れた)
ただ、アイドルじゃない、音楽がない人生を生きる想像は私にはできない。
「人生賭けてたのにな…」
交差点を渡りきれず、立ち止まる。
信号が赤に変わる。
そのときだった。
低く、でも不思議と澄んだ歌声が、
雑音だらけの街の隙間を縫って届いた。
花恋は顔を上げる。
駅前の小さな広場。
アンプひとつ、マイク一本。
ベースを抱えた美青年が、
目を閉じて歌っていた。
上手い…というより、誤魔化していない声だった。
感情を盛らない。
聴かせようともしない。
ただ、そこにある音。
花恋の足は、勝手にそちらへ向かっていた。
曲が終わる。
拍手はまばら。
通り過ぎる人の方が圧倒的に多い。
顔の整ったその青年は気にした様子もなく、
次の曲に入ろうとしていた。
「……待って」
自分の声に、花恋自身が驚いた。
青年が目を開ける。
「なに?」
ぶっきらぼうな声。
でも、邪魔された苛立ちはなかった。
花恋は、言葉を探す。
喉になにか詰まってるみたいだ。
でも、今言わなければ、きっとこのまま消えてしまう気がした。
「あなたの歌」
息を吸う。
「……私、好きだと思った」
目線が合わない
「それはどうも」
「全部、好きだと思った」
正直すぎる答えだった。
その瞬間、ずっと目が合わなかった彼と目が合う
怖い、怖いけど
それでも花恋は、視線を逸らさなかった。
「私、歌詞を書くんです」
「もう、それを歌う場所はないけど」
あの場所で青春を削って必死にやってきたことは無駄じゃなかったのか、証明したい。
青年は花恋をじっと見たあと、
ぽつりと言った。
「で?」
花恋は、胸の奥に溜まっていたものを、
一気に吐き出す。
「貴方に、私の作る歌詞を歌ってほしい!」
声が震えた。
四季は少しだけ目を見開き、
それから、笑った。
「……重いな」
「知ってます」
即答だった。
「でも、軽い人に歌われたくないから」
四季はベースを下ろし、
花恋の方へ一歩近づく。
「俺軽いってよく言われるけど」
「…そういう意味じゃないです」
「君さ」
「はい」
「今、どんな気分?」
花恋は正直に答えた。
「音楽ができる場所、探してます」
四季は一瞬黙って、それから、肩をすくめる。
「じゃあ、仮でいい」
「え?」
「一曲できるまで」
その言葉が、花恋の胸に、静かに落ちた。
仮でいい。
終わってもいい。
それでも、今は
「……お願いします」
花恋は頭を下げなかった。
代わりに、真っ直ぐ見た。
四季は少し困った顔をして、
アンプの電源を切る。
「名前は?」
「久石花恋です」
「俺は相馬四季」
それだけの自己紹介。
でも花恋は、その瞬間、思った。
ああ
また、音楽ができる
この声に、この人に、出会ってしまったから。
路上ライブのあと、二人は近くのファミレスに入った。
夜遅くて、客はまばらだった。
「で、歌詞ってどんなの」
四季はコーヒーを一口飲みながら、軽い調子で言う。
花恋は少し迷ってから、くたびれたノートをバッグから取り出した。
「まだ人に見せる前提で書いてないです」
「別にいい」
「ただ、書いただけなので、修正するとこはありますけど」
「いい」
即答だった。
花恋は、ノートを差し出す。
四季は受け取って、ページをめくった。
最初の数行を読んだところで、
四季の指が止まる。
声に出さず、黙って読み続ける。
ページをめくる音だけが、やけに大きい。
そこにあったのは、
上手く見せる言葉でも、
救いを用意した言葉でもなかった。
あの頃の私たち
今の私たち何が違うんだろう
友だちだよって笑ってた
それだけだったのに
写真の中では
私たちは
もう
罪を犯している
触れてない
約束もない
そこにいただけ
傷つけたのなら謝らなくちゃ
私は何を失ったのか
分からないまま
ただ泣いている
四季は、無意識に息を止めていた。
……ああ
これダメなやつだ
綺麗じゃない。
嘘がない。
人に向けてかかれてない分、致命的に本音だ。
「…これさ」
四季は顔をあげる
「あの相手?」
「なんだ、私のこと知ってたんですね」
花恋はふっと笑う
「そりゃね、俺、音楽ならなんでも聞くし、興味あったからついてきたんだし」
「…中学の時の友達だったんです」
「友だち」
「はい」
一拍置いて続ける。
「帰り道で偶然再会した時に撮られました」
淡々とした声だった。
何度も説明したのだろうか。
「…で?」
「その後?」
「ほんとに何もないんです。ただ私が一方的にむかし好きだったってだけで」
花恋は目を伏せる
その一言で四季の何かが決まった
使える
同時に、
いつか絶対に壊れる
俺が触れたら尚更
その両方がはっきりとわかった
四季はノートを閉じ、花恋に返さず、テーブルに置いたまま言った。
「これ、俺が曲つけてもいい?」
花恋は少し嫌そうに苦笑いする。
「いいですけど、でもちょっとこれを世間に出す勇気は無いですね…」
「じゃあ別の歌詞でいいよ。君の書く詞に曲つけてみたい」
「ほんとですか」
「でも三つ条件がある」
四季は指を三本立てる。
「感情を出し切って書くこと。綺麗にまとめない。逃げない」
花恋は、少しだけ笑った。
「それ、私が一番苦手なやつです」
「だろうね」
四季は肩をすくめる。
「だからやる」
一拍、間が空く。
「あともう一個」
「はい」
「歌詞は、君が全部決めていい」
花恋の表情が、わずかに揺れた。
「……利用、しません?」
冗談めかして言ったつもりだった。
でも、声は少し震えていた。
四季は否定しなかった。
「すると思うよ」
正直すぎる答えだった。
「でも、その代わり」
四季は花恋をまっすぐ見る。
「俺は、歌詞からは逃げない」
花恋は、しばらく黙っていた。
それから、小さく息を吸う。
「……じゃあ」
「うん」
「バンド、組みましょう」
四季は、少しだけ口角を上げた。
「よろしく。地獄みたいなやつになりそうだけど」
「知ってます」
花恋は頷く。
「でも、私にはちょうどいいです」
「タメでいいよ、同い年なんだし」
その夜、二人はまだ名前も決まっていないバンドを、確かに始めてしまった。
「で、何食べる?」
「私、シナモンフォカッチャが食べたい。あ、奢りで」
「初対面で図々しいな」
それが救いになるのか、破滅になるのかも分からないまま。




