第3話 王宮の隠れ美男
最高級のミッドナイトブルーの生地を素早く広げ、私は職人たちに指示を飛ばした。
「違うわ、もっとウエストのラインを絞って。彼の背中のラインは芸術なのよ。それを隠すようなダボついたカッティングは許しません」
王都の一等地にある老舗紳士服店「シルヴァーノ」。
そのフロアを完全に貸し切りにし、私は仁王立ちしていた。
目の前には、メジャーを手にした店主と、数人の針子たち。
そして、台の上に立たされ、居心地悪そうにしている私の新しい専属補佐、リアム様だ。
「あの、アデライード様……。仕事着ごときに、これほどの高級店を使う必要が?」
リアム様が困ったような声で言った。
彼はまだ、あの薄汚れた(と私には見える)官給品のブカブカな服を着ている。
「何を仰いますの。貴方は私の『顔』になると申し上げたでしょう?」
私は生地の見本帳をめくりながら、毅然と答える。
「それに、貴方のその服。サイズが合っていません。肩の位置が三センチずれています。袖丈も長すぎて、美しい指先が隠れてしまっているわ」
「……機能性は悪くないのですが」
「機能美こそが至高です。無駄な布は、貴方の動きを阻害するだけよ」
私は店主に目配せをした。
白髪の上品な店主は、深く頷いてリアム様に近づく。
「では、採寸をさせていただきます。失礼して、上着を脱いでいただけますかな?」
リアム様は少し躊躇ってから、ヨレヨレの上着を脱いだ。
さらに、シャツのボタンを外していく。
私は扇子で口元を隠し、瞬きもせずにその様子を見守った。
これはセクハラではない。
プロデューサーとしての、厳正な素材チェックだ。
シャツが脱がされ、彼の上半身が露わになる。
(────ッ!?)
私は息を呑んだ。
店内の空気が、一瞬止まったのが分かった。
細い。
服の上からは、そう見えていた。
文官らしい、ひょろりとした体型だと。
けれど、違った。
無駄な脂肪が一切ない、引き締まった身体。
腹筋は薄く割れ、胸板には適度な厚みがある。
騎士のようなゴツゴツした筋肉ではない。
しなやかで、均整の取れた、まるで豹のような筋肉。
「……素晴らしい」
店主が、職人の顔で呟いた。
私も心の中で全力同意する。
神よ、感謝します。この素材を生み出してくれて。
「……見ないでいただけますか」
リアム様が耳まで赤くして、視線を逸らす。
羞恥心。
それもまた、破壊力抜群のスパイスだ。
「仕事ですわ、我慢なさい」
私は冷徹な声を装ったが、内心ではガッツポーズをしていた。
この身体なら、どんな服でも着こなせる。
いや、服の方が彼に着られることを喜ぶだろう。
「採寸、完了しました!」
針子たちの声が上ずる。
彼女たちも、この極上の素材に興奮しているようだ。
分かるわ、その気持ち。
私はあらかじめ用意させておいた、仮縫いの衣装を指差した。
「コンセプトは『知性と冷徹』、そして隠し味に『色気』よ。過度な装飾はいらないわ。素材の良さで殴るの」
レースやフリルは邪魔だ。
彼の美しさは、引き算でこそ際立つ。
色は深い紺やチャコールグレー。
シャツは純白の最高級シルク。
ネクタイはあえて締めず、第一ボタンを開けるスタイルで抜け感を出すか、あるいは完璧に締めて禁欲さを演出するか……。
「両方作りましょう」
私は即決した。
迷ったら両方買う。
オタクの鉄則だ。
数時間後。
試着室のカーテンが、ゆっくりと開かれた。
「……どうでしょうか。やはり、私には分不相応な気がしますが」
中から出てきたリアム様を見て、私は持っていた扇子を取り落としそうになった。
そこには、もう「地味な文官」はいなかった。
深い夜色のスリーピーススーツ。
身体のラインに完璧に沿ったジャケットが、彼の長い脚と引き締まった腰を強調している。
白シャツの襟元はパリッとしていて、首筋の白さを際立たせている。
眼鏡はかけたままだ。
前髪もまだ長いままだ。
それなのに、溢れ出るオーラが段違いだった。
「……」
店主が、ほう、と溜息をつく。
針子の一人が、頬を染めて口元を押さえている。
私はゆっくりと彼に歩み寄った。
近づくほどに、仕立ての良さと、それを着こなす彼のポテンシャルの高さが分かる。
「分不相応ですって?」
私は彼を見上げた。
身長差。
見下ろされるこの角度もまた、たまらない。
「鏡をご覧なさい。これが、本当の貴方ですわ」
リアム様は恐る恐る、全身鏡を見た。
そして、自分自身の姿に少し驚いたように目を瞬かせた。
「……服が変わるだけで、こうも違うものですか」
「ええ。人は見た目が九割と言いますけれど、貴方の場合は元が一〇〇点満点なのですから、適切な額縁に入れれば一億点になるのは当然の計算です」
「計算がおかしい気がしますが……」
彼は苦笑して、ネクタイの位置を直した。
その仕草の、なんと優雅なことか。
指先の動き一つとっても、洗練されている。
まるで、最初からこうあるべきだったと言わんばかりに。
「それに、その眼鏡」
私は彼のかけている黒縁眼鏡を指差した。
野暮ったい、分厚い眼鏡。
「本当は外させたいところですけれど……今日は許して差し上げます」
一度に全てを変えてしまうと、心臓への負担が大きすぎる。
それに、徐々にヴェールを剥いでいく過程を楽しむのも、プロデュースの醍醐味だ。
「ありがとうございます。これがないと、落ち着かないので」
リアム様はホッとしたように眼鏡のブリッジを押し上げた。
その仕草さえ、今は知的なエリート官僚の演出に見える。
「支払いは公爵家につけておいて。それと、このデザインで色違いをあと五着。シャツは一〇枚。靴も合わせて用意してちょうだい」
「かしこまりました! 公爵令嬢様!」
店主が満面の笑みで答える。
リアム様が「そんなに!?」と目を見開くが、私は無視した。
初期投資は惜しまない。
回収は、彼の活躍(と私の眼福)で行えばいいのだから。
***
翌朝。
王宮の宰相府。
私は父(公爵)への届け物という名目で、王宮を訪れていた。
本当の目的は、リアム様の「デビュー」を見届けることだ。
廊下の角から、彼が現れる。
いつものように、大量の書類を抱えている。
けれど、今日は背中が丸まっていない。
仕立ての良いスーツが、彼の姿勢を自然と正させているのだ。
コツ、コツ、と革靴が規則正しい音を立てる。
歩き方ひとつで、こうも変わるのか。
すれ違う文官たちが、ギョッとして彼を二度見した。
「……おい、あれ、ベルンか?」
「なんか……雰囲気違くないか?」
「どこの高官かと思ったぞ……」
ひそひそ話が聞こえる。
まだ誰も、彼が「美青年」であることには気づいていない。
眼鏡の認識阻害と、長い前髪が効いている。
けれど、「ただのモブ」ではなくなった。
「何かある男」としての存在感が、滲み出始めている。
リアム様は周囲のざわめきに気づいているのかいないのか、涼しい顔で私の前まで歩いてきた。
そして、流れるような動作で立ち止まり、一礼する。
「おはようございます、アデライード様」
「ごきげんよう、リアム」
私は微笑んだ。
周囲の視線が、私たちに集まる。
公爵令嬢が、一介の文官と親しげに挨拶を交わしている。
それだけでニュースだ。
でも、本当のニュースはこれからよ。
「今日の予定は?」
「午前は予算会議の資料作成、午後は……アデライード様のお茶会に同席させていただきます」
「ええ、楽しみにしているわ」
去り際、彼がふと振り返り、私にだけ見える角度で小さく微笑んだ。
それは、昨日の感謝を伝えるような、控えめな笑みだった。
(……っ!)
私は扇子を握りしめた。
危ない。
今の破壊力は、戦略級魔法に匹敵するわ。
廊下に残された貴族たちが、呆然と彼を見送っている。
その背中は、もはや「背景」ではない。
物語の、新しい主役の背中だった。
さあ、革命の始まりよ。
私の推しが、この国を席巻する日が楽しみでならないわ。




