第10話 国ごとプロデュース
「……逃げられるとでも思いましたか? 私のプロデューサー」
王宮の宰相執務室。
重厚な机越しに、リアムが静かに問いかけた。
カチャリ、と鍵がかけられる音が背後でした。
振り返ると、扉は魔術的なロックで封鎖されている。
完全なる密室。
私は視線を泳がせた。
目の前にいるのは、この国で今、最も権力を持つ男。
そして、史上最高に美しい宰相閣下だ。
「逃げるだなんて人聞きの悪い。……ただ、私の役目は終わりましたので」
私はテーブルの上に置かれた一枚の書類を指差した。
『専属補佐契約終了届』。
今朝、私が提出したものだ。
リアムは書類を手に取った。
長い指が紙の端を掴む。
ビリッ。
ビリビリビリッ。
「あ……っ!」
彼は無表情のまま、私の退職願を粉々に引き裂いた。
紙吹雪のように散っていく白い破片。
なんてことを。あれを書くのに昨晩三時間も悩んだのに。
「契約終了? 誰が許可したのです」
リアムが立ち上がり、机を回り込んで私に近づいてくる。
コツ、コツ、と革靴の音が心臓を叩く。
「だ、だって! 貴方はもう立派な宰相ですわ! 私のプロデュースなどなくても、一人で輝けるでしょう?」
私は後ずさった。
背中が冷たい壁に当たる。
逃げ場がない。
「国民の支持率は九〇%超え。外交も順調。元王太子の不祥事も綺麗に片付いた。……これ以上の成功はありませんわ」
推しがトップアイドル(宰相)になり、ドームツアー(国政)を成功させた。
古参ファンとしての私の仕事は、ここで完了のはずだ。
これ以上そばにいたら、私の心臓が持たないし、何より「推しの私物化」というタブーを犯してしまう。
「……貴女は、本当に何も分かっていない」
リアムが私の目の前で足を止めた。
至近距離。
眼鏡を外したアメジストの瞳が、私を射抜くように見つめている。
そこにあるのは、冷徹な知性ではない。
もっと熱く、ドロドロとした独占欲だ。
ドンッ。
彼の右手が、私の耳の横の壁を叩いた。
いわゆる、壁ドンだ。
前世の乙女ゲームで何度も見た光景。
でも、実物は破壊力が違う。
吐息がかかる距離で、世界一の美形に見下ろされる圧迫感。
「私がここまで頑張れたのは、誰のためだと思っているんですか?」
「え、ええと……国のため? 国民のため?」
「違います」
彼は即答した。
「貴女のためです、アデライード」
「……は?」
「貴女が『輝く姿を見たい』と言ったから、私は面倒な書類仕事を片付け、嫌いな表舞台に立ち、王太子を排除した。……全ては、貴女に褒めてもらうためだ」
彼の指先が、私の頬をそっと撫でた。
熱い。
火傷しそうだ。
「それなのに、一番いいところで客席に戻るつもりですか? ……そんな無責任なことは許しませんよ」
「む、無責任って……」
「責任を取ってください。私をこんな風に……権力と愛に飢えた男に変えてしまった責任を」
リアムの顔が近づいてくる。
私は目を閉じたくなったけれど、できなかった。
この美しい瞳から、目を逸らすことなんてできない。
「アデライード。……私の妻になりなさい」
命令形。
でも、声は震えるほどに甘い。
「貴女がいない世界なんて、私には退屈すぎる。……一生、私の隣で、私をプロデュースし続けろ」
それは、プロポーズだった。
王族からの求婚よりも強引で、どんな愛の言葉よりも重い、契約の更新。
私の目から、自然と涙が溢れた。
「……馬鹿な人」
「なんとでも」
「宰相の妻なんて、激務ですわよ? 私、わがままだし、浪費家だし、推し活にお金をかけますわよ?」
「構いません。国家予算ごとき、いくらでも稼いでみせます」
「……貴方の顔を見るたびに、鼻血を出すかもしれませんわよ?」
「ハンカチなら、一生分用意させます」
彼はくすりと笑った。
その笑顔が、あまりにも無防備で、愛おしくて。
私は降参した。
もう、抗えない。
この沼からは、一生抜け出せそうにない。
「……謹んで、お受けいたしますわ。閣下」
私が答えると同時に、彼の唇が重なった。
甘く、深い口づけ。
書類の匂いと、高級なコロンの香り。
ああ、これが「推しと結ばれる」という感覚なのか。
前世の徳をすべて使い果たした気分だ。
「……ん」
長いキスの後、彼は満足げに私を抱きしめた。
「さて、アデライード。涙を拭いてください」
「え?」
「国民が待っています」
彼は私を離すと、執務室の窓を開け放った。
そこは、王宮の大広場に面したバルコニーへと繋がっていた。
外からの光と風が吹き込んでくる。
そして、地鳴りのような歓声も。
「うおおおおおっ!!」
「リアム様ー!!」
「アデライード様ー!!」
眼下には、広場を埋め尽くすほどの民衆が集まっていた。
皆、私たちの名前を呼んでいる。
「こ、これは……?」
「婚約発表のパレードですよ。……逃げられないよう、外堀は埋めておきました」
リアムが悪戯っぽくウインクする。
確信犯だ。
最初から、今日この瞬間のために準備していたのだ。
「さあ、行きましょう。私の女神」
彼は私に手を差し出した。
かつて、回廊で書類を拾ったあの手。
舞踏会で私をリードしたあの手。
私はその手を、しっかりと握り返した。
「ええ、参りましょう。……最高のショータイムの始まりよ」
私たちは二人並んで、光溢れるバルコニーへと歩み出た。
割れんばかりの拍手喝采。
青い空。
そして、隣には世界一愛する人。
「アデライード、愛しています」
歓声にかき消されないよう、彼がはっきりと告げる。
私も、満面の笑みで答えた。
「私も愛していますわ、リアム! ……貴方の顔も、中身も、全部!」
これから先、国政という名の巨大なステージで、私たちは踊り続けるのだろう。
トラブルも、苦労も、きっと山ほどある。
でも大丈夫。
私には最強の推しがいるし、彼には私がついている。
私たちの「推し活」兼「国作り」は、まだ始まったばかりなのだから。
(完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
もし楽しんでもらえたなら★★★★★ボタンをぜひ押していただけると嬉しいです!
ブックマークやリアクションなどもとても励みになっています!




