第1話 推し、発見せり
ああ、なんて無駄にキラキラしいのかしら、この駄犬たちは。
王宮の長い回廊。
午後の日差しが差し込む中、私は扇子で口元を隠しながら、心の中で盛大に溜息をついた。
目の前には、この国の王太子であるアルフレッド殿下。
そしてその側近である騎士団長の息子と、魔術師団長の息子。
いわゆる、乙女ゲームにおける「攻略対象」の皆様だ。
「おい、アデライード。聞いているのか?」
アルフレッド殿下が、整いすぎた眉を顰めて私を睨む。
金髪に碧眼。絵に描いたような王子様。
けれど、その中身は残念極まりない。
「申し訳ございません、殿下。少々、考え事をしておりましたわ」
私は淑女の礼を崩さずに答える。
声色は完璧な公爵令嬢。
でも、頭の中は前世の記憶で埋め尽くされていた。
そう、思い出したのだ。
ここが前世でプレイしていた乙女ゲームの世界であり、私が「悪役令嬢」と呼ばれる当て馬ポジションであることに。
(まさか、トラックに撥ねられて転生なんてベタな展開……)
しかも、このままいけば私は数年後の卒業パーティーで断罪され、国外追放か修道院行きだ。
普通なら絶望して「破滅フラグを回避しなきゃ!」と焦るところだろう。
けれど、今の私の感想は違った。
(どうでもいいわ……)
目の前の殿下たちは、確かに顔は良い。
けれど、性格は俺様で、人の話を聞かず、すぐに見当違いな正義感を振りかざす。
前世で画面越しに見ていた時は「ちょっと強引なところが素敵」なんて思ったかもしれないけれど、生身の人間として対面すると、ただただ鬱陶しい。
「君はいつもそうだ。可愛げがない」
「ええ、よく存じております」
「なっ……開き直るのか!?」
殿下が顔を赤くして怒鳴る。
私は内心で冷静に分析する。
血圧が高そうだわ、お大事に。
私は、彼らの幼稚な会話から意識を逸らした。
視線を、回廊の隅へと向ける。
そこには、山積みの書類を抱えて歩く数人の文官たちの姿があった。
地味な色の制服。
目立たない顔立ち。
ゲームでは背景の一部として処理されていた「モブ」の人々。
貴族たちは、彼らを空気のように扱っている。
存在していても、いないものとする。
それがこの王宮の、嫌な階級意識だ。
(……あら?)
その中に、一人だけ妙な雰囲気を持つ青年がいた。
他の文官たちが「重い」「忙しい」と愚痴をこぼしながら歩いている中で、彼だけは背筋を伸ばし、無言で淡々と歩を進めている。
黒髪は少し長めで、前髪が目元を隠している。
分厚い黒縁眼鏡が、さらに表情を読みにくくしていた。
なぜだろう。
私の「オタクとしての勘」が、彼に対して強烈なアラートを鳴らしている。
「おい、アデライード! どこを見ている!」
殿下の声が遠くに聞こえる。
私は無視した。
というより、聞こえなくなっていた。
私の全神経は、あの地味な文官に注がれている。
その時だ。
回廊の角から、急ぎ足の侍女が飛び出してきた。
「きゃっ!」
「……っ」
侍女が文官の青年にぶつかる。
彼が抱えていた書類の山が、バランスを崩した。
普通なら、ここで派手に書類をぶちまけ、慌てふためく場面だ。
殿下たちも「これだから文官は」と嘲笑う準備をしている気配がする。
けれど、彼は違った。
流れるような動作だった。
崩れ落ちそうになった書類の束を、彼は片手で空中に放り投げるようにして体勢を整えると、次の瞬間には別の手で絶妙にキャッチしたのだ。
さらに、宙に舞った数枚の紙も、まるで舞踏のステップのような足運びで回収していく。
(う、美しい……!)
無駄がない。
一切の無駄がない動き。
あれはただの文官の所作ではない。
もっと高度な、鍛錬を積んだ者の身のこなしだ。
彼は何事もなかったかのように書類を整えると、ぶつかってきた侍女に短く頭を下げた。
叱責もせず、言い訳もせず。
ただ静かに、自分の仕事に戻ろうとする。
「……待ち」
私は思わず声を漏らしていた。
足が勝手に動く。
「アデライード?」
殿下の制止を振り切り、私は彼のもとへ歩み寄った。
公爵令嬢が、下級文官に近づく。
周囲の空気が凍りつくのがわかる。
侍女も、他の文官たちも、驚愕の表情で私を見ている。
けれど、彼だけは冷静だった。
私の足音が近づくと、彼は立ち止まり、深く一礼した。
「……何か、御用でしょうか。アデライード様」
声。
その声を聞いた瞬間、私の背筋に電撃が走った。
低く、落ち着いていて、それでいて艶のあるバリトンボイス。
耳の奥が溶けそうになるほどの、極上の響き。
(いい声……ッ!)
私は扇子を握りしめる手に力を込めて、なんとか理性を保つ。
ここで鼻血を出して倒れたら、公爵家の恥だ。
「書類が、一枚落ちていましてよ」
私は足元に落ちていた最後の一枚を拾い上げた。
彼が回収し損ねたわけではない。
私の足元に滑り込んできたのだ。
彼は顔を上げた。
前髪の隙間から、眼鏡の奥の瞳が覗く。
その瞬間。
世界が、スローモーションになった。
(────っ!!)
眼鏡の奥にあったのは、宝石のように鋭く、それでいて深い知性を宿した瞳だった。
長い睫毛。
整いすぎている鼻筋。
今は地味な眼鏡と野暮ったい髪型で隠されているけれど、その下にあるのは、間違いなく国宝級の美貌だ。
原石ではない。
これは、隠された宝石だ。
誰も気づいていない。
殿下たちも、他の貴族たちも、彼をただの「地味な眼鏡」としか認識していない。
けれど、私にはわかる。
オタクの目は誤魔化せない。
彼は、この世界で一番美しい。
「……ありがとうございます。お手間を取らせてしまい、申し訳ありません」
彼が私の手から書類を受け取る。
その指先もまた、白く、長く、美しい形をしていた。
インクの染み一つない、手入れされた指先。
有能さの証明。
ドクン、と心臓が跳ねた。
殿下? 婚約破棄? 断罪イベント?
そんなものは、今の私には塵芥に等しい。
見つけた。
見つけてしまった。
私の人生を捧げるに値する、至高の「推し」を。
「お名前を、伺っても?」
震える声を抑えて、私は尋ねた。
彼は少し躊躇ってから、静かに答えた。
「……リアムと申します。宰相府の、しがない書記官です」
リアム。
名前まで尊い。
「リアム様……」
「様などは。呼び捨てで結構です」
「いいえ、そういうわけにはいきませんわ」
私は扇子を閉じ、パチリと音をさせた。
その音に、リアム様がわずかに目を丸くする。
私の口元には、自然と笑みが浮かんでいた。
淑女の微笑みではない。
獲物を見つけた狩人の、あるいは、傑作を見出したプロデューサーの笑みが。
「貴方、とても素晴らしい才能をお持ちね」
「……は?」
リアム様が初めて、呆気にとられたような顔をした。
その後ろで、殿下たちが「おい、アデライード! 何を文官ごときと話し込んでいるんだ!」と騒いでいるのが聞こえる。
うるさいわね、今、神聖な儀式の最中なのよ。
私は心の中で殿下たちを一喝し、リアム様に熱い視線を送った。
彼は困惑している。
当然だ。
公爵令嬢に急に褒められたのだから。
でも、逃がさない。
この才能を、この美貌を、このまま王宮の埃に埋もれさせておくなんて、国家的な損失だわ。
いいえ、全人類への冒涜よ。
私が、彼を磨き上げる。
誰もがひれ伏すような、最高の男に仕立て上げてみせる。
「うふふ……」
笑いが込み上げてくるのを止められない。
私の悪役令嬢としての人生は、たった今、終わりを告げた。
これからは、彼のためだけに生きる。
私の持てる全ての権力と、財力と、そして前世の知識(オタク魂)を注ぎ込んで。
「覚悟なさいませ、リアム様。貴方を、私の最高傑作にしてさしあげますわ」
「……はい?」
きょとんとする彼の眼鏡が、少しずり落ちた。
その隙間から見えた素顔の破壊力に、私は危うく卒倒しそうになるのを、なんとか気合いで耐え抜いたのだった。




