第7話
──ひとしきり泣いたエルミナは、疲れが出たのだろう。瞼が重たそうに上下している。
「俺の家があるから、良ければそこで休まないか?」
自分で言っておいて何だが、少女を連れ込もうとする悪い大人みたいになってしまった。
「……ぅん」
本格的に眠りそうだっため、エルミナをお姫様抱っこで亜空間の家へ運ぶ。
ベッドは一つしかない。
そこにそっと寝かせ、毛布を掛ける。
彼女はすでに小さな寝息を立てていた。
「すぅ……すぅ……」
「……おやすみ」
寝室を静かに出て、研究部屋のソファに身を沈める。
まだ弟子になるか返事は貰っていないが、それはまた明日にしよう。
今日はリューラも眠ることにした。
◆
朝。
窓から光が差し込む。
──本来、亜空間に太陽も月もない。
だから内部の背景テクスチャを時刻に合わせて切り替え、朝や夜を“演出”している。
「ふぁあ~……」
ソファで寝たせいか、肩が凝る。
(……やっぱおじさんかも)
洗面所で顔を洗い、頭をすっきりとさせる。
(エルミナはもう起きてるかな?)
寝室の前でノックする。
「おーい、起きてるかー?」
返事は無い。
「開けるぞー?」
そっと開けると、まだ眠っていた。
寝顔は、ただの幼い子どもそのものだ。
(朝ご飯を作ってから起こすか)
家は調理を想定して造っていないのでキッチンが無い。
そのため庭で調理をする。
鉄板を出し、《汚れを落とす魔法》で清めてから調理を開始。
メニューは冷凍しておいた鶏のむね肉。
鉄板でじりじり焼く。
ももほど脂は出ないが、そのぶん花の香りが際立つ。
──朝の空腹感が一層強くなっていく。
両面を焼き終え、皿に盛る。
さらにコップを二つ出し、魔法で水を満たした。
(今後も調理することを考えれば、どこかで器具と調味料は揃えないとな)
そんなことを考えつつ、エルミナを起こしに行く。
「すぅ……すぅ……」
「エルミナ、朝だぞ?」
彼女の肩を揺らしながら、声をかける。
「……ん、んぅ……ひゃっ!?」
目を覚ましたエルミナは、リューラを認識すると毛布で顔を隠してしまった。
「おはよう、朝ごはんできてるぞ」
「……ふぁい」
まだ寝ぼけ気味のエルミナを庭へ連れていく。
テーブルには二人分の朝食。
「ほれ、エルミナの分」
「あ、ありがとう、ございますぅ……」
消え入りそうな声で感謝する。
まだ少し緊張しているようだ。
「いただきます」
「い、いただきます……」
むね肉にかぶりつく。
もものような豪快さはないが、朝にはちょうどいい軽さだ。
花の香りがふわりと立ち、まるで花びらを味わっているようだ。
ふと見ると、エルミナは口いっぱいに頬張っている。
「おいしい?」
「ほ、ほいひい、れふっ!」
魔界には料理魔法があり、自動的に料理ができる。
だが料理人という仕事が廃れているわけではない。
敢えて自分の手で作る理由が、少しわかった気がする。
食べ終えた頃合いで、改めて切り出す。
「エルミナ、昨日言った通り、俺は君を弟子にしたいと思ってる。
学んでおけば、きっと人生の役に立つはずだ。
どうだ?俺の弟子にならないか?」
せめて《空間魔法学》が開設されるまで、彼女の師となるつもりでいた。
真剣な眼差しで、エルミナを見つめる。
「私でも、魔法使いに……なれますか?」
俯き加減に聞いてくる。
「俺が保証するよ。
君は立派な魔法使いになれる」
「わ、わたし、なりたい……。
魔法使いに、なりたい! です……!」
今度はまっすぐリューラを見て、はっきりと言った。
「魔法の世界は広い。
俺にもまだ知らないことが山ほどある。
だから一緒に勉強していこうな」
「よ、よろしく、お願いします! 先生!」
──こうして少女は深淵へと一歩を踏み出した。
どこに繋がる道かは、誰にも分からない。
◆
その後、エルミナにお風呂の使い方を教え、入るように指示した。
その間にエルミナの引っ越し作業を行う。
とは言っても彼女の持ち物はほとんどなく、ぼろぼろの布、服が数着に木製の食器、母の形見の指輪くらいだった。
服は傷みが激しいので、リューラの服をリサイズして与えることにした。
食器はまだ使えるので、一応取っておくことに。
そしてエルミナの両親の墓を、家の裏手へ移設した。
早く作業が終わったため、エルミナが風呂から上がるのを待った。
「お、お風呂ありがとうございます。すごかった、です!」
風呂はこの家に蓄えられた魔力でいつでも温水が出る。
さらに自動で身体の汚れを落としてくれる。
彼女には初体験だっただろう。
風呂上がりのエルミナに、墓の移設を説明する。
「あの、お墓を勝手に移動させて怒られない、ですか……?」
「村人に? 数日前に全員どこかへ行ったきり、帰って来てないよ。
だからバレないだろ。
墓標は精巧なものを置いてきたし」
「そ、そうなん、ですね。知らなかった……。
あ、ありがとうございます!」
「どういたしまして。
──ところで、村人全員で行く場所に心当たりは?」
「うーん……近くだと、トラギエルだと思い、ます。
でも、全員で行くことなんて、今まで無かったような。
何でだろう?」
(……やっぱり確かめないとな)
「まあその話は一旦置いといて。取り敢えず、この家を案内するから」
そう言ってリューラは家に入る。
後からエルミナも付いてくる。
「まず一階から。ここがトイレ、こっちが洗面所とお風呂場。それから寝室」
階段を上る。
「二階は研究部屋が二つと物置だな。
研究部屋は許可なく入らないこと──というか、入れないから、用があればノックしてくれ。
物置も同じで危ないから、何か必要なものがあれば俺に言ってくれ」
「は、はい」
「分からないことは遠慮なく聞いてくれればいいよ」
「あ、あの……。料理と食事をするところは、無いんですか?」
「……普段、料理しないし、研究部屋で食ってたから造ってない……。
増築予定です……」
エルミナの「この家、大丈夫?」という視線に、思わず目を逸らす。
(普通はあるよな!ごめんな!)
──再び外に出る。
「エルミナ、ここから何が見える?」
「え……太陽と空? あと、芝生?です」
「そう見えるよな。だけどあれは”あるように見せてる”だけで──」
”貼り付けた世界”を剥がす。
先ほどまであった太陽や空、芝生も全て消え、世界が暗黒に包まれた。
玄関灯だけが淡く世界を縁どる。
「見せているものを消すと、こうなる」
「な、何ですか、これ!?」
「落ち着いて、これも魔法だ。
それから、俺たちが立っている”この世界”自体も魔法で創られている。
創ったのは俺だ」
「???」
元の風景を貼り戻す。
ふたたび光が満ちる。
「うーん、分からないかもしれないけど、一応説明しとくぞ。
ここは世界の何処かにあったけど、誰も見つけた事のない場所で、それを発見したのが俺。
外から勝手に入れないよう鍵を掛けたら、太陽光も入らない。
だから本当は真っ暗な世界なんだ。
だけど真っ暗だと時間の感覚が狂うから、時間によって空に太陽や月を描いてる。
絵を貼り付けていると思えばいいよ」
「??? わ、分からない、です。……」
「まあ、だよな。
今は分からなくてもいいよ。
理解してほしいのは、ここには俺とエルミナしかいないってこと。
俺が許可しないと他の人は入れないってこと。
あとこの世界は見た目より狭いってこと。
ちょっと来て」
そう言ってリューラは家から遠ざかっていく。
エルミナも付いていくと、少し歩いたところで止まる。
「ここに触れてみて」
リューラは何も無い空間に手を添えている。
エルミナも同じところに手をかざす。
「!? 何か、見えない壁?があります」
「そう。これ以上向こうには進めない。
ちなみにこの世界は四角い箱になっているから、見えない壁に沿って歩けばこの世界の広さが分かる」
実際に一周して、スケール感を掴ませる。
「こ、これを、先生が創ったんですか?」
「そうだぞ。すごいだろ」
「……も、もしかして、先生は、神様ですか?」
(──神、か。
世界を創ったのが神なら、俺も神みたいなものか?)
「まあ、神様が同じやり方で世界を創ったんなら、俺も同類かもな!」
冗談だけどな、そう言う前に──
「神様!先生は神様だったんだ!神様が私を救ってくれたんだ!!」
「あ、あの──」「神様!ありがとうございます!ありがとうございます!──」
誤解を解くのに五分かかった。
「──話が逸れたけど、ここは普通とは違う、それを理解してくれ」
「は、はい……」
耳まで真っ赤なエルミナが可愛らしかった。
◆
──この空間の説明を一通り終えた後。
お昼にはまだ早かったので、魔法の講義をすることにした。
「お昼にはまだ早いか。エルミナ、早速魔法の授業をしようか」
「は、はい!」
──リューラは亜空間から小瓶を取り出す。
中には黒い液体のようなものが入ってる。
それをテーブルに出すと、楕円形になる。
「これは《流体金属》という金属の一つだ。
そのままだと扱いが難しいから、魔力操作の練習用に改造してある。
エルミナには、これに魔力を流して“形を保つ”練習をしてもらう。
まずはお手本を見せるから」
指先で触れ、魔力を一定に流し込む。
「この金属は一定の魔力を流し続けると、形が変わる」
流体が”馬”の形へと変わる。
「魔力操作が乱れて、魔力が一定では無くなると形が保てなくなる」
馬の形が揺らぎ、楕円に戻る。
「”一定”がどのぐらいなのかは、形が馬に近づいていくから分かると思う。
そして上手に流し続けると、そのまま”固定”できる」
再び馬の形にし、数秒後に手を離す。
手を離しても馬のまま留まる。
「次に固定状態で別の“一定量”を流すと、馬から”鳥”に変わる」
馬は形を変え、鳥になった。
「これも同じ要領で固定できる。
順番に”馬→鳥→ネズミ→魚→牛→犬→猫→ウサギ→イノシシ”、最後に”花”になる。
最後の花で形を保てるようになるのが当分の目標だから、頑張って。
ここまでで質問は?」
「あ、あの……、魔力操作って、なんですか?」
(……そうか、魔族は子供のころから教わるからうっかりしていた)
魔族の常識は、人間にとっては非常識かもしれない。
そんなことは分かっているつもりだったが。
早速生徒から教わってしまった。
「ああ、ごめんな。
”魔力操作”は、自分に流れる魔力をどれだけ外に出すか──その量をコントロールすることだ。
生き物は無意識に魔力を漏らしている。けど何にも使わないのは勿体無いだろ?
だから“必要な時だけ、必要な分だけ”出す。
そのための練習だと思えばいいよ」
(8歳の子には難しいか?)
「うーん、わかった? と思います。
じゃあ、次の質問で、魔力ってどうやって出すんですか?」
「──エルミナは村で大きな石に触ってただろ?
あれに触れてるとき、何か感じなかったか?」
「んー、力が抜けていくような、そんな感じだったと思います」
「それが感じられるなら、流れを意識すれば掴めそうだな。
ちょっとやってみるか。
今からエルミナに魔力を流す。
分かりやすいように青く”見える”ようにするから」
そう言ってリューラがエルミナの手を取り、魔力を流す。
青色の粒子が流れるのが分かる。
「あ!温かいです!
それに、何だかいい匂い!」
リューラは匂いなど感じない。
どういうことだ?。
「温かさは魔力を感じ取れている証拠だな。ただ匂いはどんな匂いなんだ?」
「何かの花?の匂いです。
……あ、朝食べたお肉の匂いかも!」
「肉の匂い?まあ確かにあの鶏肉は花の香りがしてたけど。
……それが魔力に移った?
分からないな。匂いについては一旦保留だな」
“魔力の匂いを嗅ぎ分ける”──そんな体質は聞いたことがない。
人間特有か?
「次はエルミナから魔力を吸い取るから。
今度は赤にしよう」
今度はエルミナからリューラへ赤色の粒子が流れる。
「あ、力が抜ける感じがします!」
「感覚としては理解出来てるな。
じゃあ次は、エルミナの魔力で”俺が”魔法を発動してみるから」
「え、そんなこと出来るんですか?」
「出来るよ。
あの大きな石も同じ原理を利用しているしな」
「え!? じゃあ、あの石も先生が?」
「いや、あれは俺じゃないな。
取り敢えず、やってみるぞ」
そう言ってリューラはエルミナの腕をつかみ、前へ出させた。
「今から使うのは《水を生成する魔法》だから。
危険性は低いから、安心してくれ」
エルミナの手から魔法が展開する。
「魔力の流れを意識して!」
次の瞬間、彼女の手から水が勢いよく噴き出した。
「わ、これが魔法!
私、魔法を使ったんだ!」
初めての魔法にはしゃぐエルミナ。
一生忘れられないだろう。
「先生! 分かった気がします!」
「おお、じゃあ《流体金属》で練習してみてくれ。
俺は昼ご飯の支度をするから」
「はい!」
リューラはエルミナを残して、食糧調達へと向かった。