第6話
(失敗したな……)
少女を怖がらせてしまった。
お詫びに焼き魚を置いてきたが、果たして見ず知らずの男が持ってきた物など食べるのか。
(こっちも失敗……)
目の前には焼け焦げた魚が一匹。
料理などやったことが無いせいで、火加減を誤った。
少女に渡した二匹は、かなり慎重に焼いたのだが。
「いただきます」
パサついた焼き魚を頬張る。
口いっぱいに苦味が広がった。
今までの生活がいかに恵まれていたのか――それを噛みしめる味だった。
(――さて、これからどうするか)
少女との交流は諦めてはいないが、今すぐにというわけにもいくまい。
時間をかける必要があるだろう。
村の方をもう一度見に行くか――そう考えていると、村の方角から強い魔力反応が走った。
急いで村の方へ行くと、そこには銀色の大船が浮かんでいた。
甲板には村人たちの姿が見える。
船はそのままどこかへ飛び去っていった。
(あんなもの、この村には無かったはず……どこかから来ていたのか?)
あんな面白そうな物を見逃してしまった。
(なぜ銀色?
全体が銀で出来ている?)
魔界にも空飛ぶ船は存在するが普通の船同様、木あるいは鉄で出来ている。
(思いつくのは――《流体金属》か)
《流体金属》はその名のとおり流体状の金属で、操者の意思で形を変える。
当然船にも形を変えることができるため、それなら辻褄が合う。
ただあれだけの大きさとなると、相当量必要なはずだ。
(魔界で見た”流体金属”は黒鉄だったけど、人間界では銀なのかもしれないな)
村を見て回ると、人影はない。
全員船に乗っていたのだろう。
まさか村人総出で旅行ということもあるまい。
となれば避難だろうか。
――心当たりは、ある。
(……今は考えないでおこう)
背筋がいやに涼しい。
◆
それからは山を散策した。
多少の目新しい植物は見つけたが、それ以外は特に収穫はない。
そして、予想していたことがひとつ当たっていた。
(やっぱり、魔獣が全然いないな……)
魔力探知に引っかからない。
住処も、痕跡も無かった。
(……あの子の”おかげ”か)
アルビノの少女。
あの子から漏れ出る魔力を、魔獣が避けている。
そうでなければ、とっくに彼女は魔獣の餌になっていただろう。
彼女の存在が魔獣を遠ざけ、結果として村を守っている。
そのことを村人は知っているのか。
今考えても仕方がない。
とりあえず、夜の食材を確保しよう。
昼は魚だったので、別のものが食べたい。
一度、草原へ出てみることにした。
◆
広がる草原の一角、風が穏やかに吹き抜ける中、それはいた。
リューラは知る由も無いが、【翠羽鳥】という鳥類の魔獣だ。
翡翠のように輝く羽が特徴で、食用として人気が高い。
数羽が集い、時折軽く羽ばたきながら草の間をゆっくりと歩いている。
毒性が無いことを確かめると――
(夜ご飯は鶏で決まりだな)
一瞬だった。
翠羽鳥の一羽の首が突然、”ずれる”かのように落ちた。
周囲の翠羽鳥たちも何が起きたのか分からず、呆然と立ち尽くした。
やだて仲間の死に気づき、慌てて飛び去っていく。
(――《空間の連続性を断つ魔法》、首部分の”連続性”を断てば頭は落ちる。
こんな使い方をするとは、夢にも思わなかったな)
倒れた鳥に近づくと、落ちた頭がこちらを向いていた。
ぎょろりとした目が少し怖い。
頭は穴を掘って埋めた。
残った胴を逆さにして血抜きを行う。
時間がかかるため、亜空間内に入れておく。
リューラにとって命を奪うことは簡単だ。
頭を落とせば死ぬ生物は、たとえドラゴンでも簡単に殺せる。
だからこそ、力の使い方を誤ってはならない。
――誤れば、侵略者としての《魔王》と呼ばれるだろう。
◆
「――この度はありがとうございました。
村人一同を代表して、お礼申し上げます」
「いえ、仕事ですので。
では、次の仕事がありますので失礼します」
”銀艇”と村人たちはトラギエルへと到着していた。
銀艇リーダー、オービルは村長と挨拶を交わすと、足早にその場を後にする。
――次の仕事の前に、オービルは冒険者ギルドへと向かった。
ギルド内はいつもより人が少ない。
先の魔獣氾濫で死傷者が多かったからだ。
だが、いつにも増して慌ただしい。
「お、ちょうど報告が終わったところだぜ」
「次は【ネレイエ村】に行けって言われたわ」
「分かった。……他の連中の様子はどうだ?」
「さすがに一日そこいらで動けるやつは多くねぇ。
……そもそも、俺らみたいに大規模移送できるやつが少ねえからな」
「……レイラ、フィリス嬢はどうだ?」
「あの娘も無理ね。昨日鉄殻竜とやり合ってるから、まだ魔力が戻らないって」
「そうか……」
「――これはまだ確定情報じゃないけど、真王が動くかもしれないって話があるの。
フィリスちゃんに《遠話》来たみたい。
今回の氾濫がある前、真王もフィリスちゃんも”森”の方に大きな魔力を感じたって。
私が感じたものと同じだと思う」
《遠話》とはその名の通り、遠くの者と話す魔法である。
各所に建てられた”塔”を中継して遠くの人間に音を届けている。
ただし塔から離れすぎている場合や、魔法に適正の無いものとは通信できない。
「森で何かが起きた……。
鉄殻竜のような”竜種”が逃げ出すほどの何か、となれば答えは限られる」
「それって……」
「俺は”ドラゴン”だと考えている」
「……そうだったら最悪ね。
人類でどうこうできる範囲じゃないわ」
ドラゴン――この世界の最強種。
災害にして概念、とまで形容される。
伝承には”人が超えてはいけない境界の番人”と残されている。
その多くは謎に包まれ、表舞台に現れることは滅多にない。
ちなみに竜種はドラゴンの眷属、あるいは子孫と言われている。
「でも最後にドラゴンが確認されたのなんて、百年以上前だろ?
それに本当にドラゴンが森に現れたんなら、もっと被害が大きくてもおかしくないぜ?」
「ああ……、だが他に思いつくか?」
「ん~……分かんねえな。
お!例えば《魔王》が復活した、なんてのはどうだ?」
「おとぎ話じゃないの。
だったら現実に存在するドラゴンの方があり得るわ」
「それもそうか。はっはっは!」
「……考えても仕方ないか。次の村へ向かうとしよう」
「了解!」「オーケー!」
図らずも半分正解していたバルデだが、そんなことは露知らず、三人はギルドを後にした――
◆
――夕暮れ時。
再び山へ戻ってきたリューラは、川辺で鳥を捌いていた。
お昼の焼き魚で懲りたので、まず体毛を丁寧に炙る。
きれいに体毛を取り除いたら、腹を割いて内臓を取り出す。
続けて部位毎に切り分ける。
全て魔法で済むため、手際はいい。
今日はもも肉にしよう。
翠羽鳥は中型の魔獣のため、二人分にしても多い。
今日食べる分以外は、亜空間に冷凍保存しておく。
料理をしないためフライパンなど持っていないので、代用品として鉄板を取り出す。
――亜空間内の家造りで余った建材が役に立った。
大き目の石を2つ並べ、上に鉄板を渡す。
石の間に枯れ木をくべ、火を点けた。
鉄板がほどよく温まった頃合いに、もも肉をのせる。
表面がほんのり焦げて、香ばしい匂いが広がった。
しばらく焼いていると、肉から脂がにじみ出し、旨みを凝縮した香りが漂う。
当然塩コショウなど持っていないため、素材の味で勝負だが――これは期待できそうだ。
ふと魔力を感知する。
アルビノの少女だ。
木陰からこちらを窺っているのが分かる。
(ふふ、気になるんだな)
皿を二枚出す。
焼けた鶏肉を皿に乗せ、少女の方へと歩く。
少女は慌てて逃げようとするが――
「おーい、ここに置いておくから、食べていいぞ」
声をかけると足を止め、そっと振り返る。
リューラは何もなかったように調理に戻った。
ざっざっ――川辺の石を踏む音が近づき、やがて小走りに離れていく。
(まるで餌付けだな)
そんなことを思いながら、焼けた肉を頬張る。
「いただきます。――んっ!うまい!」
皮はパリッと仕上がっており、肉はふわりと軽い口当たり。
噛むと溢れる油の中には花のような風味が混ざっており、ジューシーなのにさっぱりとした味わいだ。
春の匂いを思わせる風味が、咀嚼のたびに増していく。
(これは当たりだ!)
調味料なしでも十分な満足感。
もう少し食べたくなって、冷凍した分にも手を伸ばした。
――しばらくして、すっかり星空が見える時間へとなっていた。
(魔界でも、人間界でも、星は変わらず輝いている……)
声に出すと恥ずかしいような感傷に浸りつつ、食後の余韻を味わった。
◆
それから数日、行動範囲を広げて散策した。
シアル村から見て、リューラが最初にいた森は東にあり、村の西側にも森が広がっていた。
西の森を調べたが、目新しいものは見当たらなかった。
強いて言えば、豚の魔獣を見つけたくらいだ。
食糧として有難くいただくことにした。
あれから村人たちは戻らなかった。
恐らくトラギエルという街に行ったのだろう。
相変わらず、アルビノの少女への”餌付け”は続いた。
まだ直接会話はしていないが、距離は少しずつ縮まっている。
昨日は、少し離れた場所でこちらの用意した食事を食べていた。
飼い始めた小動物が、だんだん飼い主に慣れていくようだ。
――その夜も、いつものように夕食を作り、少女に分け与えた。
彼女はいつも食べ終えると、皿を近くに置いて去っていくのだが、今日は彼女が直接手渡しに来た。
「あ、あの……これ……」
おずおずと皿を差し出す。
受け取りながら――
「ありがとう、美味しかったか?」
「あ、うん……あ、あの……あり、ありがと、ございます……」
伏し目がちながらお礼を言ってくれた。
この機を逃さない。
「前も一度言ったかな? 俺はリューラ、君の名前は?」
「え、エルミナ……」
「エルミナか。
良かったらこっちで話を聞かせてくれないか?」
そう言って椅子を出す。
「え、え!?」
何もない空間から椅子が現れたことに驚いたらしい。
「俺は魔法使いだからな。こういうことが出来るんだ」
「あ、その……魔法を研究してるって……」
「ああ。だから、こんなことも――ほら」
ふわりと空へ浮かんでみせる。
「す、すごい……!」
「エルミナも、ほら」
《宙に浮く魔法》を彼女にも掛ける。
「わ、わっ!」
「大丈夫、慌てないで。落ちたりしないから」
エルミナの手を取り、しばらく空を遊泳する。
「わ、すごい! すごい! 私、飛んでる!」
初めて見せる笑顔は、年相応の少女のものだった――
「――よっと。どうだった? 空を飛んだ感想は?」
「す、すごかった! おじさん、本当に魔法使いなんだ!」
(おじさん……そんなに老けて見えるか?)
年齢は63歳だが、魔族の平均寿命は600歳ほど。
魔族の中では、まだまだ若造だ。
まあ人間の子供から見れば”おじさん”かもしれない。
ともあれ、警戒心は少し解けた。
リューラは、初めて彼女を見たときから考えていたことを切り出す。
「エルミナ、君には魔法の才能がある。
……俺の”弟子”にならないか?」
「……え? 弟子?」
「君も、魔法使いになれる」
「……でも、私は――」
「君の髪や肌が白いのは、アルビノという先天性――つまり生まれながらの体質なんだ。
アルビノは魔力適応性……えっと、魔力が成長しやすいんだ。
魔法使いに向いている体質なんだ」
子供にも伝わるよう、できるだけ平易に言葉を選ぶ。
「! で、でも、これは”呪い”だって――」
「呪いなんかじゃない、むしろ天からの祝福と言っていい」
「でも……でも……私のせいでお母さんは、お父さんだって死んじゃったって!」
「落ち着いて。どういうことか、聞かせてくれるか?」
エルミナはぽつりぽつりと語りはじめた。
父は冒険者だったが、母がエルミナを身ごもっているとき、魔獣との戦闘で命を落とした。
本来、その周辺に生息していない魔獣だったため、当初は不慮の事故として片づけられた。
だがエルミナが生まれ、その真っ白な身体を見た村人は忌子と決めつけた。
父の死も、彼女の”呪い”のせいだと。
村人は母にエルミナを殺すよう迫った。
だが母はそれを拒否した。
母は村の生まれだったので、村人にも多少の情はあったのだろう。
それでも“呪い”の恐れが勝り、村ではなく山に住むことを条件に見逃した。
最初は、母が根負けするのを待つつもりだったのかもしれない。
だが母は最後まで、エルミナを愛し、守り続けた。
――数カ月前、その母は亡くなった。
長年の心労が祟り、亡くなる前から床に伏していたという。
せめてもの贖いか、あるいは呪いへの恐れゆえか。
村人は、村にある父の墓の隣に母の墓を建てた。
残されたエルミナを引き取る者は、誰一人いなかった。
(――”無知は人を悪魔に変える”、か。
魔界の諺を、こちらで噛みしめることになるとは……)
エルミナは泣いていた。
リューラも目頭が熱くなる。
「――辛かったな」
彼女の背をそっとさする。
聞けば、8歳だという。
(8歳の子供には、あまりにも酷過ぎる……!)
彼女が落ち着くのを待ってから、リューラは尋ねた。
「……1つだけ聞いてもいいか?
あの”塔”で大きな石に魔力を渡してたよな?
……どうしてそんなことを?」
「あ、あれは……お母さんのお墓を村に作る代わりに、月に二回、あの石に触れろって言われたから……」
「そうか……。話してくれて、ありがとう」
勝手すぎる。
自分たちが迫害している子供に、自分たちの生活を豊かにしてもらって。
それが”人間”、なのか?
少し、心の中で何かが蠢く気がした――。
「エルミナ、君は”化け物”なんかじゃない。
君はどこにでもいる子供だ……
親に甘えたり、友達と笑ったり、喧嘩したり――そういう事をしていい、ただの子供なんだ……」
「っ、ぅう……うぁああ、うぁああああぁん……!」
星空の下、川のせせらぎに交じって、少女の慟哭が流れていった――。