第5話
朝、目覚めるやいなや小屋へ向かった。
だが小屋はもぬけの殻。
少女の魔力の痕をたどると、少し離れた川辺へと続いている。
(……うぉっと。)
川では少女が水浴びをしていた。
様子を見るかぎり、魔力欠乏の影響はない。
――乙女のお風呂を覗くわけにはいかない。
すぐに踵を返す。
◆
それから村の方へ行ってみた。
例のごとく《透明になる魔法》で姿を隠し、村の中を散策してみる。
無邪気に駆け回る子どもたち。
畑や鍛冶場で働く男たち。
洗濯や家畜の世話にいそしむ女たち。
朝から、それぞれの一日が始まっていた。
中央の井戸には女たちが集まり、立ち話に花を咲かせている。
「王都で、自動で洗濯してくれる魔道具が発明されたんだって。」
「へー。この前は”冷蔵機”とかいうのが出来たって言ってなかった?」
「いいよねー、王都住みは。真王陛下のお膝元で最新の魔道具が使えるんでしょ?」
「はぁー、私も王都の男と結婚したいわー。」
「無理無理。こんな田舎で出会えるわけないって。」
「でもさ、あの”塔”も”電気”も、王都の人たちが造りに来てたじゃん。
また造りに来てくれたらワンチャン――」
「ないない。なんでわざわざ田舎の女と――」
女たちの会話は続いたが、結婚についての話になったので、その場を離れる。
◆
――一通り散策してみたが、村人の会話からこの世界の輪郭が少し見えた。
まずこの国は【ヴァルマリス王国】という。
この大陸の北西の土地を支配している。
この国を治めているのは、”真王”と呼ばれる人物のようだ。
――10年前、8歳にしてこの国の王になったらしい。
これまでの王とは違い”真なる王”という意味で付けられた”真王”だが、何が”真”なのかは村人は知らないらしい。
この村にもある”発電兼送電塔”、あれを国中に造らせたのがこの真王だという。
即位以後は魔道具の発明が加速。
王都では多種多様な魔道具が生活に浸透し、田舎はその後を追う段階だ。
そしてこの村は【シアル村】という。
他にもシアル村に一番近いのが【トラギエル】という街で、商人や冒険者と呼ばれる人間が多く集まっているとか。
村の中には酒場や宿泊施設があり、行き来する人間たちでそこそこ潤っている。
俺が最初にいた森は、”魔の出ずる森”と呼ばれており、危険な魔獣が多い。
山に住む少女は”あれ”とか”怪物”などと呼ばれていた。
やはり村とは折り合いが悪い。
何故そこまで忌避されるのか。
――そこまでは、まだ分からない。
◆
お昼時に近づいたため、一旦少女の様子を見に戻る。
――少女は木の実をせっせと採取していた。
木皿に乗った木の実はそれほど多くない。
あれでは栄養として足りないだろう。
どうするべきか……。
魔界に戻って食糧を持ってくることもできるが、果たして魔界の食べ物は人間が食べても大丈夫なのだろうか。
ふと、朝に立ち寄った川を思い出した。
(――川なら魚が捕れるかもしれない。)
それは自らの手で命を奪うことに他ならない。
だが迷いはない。
魔獣の時とは違う。
あれは奪う必要が無かった命だ。
だが今回は生きるために他者の命を奪い、いただく。
これは自然の摂理だ。
そう自分に言い聞かせ、川へと向かった――。
川には予想通り、魚が泳いでいた。
魔界にも魚はいるが、見た目は大差ない。
亜空間からバケツを取り出し、早速捕まえにかかる。
と言っても、手づかみや釣りをするわけではない。
《空間面を繋げる魔法》をバケツの中と、魚の進行方向に出す。
すると魚は自動的にバケツの中に入る。
この方法で3匹捕まえた。
毒性を確認するが、魚に毒は無いようだ。
――これを持って少女に、ファーストコンタクトを取ることにした。
少女はまだ木の実を集めている。
木皿の上はさっきより賑やかだ。
話しかける前に外見を人間に寄せる。
角を隠し、青い肌は人間と同じ肌色にする。
髪は黒のままでも問題ないだろう。
少し離れた位置で《消音の魔法》と《透明になる魔法》を解く。
(よ、よし。話しかけるぞ……。)
意を決して、少女の前に出る。
まるでご近所さんとの挨拶のように軽く、爽やかな笑顔で話しかける。
「やあ、こんにちは。」
声をかけられた少女は肩をビクりと震わせ、こちらを一瞬見て――一目散に逃げた。
「あ、ちょ――」
呼び止める間もなく駆け去っていった。
落ちた木皿から木の実が散らばった。
(……やってしまったな。)
山中で突然男に声をかけられれば、警戒して当然だ。
こちらへ来てから、どうにも立ち回りが下手だ。
少し落ち込んだ。
◆
同時刻、複数の人間が村に近づいてくる。
全部で3人。
銀色で光沢を帯び、逆三角形が後ろへ伸びる奇妙な乗り物に跨っている。
到着するや、彼らは近くの村人を呼び止めた。
「村長はいますか?急ぎ話したいことがあります。」
「え、えぇ。今は自宅にいるかと思いますが……。どうかされたのですか?」
「詳しくは後ほど。失礼。」
そう言って足早に村長宅へ向かう。
◆
突然の来訪に戸惑いながらも、村長は応対した。
3人のうち、リーダー格の男が口を開く。
「――実は昨日、”魔の出ずる森”から魔獣の大規模氾濫が発生しました。
トラギエルでは多数の死傷者が出たものの、何とか退けることが出来ました。
ただ”森”周辺の村落にも被害が出ています。
こちらは今のところ被害が無いようですが、氾濫が収束したとは言えません。」
「何と……!」
「希望者はトラギエルまで護送します。
ただ我々は他の村にも回らねばならないので、今すぐ希望者を集めてください。
なお、今回希望されなかった方を、後で迎えに来る余裕はありませんの。
それも村民たちに伝えてください。」
「そ、そんな急に――」
「事態は一刻を争いますので、半刻後にはここを発ちます。
それまでにご判断を。」
有無を言わせぬ調子で告げると、3人は村長宅を出た。
村長が村人を広間に集めていた。
先ほどの話を共有し、意見を求めている。
リーダーの男に、連れの大男がぼそりと訊く。
「希望者、出ますかねえ。」
「出なければ最悪滅ぶだけだ。
肝心な場面で迅速な判断の出来ない集団は、いずれ滅びる。
早いか遅いかの違いしかない。」
「ヒューッ!やっぱリーダーはドライだねえ。
レイラはどう思う?」
「さあ? どうでもいいんじゃない?
もう報酬は貰ってるし。
荷物が増えようが減ろうが、報酬は変わらないんだから興味ないわ。」
「希望者の数に応じて報酬が増えるとしたら?」
「そんなの、ふん縛ってでも連れていくに決まってるじゃない。」
「はっはー! それでこそ、我らがレイラ様だぜ!」
「バルデ、無駄口はそこまでだ。」
「へいへい。」
そんなやり取りをしていると、どうやら村の方針が決まったようで、村長がリーダーへと近づいてきた。
「オービル様、村人全員トラギエルへの移動を希望しております。
ただ村人は100人を超えます。
全員を一度に護送してもらえるのでしょうか。」
「もちろん、問題ありません。
道中の安全は、我ら”銀艇”が保証します。」
言うが早いか、3人の服から銀色の液体が溢れ、合流し、うねり、みるみる巨大な船へと姿を変える。
「……こ、これなら全員乗れますな。A級冒険者とは、かようなことまで――」
村長は驚嘆していた。
「さあ、急いで乗船を。」
促されるまま、村人たちは次々と乗り込んでいく。
「――村人全員の乗船を確認。バルデ、移動を開始しろ。」
「アイアイサー!ってな!」
船は地面を離れ、ゆるやかに浮上し、トラギエルへと進路を取った。
◆
アルビノの少女――エルミナは、ほうほうの体で小屋に転がり込んだ。
荒い息の合間に、さっきの男のことが頭を回る。
(――誰あれ!?村の人!?
でも見たことない。
大体あいつらは話しかけてこないし。
だったら山賊、とか?
わざわざ声をかけてくる?
冒険者、とか?
だったら逃げたのは失礼だったかも。
でも「男は狼、無暗に近づいちゃだめよ」ってお母さんが……
って、木の実落としてきちゃった……。
お昼ご飯どうしよう――。)
高速で思考を巡らせていると、ガサガサと小屋に近づく音が聞こえる。
(お、追っかけて来てる!?)
逃げ場はない。
いっそ、最後の抵抗で噛みついてやろうか。
そんな考えがよぎったが。
「多分そこにいるよな?……さっきは驚かせてごめん。
俺はリューラ。
魔法とか魔獣を研究している学者で、この辺の調査をしてたんだ。
たまたま見かけて、この辺のことを聞かせてもらおうと思ったんだ。
これ、さっき落としていった皿と木の実。
ここに置いとくから。
あと魚も置いとくから。良かったら食べてくれ。
本当にごめんな。」
それだけ言い残し、足音は遠ざかっていった。
外へおそるおそる顔を出す。
誰もいない。
地面にはさっき落とした木皿と、見たことの無い皿が置いてあった。
木皿の上には先ほど取った量より多い木の実が乗っており、皿の上には焼いた魚が2匹。
――ぐううぅ。
焼き魚の香ばしい匂いに腹の虫が鳴る。
皿を持って小屋に戻り、しばし見つめる。
知らない人から貰った物を食べて大丈夫だろうか。
――ぐううぅ。
腹の虫がさらに催促してくる。
もう、どうにでもなれ。
エルミナは焼き魚に齧り付いた。
「――んっ、んん!」
魚の程よい油が口の中に広がる。
鼻腔から抜ける油の甘味が心地よい。
「――んっ!、はむ……はむ……!。」
止まらない。
あっという間に1匹平らげてしまった。
2匹目にも歯を立てる。
「――はふ、はむ……うっ、うっ……。」
涙が零れた。
こんなにおいしい食事はいつ以来だろうか――。
あっという間に完食してしまった。
木の実は夜に残しておく。
エルミナは満腹感の中、さっきの男のことを思い出していた。
(――さっきの人、私のことを見ても怖がって無かった……。
学者って言ってたし、この”身体”のこと、何か知ってるのかな。)
ふと、昨日拾った小瓶のことを思い出す。
(これも、あの人が……?)
指先で小瓶を転がす。
細工が美しく、見ていて飽きない。
(もしあの人のだったら――お礼、言わなきゃ。)
久しぶりの善意が、胸の奥を少し温める。
(――世界中を旅してるのかな?
いいなぁ。私も、こんな場所から出て旅してみたい――)
『化物が!!』『魔女め!!』
『呪われた子!!』『お前の両親は、お前のせいで死んだんだ!!』
(――っ、何処へ行っても私は”化物”でしかない……)
『いつか、エルミナを受け入れてくれる人が、必ず現れるわ。』
(――お母さん。ねえ、その人は、いつ来てくれるの……?)