第2話
授与式から数日後、リューラはとある平原に来ていた。
歴代魔王が人間界へ侵攻する際に使った、と伝わる“ゲート”を確かめるためだ。
平原のど真ん中。そこには、幾何学模様の刻まれた黒い石柱が2本、静かに佇んでいた。
これがゲートとして機能していたのは、随分昔のこと。
”名無し”と人間の【勇者】が戦った際に破壊されたと言われている。
試しに小石を拾い、二本の間へ放る。……ころん、と通過して終わり。
「……柱部分は傷1つ無いんだけどな。」
過去に《鉱石学部》が調べた結果、この石柱の素材は魔界のものではないらしい。
では、人間界由来のものなのか?
しかし、そうなると新たな疑問が浮かぶ。
かつて魔界と人間界が繋がっていなかった時代、この柱がどうやって魔界側に運ばれたというのか。
この謎は未だ解明されておらず、《魔界七不思議》のひとつに数えられている。
もっとも、今回は柱の素材は関係ない。
柱に付与されているであろう魔法に用がある。
リューラが開発した空間魔法――その中でも、ゲートと同様の機能を持つのが《空間面を繋げる魔法》だ。
《空間面を繋げる魔法》はざっくり言うと、ある地点Aの座標と別の地点Bの座標を”=”で繋ぐ魔法のため、互いの地点に相手の座標情報を持つ必要がある。
もしもこのゲートが《空間面を繋げる魔法》と同じように人間界の座標情報を持っていれば、その情報を読み解くことで人間界に行けるかもしれない。
誰よりも先に未知の領域に触れられるとしたら、心躍らない研究者が居るだろうか。
少なくとも調べるだけの価値はある。
そう意気込んで、まずは左の柱を見てみる。
魔力を流してみるが、特に変化はない。
次に右側の柱にも魔力を流してみる。
こちらも変化なし。
両方同時に魔力を流してみるが、何も起きない。
これは予想通りだ。
《鉱石学部》の連中が調べた時も、魔力を流してみるぐらいはしているはず。
このまま魔力を流しつつ、柱の間の空間に《空間情報を解析する魔法》を使ってみる。
別空間との接続痕があれば、座標として残っているはずだが……。
膨大な情報の中から、座標に関する情報を探してみる。
……これは違う。
……こっちも。
「……ん?これか?」
それは見たこともない座標。
少なくとも魔界のどこかではないだろう。
途端に現実味が襲ってくる。だが浮かれて突っ込むのは悪手だ。
このまま未知の世界へ出発だ、と逸る気持ちを抑えて一旦冷静に考える。
これで繋いだ先がマグマの中や宇宙だとまずいため、準備が必要だ。
《空間の連続性を断つ魔法》――これをゲートの周りに展開する。
これでどこに繋がっても魔界に影響はない。
次に隔離空間の中にゴーレム(×3)を生成する。
――繋がった先が人間界だったとしても、周辺がどうなっているか分からないため【簡易ゴーレム】を探索に向かわせる。
「よし、やるか。」
リューラは隔離空間の外側に立ち、《空間面を繋げる魔法》を使った。
幾何線が淡く光り、空間が“嚙み合う”感覚。
開いた先は――薄闇の森。
「……はは、本当に繋がるとは。」
驚きつつも、ゴーレムたちを探索に向かわせた。
軽く周囲を調べさせたが、周辺は鬱蒼とした木々が生えているだけで、動く物はいないようだ。
次に空間を調べたが、空気中に毒らしいものはない。
ただ魔界よりも空気中の魔素が薄いようだ。
知識の中にある人間界の特徴と合致する。
ここが本当に人間界か、確かめるには踏み込むしかない。
好奇心に背を押され、リューラはゲートを越えた。
◆
木々の梢から昼の光が斑に落ちる。
森は湿り、土の匂いが濃い。
薄暗い森の中を探索してみる。
ゴーレムたちには一応、周囲を警戒させておく。
視界の限り草木が繁る。
《植物学部》の連中が見たら涎を垂らすだろう。
(お土産にするか。)
目に付く草木の一部を採取し、【亜空間】へと入れておく。
リューラの専攻は《応用魔法学》――研究内容は《空間》のため、研究は全て室内で行っており、これまでフィールドワークの経験は無かったが、未知の世界ということもあって存外楽しんでいた。
素材採取を続けながら、森の中を進んでいく。
こちらに来てそれなりの時間が経ったころ、目に付いた花を採取しようと屈んだ時にふと、目の端で何かが”動いた”。
そちらを見やると、こちらに向かってくる”影”が写り、突然”影”から狼が飛びかかってきた。
「うおおおおっ!?」
余りにも突然のことだったため、魔力操作も忘れて反射的に《火球を放つ魔法》を使った。
「ヴォッ!?」
火球に直撃した狼は一瞬悲鳴を上げ爆散し、その余波は周囲の木々を吹き飛ばした。
あたりは薙ぎ倒された木々と、魔獣の血肉が飛び散り凄惨な有様だった。
他にも動く”影”が見えたが、勝てないと悟ったのか急いで離れていく。
一瞬の出来事、何が起こったのか理解したリューラは、
「ッ、……オエェェエエッ……」
吐いた。
無様に吐き出してしまった。
不快感が口内に広がる。
◆◆◆
現代の魔族は命の奪い合いをしない。
ほとんどの魔族が魔法学園に属し、学園での戦闘が一切禁じられている以上、魔族同士で殺しあうことはない。
破った場合、死よりも恐ろしい目に合うため誰も破らない。
また魔獣も全て管理下にあるため、戦う必要が無い。
もちろん攻撃性のある魔法は学ぶが、あくまで魔法の基礎として習得する。
それを他者を害するために使う、まして命を奪うために使用することなどありえない。
現代魔族は箱入りなのだ。
◆◆◆
(……殺してしまった……惨い方法で……。)
胸の底に重い石が沈む。
初めて、自分の手で命を奪った。
(俺のせいで死んだ。
俺なら殺さずに済んだのでは?
《火球を放つ魔法》じゃなく、防御魔法なら。
あるいは俺の周囲に隔離空間を作れば。)
どれだけ考えても、目の前の結果は変わらない。
(……せめて、弔ってやらないと……)
飛び散った肉片を集める。
所々焼け焦げた肉、内容物が漏れ出ている内臓、多少原型を留めている後ろ足付近の部位。
骨や眼球なども集め終えたリューラは、また襲われないように隔離空間を展開し中に入る。
そして土を掘り返し、穴の中に集めた遺体を埋めた。
(……ごめんな。)
この世界でこれが弔いとなるのかは分からない。
だが、やらないよりはいいだろう。
少し冷静になって考える。
(――そもそもどうして襲われるまで気づけなかった?
ゴーレムの探知も、俺の魔力探知にも引っかからなかった。
”影”に潜っている間は魔力探知に掛からないのだろうか。)
改めて魔力探知を展開する。
これまでよりも小さい魔力も拾えるように。
すると、多くの魔力反応を感知する。
先ほどまでとは違い、魔力反応が動いているのがわかる。
どうやら全ての反応が、リューラのいる場所から遠ざかっているようだ。
◆◆◆
現代魔界では初等教育において、魔力量の伸長と並行して【魔力操作】を叩き込まれる。
日常的な漏出を抑え、研究に回せる魔力を確保するためだ。
また、高度な研究には精密な操作が不可欠。だからまず“制御”を学ぶ。
そしてリューラの魔力操作は完璧だった。
流石は魔王になるだけのことはある、といったレベルで魔力を漏らさない。
しかし今回の場合、その完璧さが仇となった。
魔獣は基本的に相手の漏れ出す魔力によって、狩るか逃げるかを判断する。
漏れは魔力量に比例する。
強い魔獣ほど盛大に匂わせる。
魔獣から見てリューラは、全く魔力が感知できないため“無害で美味そうな獲物”に見えた。
寧ろ、ゴーレムの方を警戒していたぐらいだ。
――ふたを開ければ、とんでもない怪物だったが。
咄嗟の魔法で、瞬間的に操作が乱れ、圧縮していた魔力がわずかに漏れた。
その“匂い”は、最強種たるドラゴンすら黙らせるほど濃く、冷たかった。
仕留められた魔獣は、あの世で叫んでいるだろう。
――こんなの詐欺だ!!
その余波は森全域――通称《魔の出ずる森》にまで走った。
森の魔獣たちが刹那、背骨に氷を差し込まれたような恐怖を感じ、
本能の全会一致で“逃げる”を選んだのである。
◆◆◆
リューラは土を均し、静かに立ち上がる。
ここが人間界かどうか――確かめる旅は、もう始まっている。