その14 憎悪と右目
「ロープとかも要らないよ、こうなったら手段は選ばないからね」
ひとり別行動を選んだカルマは、一つ下の階の適当なドアから窓を目指した。幸運にもそのフロアに人の気配はない。
時間の余裕もないので『爆破』の魔法で突き破る。外はもう真っ暗だ。『鬼火』の魔法を飛ばしながら、命綱無しで飛び出す。
「久しぶりだから上手くいくかな? 『噴射』!」
空中で使ったのは、両足から勢いよく炎を噴き出す魔法。姿勢制御と出力調整が難しい。失敗すると加速しながら地面に突っ込むことになる。
それがどうした? カルマは『噴射』で減速しながら最下層まで移動、たった一つだけ明かりの灯った部屋を目指す。
窓ガラスを吹き飛ばし、カルマは室内に転がり込んだ。
部屋の中には鎖で縛り付けられた裸の女。露出した肌は拷問による傷だらけで、椅子にもたれかかってぐったりとしている。
「お待たせしました姫君。お約束通り迎えに上がりました」
「う…………ネズミ、か?」
女が顔を上げる。近付いてみると、その美しい顔にもナイフの切り傷があった。あまりの惨さにカルマは眉をひそめる。
「さあ、今がチャンスです。戒めを解いて逃げましょう」
黒髪の姫君に優しく囁いて、カルマは魔法の火を灯す。『融解』の魔法が柔肌に食い込んでいた鎖だけを溶かし、姫の身は冷たい石畳に投げ出された。
どれだけ長い時間自由を奪われていたのだろうか、姫は立ち上がることもままならないままで、それでも気丈に顔を上げた。
「…………それでなんとする? 連中から逃れても、今度は貴様が妾を手に入れるのか?」
「美しい姫君を我が物したい気持ちは山々ですが」
彼女を利用すればゴーレムを止めることも可能だろう。そうして貰わねば困るのも確かだ。
だが、カルマに強要するつもりはなかった。こんなひどい目にあった者に、立ち上がり助けてくれとは言えなかった。
カルマは姫の手を取った。爪の剥がされた痛々しい手。治癒の魔法をかけながら、ひざまずいて手の甲に接吻する。
「貴女には籠の鳥より自由が似合う」
「ふんっ、口ではなんとでも言えようが……」
姫はカルマを振り払い、嘲けり笑い目隠しを外した。
『虚無守り』は視線の魔法を使う。その視線にさらされることは攻撃を受けることを意味する。
タウリヤが目隠しをしたのはそのためであると、カルマは信じていた。故に臆さず、どうされても受け入れるつもりで、堂々と目線を合わせた。合わせようとした。
「…………なんてことだ」
廃墟のような部屋に、カルマの嘆きが空虚に響く。目隠しの下にあったのは、深く、暗く、無惨な傷。
「貴様ら人間に光を奪われた妾に自由? 笑わせる、全く愉快だ」
声に籠もった憎悪の響き。両目を抉られた『虚無守り』の姫。
タウリヤは帝国貴族らしく亜人を差別していた。彼女にとってはこの、世界を守る偉大な存在もバケモノに過ぎない。だからといって、両目を抉るだなんて度が過ぎている。
そして、姫君の側から見れば。
カルマもまた邪悪で憎悪すべき人間の一人に相違ない。何よりカルマを傷付けるのはそんな事実である。であるが同時に。
「姫君、貴女には憎む権利があります。貴女の怒りは正当です」
カルマは報いを受ける覚悟があった。
ずっとずっと、犯した罪への罰が追い付いてくるのを待っていた。
「ですが一つだけ、ただ一つだけ言わせてください」
血を吐くように、どんな憎悪も受け入れる覚悟と、タウリヤの愚行への嘆きを抱えて、再び姫君の手を取るカルマ。
姫の冷たい指先を己のまなこに触れさせる。
「悪党外道は無数にいます。僕もまた、戦争でたくさん人を殺しました。そんな奴らと同じ穴のムジナです。
けれども……人間はそれだけじゃない。それだけじゃあないんです。優しい奴も、困った人を見捨てられない奴も、ちょっとはマシな、気の良い奴らもいるんです」
『虚無守り』は、他者の生命力そのものを糧と出来る。腕を失ったのならば、他者の腕を奪えばよく。脚を失ったのならば、他者の脚を奪えばよい。
そうする事で失われた部位を再生できる。永遠に生きる超存在であるが故の方法だ。
「この目を貴女に差し上げます」
目をそらしたくなるような、醜い醜い姫君の傷。その醜さは、人間の醜さ、邪悪さそのものだ。
カルマは、最後まで目をそらすまいとした。最後に見えるものが、その傷であっても構わない。むしろそれこそ自分にふさわしいとすら思えた。
「…………貴様のような下郎の目などと言いたいが、誇り高き『虚無守り』が捧げ物を受け取らぬ訳にはいくまい」
姫の冷たい指先が、カルマの右目に突き刺さる。激しい痛みの中にあっても、カルマは呻きの一つもあげない。
その痛みすら、カルマには必要なものであった。
「うむ、意外と見れる面ではないか」
斜に構えた声。赤い光が姫の右目部分に凝縮し、傷などなかったかのように形の良いアーモンド型の目を作り出した。
瞳の色は明るいオレンジ、カルマはひどく落ち着かない気分になった。よく知っているような、違和感ばかり強いその美しい眼差しに言葉を失った。
「ええと、あー……右目だけで良かったのですか?」
「左も奪ったら案内できんではないか、わざわざ妾を助けに来たと言うことは、あの女が妾の目を使ってゴーレムを起動したのであろ?」
右目がひどく痛んだが、カルマは気にしている暇はなかった。
「恥ずかしながら……」
「ならば急げ、カルマ・ノーディ。妾にちょっとはマシな連中を紹介するのではないのか? ん?」
カルマは頷いた。名前を覚えていてくれたのか。
「後でもっと良い服を用意いたします。今はこれでご容赦を」
「よい、許す」
カルマは上着を脱いで姫に羽織らせ、ほどけた目隠しで彼女の左目を縛った。自分の右目がこんなにも、叫びだしたくなるほど痛いのだ。彼女もまた激痛を堪えているに違いない。
これほど深い傷に対しては痛み止めにしかならないけれど、治癒の魔法をかけ、恭しく右手を取った。
「それでは、少し荒っぽく行きます」
「冗談の上手い男じゃ。妾は貴様らよりはるかに頑丈じゃぞ?」
「それでもレディではありませんか」
カルマは姫を抱きかかえると、窓から身を投げ『噴射』を使った。火力に制限はしない。一飛びで目的の層まで達する。
「あっ」
その時。激しい風が絶壁を駆け下りて、カルマの山高帽を舞い上げた。両手は姫を抱いていて、帽子を止める術はない。
カルマの躊躇いは一瞬だけだった。振り返りもせずに飛び続ける。大事なのは過去じゃない。今だ。今なんだ!
急ぎ探せ! 最上層に飛び込める窓を!




