その08 恐怖と正体
「全員、盾構えッ」
「メリーくん、帆を立てて」
「メリルですっ!」
律儀に反論しながらも帆布を立てて自分とエイベルを守る盾にするメリル。
気が付けば、周辺の木々には無数の気配があった。
「イーク、降りろ!」
ディリの警告が飛ぶももう遅い。左右から飛んできた無数の石つぶてが一向に襲いかかった。
盾で身を守った部下たちと、アガスが庇ったカルマはかすり傷で済んだ。帆布に守られたメリルとエイベルは、石もほとんど当てられずに無傷である。
しかし、馬上のイークには複数の石が直撃し、堪らずに転げ落ちた。
「イーク!」
「武装してやがるな、槍で刺せ!」
野太い声が冷酷に指示を出す。カリュオ側の麓を縄張りにする山賊だろう。
殺意に目をギラつかせた汚いなりの男たちが、長槍を手に躍り出てきた。訓練された動き、手慣れた戦術。
問答無用で殺して奪うことを日常としてきた動き。
「馬車の上のは殺すなよ! 女子供だ!」
「イヒー! お楽しみだな!」
ギラつく穂先がイークを狙う。飛び出すディリ、倒れたイークを助け起こして、カルマたちに突き飛ばす。
「逃げろ!!」
「隊長!?」
哀れなディリが刺し貫かれる姿を、誰も彼もが幻視した。一人を除いて。
「君もだ、ディリ隊長!」
カルマが指を鳴らす、指先から鬼火が尾を引いて走り、山賊どもとディリの間で爆発した。
突然現れた炎の壁に、山賊たちは腰を抜かす。
「カルマ……!」
「早く早く! 『霧』まで逃げるぞ!」
「いや、悪霊どもが」
「いいから!」
前門の山賊、後門の悪霊。進退窮まったこの状況で、それでもカルマは諦めない。
ディリの手を引き一同を追い立てる。イークはアガスが担ぎ、彼の馬も負傷しながらもついてくる。
「どうするんですかカルマさん!?」
白浪号にムチを入れるメリル。背後からは無数の怒号。大勢の山賊たちが追いかけて来る。
「三十人以上いますねぇ、落ち武者でしょぅ」
「ディリ隊長、アンタはあそこまで堕ちなかった! 少なくとも、部下や仲間を暗いところに落としたくなかった! だから平気だ! やり直せる!」
ツバを飛ばして熱弁するカルマ、その目に浮かぶ痛みと後悔。
「カルマさん! 火傷したやつは居ても死人は居ません!」
メリルの言葉に、明らかに安堵するカルマ、自分たちを襲った山賊の命を心配したのか。
いや違う。ディリはカルマの手が震えていることに気が付いた。彼は恐れているのだ。強力な魔法使いでも、その力で人を害してしまうことを。
ディリは理解した。いつか来る『報い』の時まで、やり直しをしているのはカルマも同じなのだ。
「どうするつもりだ、カルマ?」
「やりたくないが……あれはアイツらの『報い』だろう?」
前方から腐乱した卵のような悪臭がただよってくる。汚れた黄色の霧が道幅いっぱいに広がっていた。
『—–—ドコ』『—–—ドコ』
「『アイツら』だ!!」
『紛失霊』がカルマの言葉を理解したのか、それとも単に反射的な動きだったのか。
道の端に身を伏せた一同を無視して、悪霊たちは一斉に山賊に襲いかかった。
『—–—イタ』『—–—イタ』
『—–—カエセ』『—–—モドセ』『—–—ワタシノ』
そこからは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。巨体が腕を振り回す度に、山賊どもが宙を舞った。
槍も石も通用しなかった。巨大な暴力がひたすらに、復讐の炎となって荒れ狂った。
「あー…………全員生きてる?」
「生きてる」「あはは。びっくりしましたねぇ」「生きてます」
「死ぬかと思った」「チビッた」「俺も」「言うなよ」「汚い奴らだ」「痛えよお」
いつの間にか霧は晴れ、『紛失霊』どもは姿を消していた。
山賊たちはほとんどが大怪我をして、残りは死んでいた。カルマは困ったように頭を掻いた。
「これ、放置したら悪霊とかひどいことになるよね、エイベルさんなんとかなる?」
尋ねられたエイベルは、小首を傾げて考え込む素振り。
重いまぶたで眠そうな顔で、大きな口を笑みの形に。
「あはは。高いですよぉ?」
「御冗談を」
何が何だか分からないディリたちとメリルの前で、エイベルは手荷物から銀の聖印と長剣を取り出した。
長剣は叙勲された騎士や、爵位のある貴族のみが持つことを許されぬ身分証明書である。そして、銀の聖印はホリィクラウン法国における高い地位を示していた。
「所で、仲介料とかもらえるのかな?」
「あはは。山賊と怪物退治の報酬ではなくてですかぁ?」
「だって僕は商人だもの。護衛はしても退治は仕事じゃありません」
「あ! エイベルさんて、もしかして!」
ようやく事態が飲み込めてきたメリルが驚きの声を上げる。
「あはは。腕利きで信頼できる戦士の紹介料として、少し包むことならできますよぉ。
ディリさんたちには報奨金を出してぇ、ついでにこの後の山狩りに付き合って下さるならお願いしたいですねぇ」