その13 勝算と希望
「これを見ろ」
「うわ……」
穴だらけになった鎧と服を脱いで、肌をあらわにしたアガス。背中と胸に二列の深い傷が無惨に並んでいる。
非常階段で人心地ついたとはいえ、状況は目も当てられない。アガスの傷は深い。治癒の魔法と本人と耐久力とで平然として見えるが、一つ一つの傷が深く、挟まれた部位はひどいアザができている。鎖骨や肋骨にヒビも入っているだろう。
「ここ、穴がないですね」
「どういう事だ?」
「ほら、このあたり」
臆さずに傷を確認していたメリルが指さす、二列に並ぶ傷跡の一部が欠けていた。あざはあるが、鋭い刺し傷がない。
「溶岩鋼の剣なら、削れるのか……!」
リディオの言葉に無言で頷くアガス。そこは、リディオが鍔迫り合いした所だ。
龍鱗の穂先と、溶岩鋼の剣ならば戦える。一同の心に希望の灯が灯る。
「…………カース、音声入力やったで」
「ケヒャ?」
萎れていたキャロルが顔を上げた。ハンカチで目元を拭いながら、出口の向こう、こちらを探しているだろうゴーレムを睨みつけた。
「あ、それと視覚に頼ってますね。首をまわして相手を『見て』ました」
「魔力視野とか熱感知じゃないんだな」
「バカ、それじゃあ邪神の眷族相手になんねーだろ」
ある種の感知魔法を使うと、生物は魔力でうっすらと覆われて見えるという。しかし、この方法では『霧』を目の前にすると目の前が魔力で一杯になり何も見えなくなってしまう。
そして、熱感知では死体や悪霊を感知できない。
「つーか、どうやって動かしたんだ? 俺の後ろの連中がありえないって騒いでんだが」
「後ろ……?」
「ミハエルは『未練清算人』なんだ」
「そら珍しいなぁ、難儀しとるんとちゃうん?」
「生きてる奴らよりよっぽどマシな連中だ」
死者の声が聞こえることは便利なばかりではない。むしろ、心を病む者が後を絶たない。他人の憎悪や悲しみに触れることは健全な魂を毒していく。
「よく分からんけど、えらい剣幕で登って来て、端から何かをかざしてはエラーされてたんよ」
「…………何かしらの、ゴーレムの起動に使える道具を見つけてきたのか?」
「そんなものは知らんってよ、単独でゴーレムを起動できるのはお姫様だけだって騒いでるぜ」
お姫様。カルマは顔を上げた。
下の層に捕らえられていた女性。彼女のことだろうか。
「ケヒャ? もしかして、放置しとくとどんどん敵が増えるって事でやんすか?」
「せやね」
休んでいる暇はない。アガスが包帯を巻くメリルを止めた。どのみち、この傷では前には立てない。
援護に徹することにしたのか、折れた柄をカースに差し出した。龍鱗の穂先と繋いで、手持ち武器としても取り回せるようにする。
「キャロル、魔法が使えないんだって?」
「恥ずかしいわぁ、おもろいやろ?」
「僕は人を撃てない」
虚を突かれたかのように目を見開くキャロル。何か言おうとして、口を噤んだ。
「ダウリヤをこ……殺せれば、アガスは怪我をしなかったし、もっと速く片が付いただろうね」
カルマに言わせればタウリヤは隙だらけだった。カースと連携してタウリヤだけを狙えば、簡単に殺すことができただろう。
「こないだ全然知らない子に『まだ戦争をしてるつもりか』って、言われてさ。
その時はムッとしたし、後でも思い出しては苛つくんだけど……。
でも、本当は分かってるんだ。
僕の魂の一部分は、まだあの戦場にこびり付くみたいにして彷徨っている」
「…………ほんで?」
不貞腐れたような顔で、キャロルは続きを促した。キャロル自身もまた、魂の一部分を戦場に置いてきてしまっていた。
「でも、一部分だけなんだ。僕の大部分はこっちにあるんだ。
今の僕を作っているほとんどは、メリルくんや、商人としての時間や、他の色んなことで出来ている。
だから……ええと、その…………」
考えなしに喋っていたために、最後まで言葉が出てこなかった。まごつくカルマを、キャロルは髪を掻き上げながら鼻で笑った。
「アホらし、それで何を言いたいのん? 僕もがんばってるからウチもがんばれて?」
「姐さん……」
カースが取り持とうとするのを振り払って、キャロルは笑い飛ばした。泣きそうな顔で。
「せやかてウチは! ウチの『今』は! エマは死んでもうたんよ!!」
「それは……」
今度はカルマが絶句する番だった。エマは、あの蟻人は身体を両断されていた。あれでは即死だろう。
「ウチかて、そないなこと分かっとるんよ! カルマみたいなオタンコナスに言われんでも!
ああ………エマに、あんなんやない、もっと違うた名前を付けてるんやった……エマ……堪忍、堪忍な…………」
大粒の涙をボロボロとこぼし、虚空に向かって謝罪するキャロル。言葉をなくす一同の中で、ただ一人その虚空に向かって口を開く者がある。
「で? エマって誰? 知らない? いや、そこら辺にいるだろ? 呼んで来いよ。
…………んちょっとさ、その人いつどこで死んだんだ? 見当たらねーんだけど。そもそも人か? 本当に死んでんだろうな?」
デリカシー皆無、疑り深そうに睨み上げるミハエル。髑髏の面に一瞬気圧されるキャロルだったが、すぐに彼が何者なのかを思い出した。
「…………え? あ! さっき上の層で、エマは蟻人なんよ」
「ミュル……蟻人〜!? お前そりゃ義体が破損して活動停止してるだけなんじゃね?
使徒級でも魂はあるから死んだらこっち来るぜ?」
使徒級とは、『虚無守り』や蟻人のように神話時代に六龍が作り出した高位の眷族のことである。
「ほ、ほなエマは……?」
「さっさと回収して修理できる奴を探さねーとだな」
「ケヒャ! 聞きやしたか、姐さん!」
飛び上がらんばかりに喜ぶカース、キャロルは鼻をすすってそっぽを向いた。
「エマのために、ウチもやれるだけのことはやるさかい」
「じゃあキャロル、こっちの指揮は頼めるかい?」
「あれ? カルマさんはどうされるんですか?」
首を傾げるメリル。カルマは茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。
「正規の方法で、ゴーレムを止めることにするつもりだよ」




