その07 千客万来とネズミ
「やれやれ、日が暮れてしまったな」
「お前が防寒具を選ぶのに手間取っていたからだ」
「ミハエルの足が短いからだろう?」
「ブッ殺す」
こんな日に限って千客万来だ。胡乱な風体の二人組に、守衛の男は困り果てた。
もう日が落ちる。村に入れないと伝えるのは死ねと同意である。
「あんたら、この村は旅人が来るような場所じゃあない。村であると同時に一つの工場みたいな場所なんだ。
悪いけど宿もないし、見られたくないものもあるから中には入れられない。今晩は守衛室を貸してやるから」
これが最大限の譲歩だった。もしもこいつらまで中に招き入れてしまったら懲罰を受けかねない。
タウリヤに何をされるのか、想像すると怖気が走る。
「リカコー山脈に村はここしかない。オレはクロウラ。この村のドワーフ、ヴィグラの親友だ。
あのバカは、キノコに当たってくたばっちまった」
「…………え?」
髑髏の面をかぶっていた小男が、フードと面を脱ぎ、その天使のように美しい顔をあらわにした。
厳粛な表情に守衛は心を打たれる。なんだって? この村のドワーフ? まあ、そりゃ外に出稼ぎがいてもおかしくはないけれど。
「出身地は聞いていたからな、せめて遺品を家族に届けたくてここまで来た。
あいつがどれだけ良いやつだったかを話したいんだが……家族に会うことも難しいのか?」
「え、ええと……ええと……」
「わざわざここまで来たのになー」
背の高い方の男が、残念そうに言いながら荷物を下ろした。守衛の心に罪悪感が降り積もる。ここで断るのは人道に反していた。
「う、上の者に確認を取るから……少し待っていてくれ、あ……そ、そうだ。
その、大したこともできないが、外は寒かったろう? 良かったらこれでも飲んでくれよ」
とりあえず、ポケットに忍ばせていた酒を握らせて、守衛は逃げ出すように昇降機に向かった。
なんで今日に限ってこんなに問題ばかり起きるんだろう!
「うっ」
「…………おや、どこのネズミかな?」
断崖絶壁を伝い、明かりの灯る窓に近付いたカルマは、気取られないようにこっそりと中を覗いた。
その瞬間に漏れてしまった声を聞き咎められ、部屋の中で椅子に座った女が面白がるような声を上げた。
荒れた部屋であった。無事な家具はほとんどなく、汚れ放題。窓は割れていてそのせいで声が届く。
しかし、そんな事よりもカルマを呻かせたのは女の姿である。
「貴女の美しさに引き寄せられた哀れなネズミにございます…………この村の代表の方ですよね?」
「それを聞くということは、連中の仲間ではなさそうじゃな」
鴉の濡れ羽色の美しい黒髪に、抜けるように白い肌、息を呑むほど完成されたボディライン。
しかしその女は、分厚く冷たい鎖で縛られていた。隙間風が入り冷え切った部屋で、衣服は剥ぎ取られて柔肌に食い込む鉄の枷と鎖。目は布で覆われ、身体は椅子に固定されている。
そして、裸の胸に痛々しく残る複数の傷跡。カルマはそれが何による傷か知っていた。
「今、お助け致します」
「やめよ、近寄るでない。貴様は連中と敵対するものかもしれんが、それで? 妾を奪って連中との交渉にでも利用するのか?」
「まさかとんでもない!」
純粋に惨状を見ていられないのだ。しかし女は冷笑で返してきた。
胸の傷は鈎のある鞭によるもの。拷問傷だ。
「それとも貴様は、妾が何者かも知らずに来たか? ならばやはりすぐに去るといい。バケモノを助けたと後々後悔することになるぞ」
「…………?」
バケモノ? この女性は己をバケモノと呼んだのか? 何者だ。カルマは訝しんだ。ただの代表者ではない? この遺跡に隣接した村の、遺跡側の部分と深く関係する何かがあるとか?
だが、少なくとも一つ。カルマにとって確かなことが、大事なことがあった。
「貴女が一体何者でも、本当はこの村の関係者でもそうでなくてもいい。僕はただ、傷付き縄を打たれた貴女を放置できないのです」
「もしも妾がこれに相応しい罪人であったらいかにする?」
悪党を、例えば殺人鬼を野に放つことになるとしたら? カルマは失笑した。
「法に背いた罪人ならば、法で裁くのが道理でしょう? 縛り付けて拷問にかけるようなやり口は、どんな理由をつけても許されることではありません」
「ハハッ」
女が笑う。馬鹿にするかの様に、あるいは呆れたかのように。
「骨の髄までとはこの事か。しかしネズミよ、やはり急ぎ去るべきじゃな」
「なぜ?」
「『連中』が来る」
カルマからは、窓側からは気配すら分からない。しかし、女の言葉は警告だ。『連中』と鉢合わせたらカルマが危険であるだろうと判断し、味方をしてくれたのだ。
「僕はカルマ・ノーディ」
「…………」
「名前も知らない姫君、必ずや助けに戻ります」
「さっさと消えよドブネズミめ、もう来るな」
女の口元が綻んだ。少なくともカルマにはそう見えた。そのまま外壁に張り付き、息を殺して部屋を盗み見る。
姫君はすぐに口元をきつく結んだ。身にまとう気配すら硬質に変わる。何もかもを拒絶するかのように。
「誰と話していらしたのかしら? 悪霊の類? それとも虫けら? 本当に気持ちの悪いバケモノ。舌を切り取って獣のエサにされたいのですの?」
残忍で高慢な声が、割れた窓から漏れ聞こえてくる。拷問用の鞭を片手に現れた赤いドレスの女、タウリヤだ。その横には武装した屈強な兵士が二人。
カルマは呼吸を整えた。やれる。やれる。たった三人だ。不意をついて、炎と煙で撹乱して…………。
「う、うぅぅぅ……」
背筋を悪寒が駆け上がる。胃が蠕動し、ベタつく汗が吹き出てくる。酷い吐き気。足元が覚束ない。上下感覚がなくなり、カルマは慌てて頭を振った。ここでめまいなんて起こしたら落下しかねない。
己の卑小さと惨めさに、カルマは叫びだしたかった。しかしそれでは、逃がしてくれた姫君の好意が無駄になる。
上に戻るのだ。そしてこの村で何が起きているかを調べなければ。
必ず戻る。
快楽に塗れたタウリヤの笑い声が、くぐもった姫君のうめきが、カルマの心をズタズタにする。
カルマは屈辱の中で心に誓った。
この場で戦えずに逃げ出す罰に、手足の一本や二本差し出してもいい。必ずやここに戻って、彼女を助け出す。カルマはそう心に誓った。




