その07 悪霊と報い
一同は言葉少なく残りの道を進んだ。
日はだいぶ高く、山道はなだらかな下りになっていて、この道の終わりも近いのが否が応でも理解できた。
「全員走れ、メリルくんは荷馬車に乗って!」
やおら、カルマが緊張した声を上げた。彼の視線は森に向いている。
「なんだ?」「魔獣ですか?」
「『霧』だ」
「『霧』?」
全員の顔に緊張が走る。こんな昼間から、『霧』だなんて!
ここで言う『霧』は、もちろん自然現象としての霧ではない。本来の霧は、湿度の高い雨などの翌日に気温が上がることで発生する。
しかしこの場でいう『霧』は魔法的な存在だ。
邪神の眷族が日の没した夜間に出没するのは常識であるが、時に奴らは日中にも現れる。
それが『霧』。邪神の色に対応した汚れた霧に紛れて、日中でも眷族が蠢く邪悪の結界。
「色は黄色、『黄昏の愚か星』だッ」
四柱の邪神の真なる名は伏されている。それを口にすることそのものが不吉だからである。
代わりに呼ばれるのが通称である。『黄昏の愚か星』は『黄昏の邪神』『アンデッドの王』『贋作の達人』『腐肉の巨人』『偽造者』『不浄王』『安らぎを許さぬ者』『始まりの錬金術師』などの異名を持つ。
その名が示す通り、『黄昏』は動く屍、いわゆるアンデッドを眷族に持つ。そして、錬金術と呼ばれる贋金をつくる技法にも長ける。
司るのは『欲望』であり、誰もが求める不老不死と金銭欲を歪んだ形で叶えるのだ。
人々にとっては最も身近な邪神である。
それもそのはず。死んだ隣人をねんごろに弔わなければ、夜中に眷族にされて起き上がってくるのだ。最も身近で、最も恐れられる。
『—–—ドコ』『—–—ドコ』
森が割れ、胸が悪くなるような悪臭を放つ黄色い霧が膨らんだ。
内側で体長4メルトを越す巨大な何かが蠢くのが見える。
「あはは。『紛失霊』ですねぇ。あのサイズはなかなか」
「走れ、走れ!!」
エイベルが呟く、その声でディリたちは正気に戻った。背中を押すカルマに急かされて、大急ぎで距離を取る。
部下たちを急かしながらも、一瞬動きを止めたディリ、その背をアガスが押した。
『—–—ドコ』『—–—ソコ?』
黄色い霧が背後の道いっぱいに広がる。内側では何体もの巨体がのたうつ。
それは比較的人間に似たシルエットを持つ悪霊だ。足は普通の長さだが、手ばかりが異様に長い。顔面は口しか無く盲目で、音に敏感だ。
『紛失霊』は名前の通り、生前失った何かを探している。多くは自分の首や手足である。だが、盲目であるため見つからない。そもそも奇跡的に見つかったとしても、彼らには理性はない。判別する知能もない。
複数の『紛失霊』が集まると、身体が肥大化して手の数が増えていく。
4メルト級の『紛失霊』の手の数は数え切れない。十人分以上の悪霊の集合体だ。
それが、複数。
「戦場でもあんなにデカいの見たことないぞ!」
「そりゃ戦場じゃ可能な限り弔うからね!」
青ざめるディリ、唯一馬に乗るイークが、馬車を引っ張って走っていたメリルを抱えた。
白浪号の手綱は代わりにカルマが引っ張る。
『—–—アッタ?』『—–—ドコ?』
「うわ、気持ち悪ッ!」
無数の手で奇妙な高速移動をする『紛失霊』。
人間が走るよりも遥かに早い。
「追い付かれます!」
「あはは。平気ですのでそのまま走って下さぁい」
こんな時でも間延びして、平然とエイベル。後ろを見る余裕があるのは、彼女とメリルだけ。振り向いては速度が落ちる。全員必死で走っていた。
しかし、『紛失霊』が早すぎる! 道幅いっぱいの巨大悪霊が三体。雪崩のように追撃してくる。
…………だが、その動きが急に止まった。
『—–—ドコ』『—–—ドコ』
「悪霊は日に弱いのでぇ」
「『霧』から離れすぎたんだ!」
巨体がみるみる溶けていく、『紛失霊』たちは大慌てで来た道を戻っていく。
霧に戻ればまた身体が再構築されるのだろう。
「…………全員無事か?」
「無事です」「驚いたね」
ディリの言葉に、彼の部下たちが荒い息で応える。
「…………隊長、あれは違うぞ」
そんな中で、メリルを下ろしながらイークが真剣な顔でそう言った。
「何が違う?」
「あれは、隊長の『報い』じゃない」
「…………」
『紛失霊』に出会った時に、ディリは一瞬躊躇した。それを、イークは見ていたのだ。
「隊長が最後に人を殺したのは……」
「言うな」
彼らは敗残兵か逃亡兵か。いずれにしてもその手は血に濡れている。
それでもやり直せる。カルマのように気軽に言うなど、ディリには不可能だ。
「お尋ねしますがディリさん、山を越えてくる旅人はどれくらいおりますかぁ?」
「ん? 山を越えて……? いや、カリュオ側からの旅人は基本的に見かけないが」
エイベルの問に、ディリは訝しげに頭を振った。イークも、部下たちも同様の顔だ。
「なるほどなるほどぉ、では山越えの商人や旅人はこの近くで殺されているという事ですねぇ。あはは」