その02 どっちが強いのか
「バロード様とジンのどちらが強いかは永遠の議題よね。まあ、あたしはバロード様派だけど」
ジンとバロードはその生涯においてライバルであったが、結局雌雄を決しなかった。理由については諸説あるが、両者ともに鬼籍に入っている以上、真実もまた墓の下だ。
練習試合や喧嘩のような打ち合いは日常茶飯事。しかし、命のやり取りまで進展した回数は五回に満たず、その上必ず邪魔が入り、決着は着かず仕舞い。
バロードの自伝にはジンには勝てないという記述があるが、研究者は誰も信じていない。
自伝を書く上でのバロードは普段の自信は鳴りを潜め、恐ろしく謙虚に自省して他人を褒め称える。
これは、没落した二つの道場の名誉回復のためでもあるのだろうが、執筆の多くに愛する妻コーラルの手を借りているからだと思われる。
バロードは普段から礼儀正しく慎み深い男であったが、妻の前ではより一層だった。
彼は自分の強さを誇るよりも相手の強さを称える者こそ格好いいと考えていた節があり、七番勝負のほとんどで「幸運だった」「次に戦ったらどうなるかわからない」などという言葉を並べている。
「前から思ってんだけど、無意味な議論だよな」
「ええ〜?」
バッサリと切り捨てるメリアに、コーが不満たらたらな顔を向ける。スィはさも当然だとばかりに頷く。
「お父さんが最強だからです」
「ファザコンは置いておいて。大事なのはタイミングだ。少なくとも、四巻の段階ではジンの方が強い。だが、オールガス侵略戦争の際にゃ逆転してる」
メリアの断言にコーが困惑の目を向ける。
「バロードが自伝で書いている通りだ。最初はジンが圧倒的に上だった。才能じゃ絶対的だからな」
バロードの自伝の序盤には『追っ手と出会う前にジンと出会って良かった』と書かれている。
『あの武術大会での優勝は、愛の力が成し遂げた奇跡だっただけ』『ジンとの出会いは私の伸び切った鼻をへし折った』『ジンと出会わなければ本格的な鍛錬を積もうともしなかった』『そして、最初の決闘で命を落としていただろう』。
ジンの戦い方は我流、乱暴で粗野だった。
しかし、パワー、スピード、センス。どれを取っても人間離れしていた。
「なんでバロード様が上回ったって思うんですか?」
「本人が言ってたんだよ『アイツに追いつかれそうだ』って。隠れて剣の型とか足運びとか、そういう『普通の努力』をしてるのを見た時にな」
バロードは努力の人でもある。天賦の才覚に恵まれていたのは事実だが、たゆまぬ努力と強敵との立ち合いで、剣聖と呼ばれるまでになった。
対してジンは努力などしない。ひたすら恵まれた才能だけの剣士だった。その時までは。
「バロード様に勝てなくなってるから訓練してたってこと!?」
「そうだよ。バロードの自伝のどっかにも、ジンに歩行術を盗まれて舌を巻いた話があるだろ? 訓練せずに見ただけて盗んだのなら本物の天才だ許せないってあったよな」
「ありましたね、それを実はコッソリ練習してたんだ。うわー、見方変わる」
「お父さんが最強です」
研究者たちはジンとバロードのどちらかを贔屓しがちで、どちらが上だったかを決めたがる。しかし現実的にはメリアの答えが真実なのだろう。
両者は互いに負けじと切磋琢磨を続けていた。結局はその関係こそが二人を最強たらしめた原因であり、常にどちらかが上ではなかったからこそ、決着がつかなかったのであろう。
キャッキャと盛り上がる女たち、カクタスはその姿をぼんやり見ていた。何しろ彼は、強さというものに縁がなく、興味もなかった。
そう考えると、不遇な境遇で力に飢えてきたコーが力に憧れるのも納得だろう。彼女は自分だけを助けてくれる王子様を求めているのだ。
もちろん、カクタスはそんな事を知る由もないのだけれど。
「ええと…………」
カクタスは会話に加わろうとしたが、聞きたいことが思い付かずに首をひねった。
いや、ジンとバロードのことで、そういえば、気になる点がある。
「ふたりは、ながいき……したの?」
「したよ、剣士にしちゃあり得ないくらいに」
剣に生きる者たちが命を落としやすいのは当然である。しかも、ここ五十年は戦乱続きだ。
「しかも二人ともベッドの上で死んでる。戦場では誰も彼らを殺せなかったのさ」
カクタスは安心したように息を吐いた。コーもスィも、詳しく話さない程度の分別はあった。
バロードはいい。妻コーラルが63歳で亡くなったのは老衰だ。彼は妻の葬式が済んだ翌日に、後を追うように息を引き取った。
問題はジンである。
カルマ四巻でもそうだったように、ジンは酒癖が悪い。彼はそこをつけ込まれ、酒に毒を盛られた。
生き残ったメイドの証言によると、ジンに毒を盛った貴族は、とどめを刺すべく部下を差し向けるも、致死量の毒を飲んで身動き出来ないはずのジンはムクリと起き上がり、貴族も部下も斬り殺されたという。
二十人以上を野菜を切るかのように斬り伏せたジンは、そのメイドに朝ごはんのリクエストをして貴族のベッドで眠り、そのまま二度と目を覚まさなかったという。
『天冥戦乱』の時期なので、約二十年前だ。
バロードは自伝に『自分とジンは常に最強の敵と隣り合わせだった。それはとても幸運なことで、外敵に対しては最強の仲間が背中を守ってくれるということに他ならなかった』と書いている。
ジンの死因はそういう事だった。




