その07 魔法使いすら匙を投げる
洗濯は極めて手間のかかるもので、平民の場合毎日は行なわない。
それどころか、同じ服を一週間着続けるなどザラであり、であるならば当然洗濯する回数も少ない。
女性の仕事の一つに『洗濯婦』というものがある。名前通り、人の代わりに洗濯をする商売である。
彼女らは洗濯物を集め、洗うことで生計を立てる。副業で行うものも多い。
『洗濯婦』もメリアの屋敷のコーも、まずは洗い物を分別する所から始める。
普通に洗っていいもの。少し汚れが強いもの。とても汚れが頑固なもの。
頑固な汚れ以外は、かまどの灰で軽くこすり洗濯桶で踏み洗いとなる。少し汚れが強いなら、こする時間と力を増やす。
あまりに頑固なものは石鹸を使うが、石鹸は高価なのでほとんど使用する機会はない。
そして、洗濯はどれだけ手間でも手を抜くのは難しい。『消毒』や『浄水』という魔法は存在するが、魔法で洗濯をする位ならば手作業のほうが早いのが実情。
何しろ洗うだけではない。汚れた水を絞り、清潔な水にさらし、さらに絞って脱水し、干さねばならない。
一つ一つの作業を代用する魔法はあっても、全部を一人でこなすのは難しい。
貴族の屋敷でも、王様のお城でも、結局下女が手洗いするのが通例であった。
そしてこの洗濯。力仕事でもある。
「アンタねぇ……男の子なんでしょ、もう少し頑張りなさいよ!」
「う、ぅぅう……」
どれだけ言われても無理なものは無理。非力なものは非力だった。そもそも兎人は重いものを持つことに向いていない。
籠いっぱいの洗濯物を土間から庭まで運ぼうと苦心するカクタス。ほぼ同量荷物をノシノシと運ぶコー。
「急がないと濡れる一方よ、だからしっかり絞らないと重いって言ったのに」
「う…………ぅぅ……」
濡れた洗濯物から滴った水が、着替えたばかりのエプロンドレスをじわじわと侵食する。
仕方がないのだ。そう言われてもカクタスだって一生懸命に絞った。しかし筋力と体重が圧倒的に不足している。
洗濯物は斜めにした桶の片側に寄せて、ぎゅうぎゅうと押し絞る。何度でも言うが必要なのはひたすらに筋力と体重である。
カクタスの抱える洗濯物の分量はコーのそれに比べても少ない。少ないが含んだ水の量は段違いだった。
水分が多ければ、当然洗濯物は重くなる。脱水の不足がそのまま次の工程に響いていた。
「今日は服だけだから楽なもんなのよ! カーテンとかシーツを洗ったら大変なんだから!
まっ、そういう場合はヘンのいる日を狙うんだけどね。アイツ、バカだけど力はあるからさ」
実際ヘンは、大人顔負けの力自慢だ。コーは性格的に同格以下を褒めるなど滅多にない。つまり、コーなりにヘンを認めていてその能力を買っているという意味である。
「ん…………ぅぅ…………あの」
「なによ」
カクタスはヘンを馬鹿ではないと思っていた。馬鹿と言うのはカクタスのような奴を言うと思っていたからだ。
しかし、コーの剣幕に押されてなんと言えばいいか分からなくなってしまった。こう言う点が馬鹿なのだと考える。
「言いたいことがあったら言いなさいよ、トロいんだから!」
「…………ぅう」
返す言葉もないカクタス。二人は庭の中でも南向きの開けた場所へ向かう。
そこには木製のベンチがあり、近くに杭が何本も打ち込まれていた。杭は高さが150セルトもあり、先端はT字になっている。
抱えていた洗濯物をベンチに下ろすコー。その隣にカクタスも置く。
「ちょっと! 濡れるから少し離してよ」
「…………はい」
カクタスがずらしている間に、コーは杭の一本にかかっていた麻紐を手に取る。
端が輪っかになっている麻紐を、洗濯物の袖に通す。ただ引っ掛けるだけでは洗濯物が風で飛んでしまいかねない。袖がある服は洗濯紐を通して飛ばなくようにするのが一般的だ。
手ぬぐいやカーテン、シーツを干す場合は、木を紐でくくったピンチを使うが、破損しやすく作るのに力がいるためコーは極力袖を通す。
「おん!」
「あ、白いやつ! また来たわね、遊びじゃないのよ!」
小型犬のシロが短い尻尾をちぎれんばかりに振り回しながら小さく鳴いた。犬たちは敷地内を放し飼いにされている。
「アンタ、その輪っかを杭の突起に引っかけて……違う違う! そこじゃ引っ張ったら落ちちゃうでしょ! そう! そこ!」
麻紐をピンと張り、コーはぐっと力を込めてねじる。
「ちょっと見てなさい。一度で憶えられるもんじゃないけど」
麻縄をねじり、輪を作り、巻いて巻いてねじり、巻いて。コーは隣の杭に巻き付けた。ほどけず、きつく締め上げることができ、そして要領を知っていれば簡単にほどける結び方。
「アンタの分は重そうだからピンチで止めるわ。もう一回、今度はゆっくり巻くわよ」
ロープの動きを丁寧に、ゆっくりと見せるコー。しかしカクタスの目にはクエスチョンマークしかない。
なんでこんなことになるのか、どう巻いているのか。目の前で行われても分からない。
「ほら白いの、飛び付かないの、汚れるでしょ!」
風にそよぐ洗濯物に飛び付くシロ。その背中をコーが優しく撫でた。
「アンタ知ってる? コイツ顔は可愛いでしょ? 貴族の娘へのプレゼントだったんだってさ」
「…………?」
遊んでくれと言わんばかりに跳ね回るミルク。コーは撫でるのを止めて洗濯物干しに戻る。
「初日にその娘の手に噛み付いて、処分されそうになった所をメリア様が怒鳴り込んだんだってさ。
『訓練の一つもしていないのに、敵と見れば攻撃する勇敢な犬だ。そいつは鍛えればその子を守る立派な騎士になるぞ!』って」
カクタスは、その様子を想像した。勢いと怒鳴り声で相手を納得させそうなメリア。しかし、その言葉は相手に届かなかった。相手が納得したならミルクはここにいないはず。
「犬の訓練なんてできる者が居ないからと断る貴族に、メリア様はならやって見せると言って引き取ったんだって。その時にハース領から連れてこられたのがヘン。
あいつはクジャン族の『狼憑き』の一族なんだってさ」
「…………クジャン?」
聞いた名前にカクタスは小首を傾げた。クジャン族、【カルマ・ノーディ】の二巻目に登場した龍の女。山の一族。
それに累する者が近くに居ると聞いて、カクタスは不思議な気持ちになっていた。
お話を書いているのはメリアだけれど、お話の中の世界はとても遠いと思っていたからだ。




