その03 妬み嫉み
マルーはメリアの館の料理人である。
この時代、食事は朝晩の二回だった。その他に昼休憩に軽食を摘む事はあっても、席を囲んでの食事は二度が一般的である。
誰よりも早起きして、朝食の仕込みをするマルー。朝食が終わると、彼は軽食の準備をする。
果樹園で働く人々は、日の出と共に動き出す。まだ暗いうちから準備をするため、朝は軽食で済ましてくる場合が多い。
メリアはマルーに、彼らのために軽食を出すことを命じていた。マルーは使用人たちに作る朝食とは別に、彼らのための食事を作る。
多くの場合、用意するのはサンドイッチだ。大量に作った黒パンに切れ目を入れ、肉類の木っ端、酢漬け野菜と生野菜、ソースをかけただけの簡単な料理だ。とは言っても、数が必要になるので楽な仕事ではない。
ちなみにサンドイッチとは統一皇帝時代の伯爵の名前である。
忙しくて座って食事をする隙もなかった伯爵が、パンにおかずを挟んで食べていたのが発祥だ。
と、統一皇帝がもっともらしく言っていたらしい。統一皇帝には類似する逸話がいくつもあり、しばしば本当のことなのか嘘なのか分からない。
こういった言葉の多くは、統一皇帝の造語であるというのが定説である。
さて、早めの軽食を果樹園に届けたマルーは、そのまま町に降りる。サクズの町は人口千人に満たない。町としては小規模だ。
領主の館のある街ほど栄えてはいないが、それでも周辺の農村の中では大きいものになる。商店が立ち並び、市場もある。
マルーの妻は流行り病で早世しているが、彼の子供たちはまだ元気だ。彼らは旅人相手の食事処を開いており、冷やかしに行くのがマルーの日課だ。
市場で買った珍しい材料やらセール品を持ち込んで、雑談がてら仕込みを手伝うのだ。
そのついでに、流行りの料理や噂話の情報収集も欠かさない。
マルーは料理が仕事なのだが、趣味まで料理という男だ。四六時中料理のことを考えているような人物である。
彼にとってメリアの屋敷は天国だ。さまざまな料理を試す事もできる。おいしく食べてくれる子供もいる。
メリアが肉料理を受け付けないことだけが難点だが、その分肉を使わない料理のバリエーションが増えた。むしろ縛りがあった方が燃えるというもの。
そんな訳で、マルーは朝食の片付けに参加しない。六人分の食器と調理道具を洗い、ピカピカに拭き上げ、片付けるのはコーの仕事である。
「さっきから何? 用があるならさっさとして」
「あ、あぁ……」
目に涙を浮かべるカクタスに、コーの怒りは募った。本当に忙しいのだ。コーはこの屋敷で一番仕事が多い。
正直、週の半分は大工の見習いに行き、残りは犬と遊んでいるヘンと同額の賃金である事に不満はあるが、コーの代わりはいくらでも居ても、ヘンの代わりはそうそう居ない。
そういう点でも、コーはヘンが嫌いだった。
「ホントなんなのアンタ。見ててイライラするわ。女の子の格好して気持ち悪いし、邪魔だから消えてくれない?」
「こ、こここ………」
「なに? 鶏のマネ? つまんないんだけど?」
男物の服も用意したのに、なぜかエプロンドレス姿のカクタス。色気の一切を排除したはずの作業着であるというのに、醸し出される背徳的な色気にコーは苛立ちを抑えきれない。
「この間は、ごめんなさい……」
「はぁ? 今さら何言ってるの? 謝れば許してもらえると思ってるの? 信じらんない。
そもそも謝るくらいなら最初からやるんじゃないっての、やって良いことと悪いことの分別くらい付くでしょう? バブちゃんじゃないんだから」
「う、うぅ〜……」
絞り出された謝罪を、コーは突っ返した。その上で人格否定し、赤ちゃん言葉でないと理解できないのかと言うかのように畳み掛ける。
大きな目を見開いたまま、ぼろぼろと泣き出すカクタス。いい気味だ。男の子相手だとこれで終わりだが、女の子相手では泣かすことで上下関係を刻み込む。
コーはその上で完膚なきまでに叩きのめそうと思った。二度とあんな事できないように。
「うわ、気持ち悪っ。泣けば許されると思ってるの? サイテー。少し否定されたら泣いちゃうとかやっぱり赤ちゃんなの? どんだけママに甘やかしてもらってたか知らないけど、もう少し大人になったら?」
仕事もできない、会話にならない。カクタスはひどい目に遭ってきたのだとメリアは言っていた。
しかし、だからといって甘え過ぎだとコーは思う。辛いことは誰にだってある。不幸自慢のクソガキに思い知らせてやりたかった。
「う、うわああん、ご、ごめん、ひぐっ……なさぁいぃ〜」
「うるさいから泣きやめ! 耳障りなのよ! アンタはあたしに謝りたいんじゃなくて、許してもらいたいだけでしょ? 自分のために謝ってるんでしょ? ふざけんな!」
わんわんと泣くカクタス。耳障りな泣き声にコーは辟易した。泣けば許されると思っているのだろう。ごめんで済ませてしまいたいのだろう。
本当に腹が立つ。
べそべそと泣きながら、カクタスが両手で頭を抱えた。丸くなってシャットアウトする気か? そんな事許さない。
次は何を言ってやるかとコーが口を開くのと、カクタスがその大きな帽子を脱ぐのは同時だった。
「礼儀知らずの帽子を……え?」
何を言おうとしたか、コーは一瞬で忘れた。ふわふわの髪の毛が広がり、カクタスの美貌を一段と引き上げたからではない。
鼻が低く目つきが悪いコーは、自分が不美人だと、いわゆるブスだと理解していた。カクタスが気に食わない一因が妬みだとも自覚していた。そうだよ、悪いか!?
「ななな、なんで……!?」
だが、カクタスが人間でないのは想定外だった。ぺたりと下げられた髪と同色の長い耳。
コーは、言葉にならない悲鳴を上げた。




