その09 困難とことの終わり
「ケヒャア、姐さんもいつもはもうちょっと周りを見るというか……空気を読むというか。どーも申し訳ねぇ」
「いや、カスさん? あなたが謝る事じゃないよ。キャロルが元気そうで良かった」
「カースですよカルマさん」
笑い方こそチンピラ臭いし、ギョロ目で痩せぎす、肩にスパイクのついたモヒカンで外見的にはカスであるにも関わらず、カースは腰が低く常識人だった。
「姐さんも喜んでたと思いやすぜ。戻って話を聞いた時からずっとニコニコでやんした」
「それ言って大丈夫なやつ? 後でつねられない?」
「ケヒャヒャヒャヒャヒャ」
笑って誤魔化しきれないカース。カルマも釣られて微笑んだ。
カースによると、キャロルとカースはカルマの計画していた『侯爵を巻き込む』という作戦を既に決行していた。
カルマとの最大の違いはセータ子爵への態度である。
キャロルは傭兵を雇いゴブリンの集落を強襲しようと企む子爵を迎え撃つつもりでいた。戦闘用ゴーレムを再起動したのもそのためで、ゴブリンが一方的に蹂躙されるだけの弱者ではなく、反撃の力があることを思い知らせるためである。
ゴブリン、子爵側、共に死傷者が出るだろう。だがそれは必要な血である。
彼らの血と屍が、この後の平和を作る礎になるのだ。それが分からない程、カルマは子供ではなかった。カルマは。
カルマたち三人と、トリスタンと従者は、ゴブリンの王国で一泊して、翌朝出立した。見送りは、顔見知りになったゴブリンたちとカースだけだった。
振り返ればまだ門が見える位置で、メリルが大きく息を吐いた。
「でもボクは、やっぱり血が流れないに越したことはないと思いますけどね!」
「…………」
大人がどれだけ自分の作ったルールにがんじがらめになっていても、子供は知った事ではない。
正論と理想論と自分の信じる正義を無邪気に信じることが出来た。
「メリルくん、非暴力の平和主義は相手の善意を期待しているから成立するんだ。僕はキャロルやゴブリンが、突然凶行に走るなんて考えもしなかった。
君を人質に取られたのは、僕の甘さのせいだ」
「『メリーくん』ですよカルマさん。もしかして、負けて落ち込んでます?」
「君を危険にさらした事をね」
メリルの軽口に答えることもできないカルマ、メリルは肩をすくめた。
「カルマさんは負けてません」
「負けたよ」
「悪い事をした人が一番悪いんですよ。ルールを守っている側が負けるのは理屈がおかしいです」
「…………」
メリルのいうことは何一つ間違えていない。しかし、現実はそうは行かないのだとカルマは言おうとした。
だが、いつものように丸めこむ言葉が出てこなかった。メリルを説得できる気がしなかった。
「トリスタンさん、主の教えについて疑問があるんですけれど」
「なんですか?」
しょぼくれたカルマから、メリルの矛先は馬に乗った聖騎士に向いた。
「なぜ、主の教えの通りに生きるのは難しいんですか? どうして、平然と無視する人たちがいるんです?」
それは、トリスタンが邪神信仰を説明する際に意地悪で投げ掛けた問いそのものだ。
しかし、あの時と今では事情が違う。
唯一にして偉大なる主の教えの通りに皆が生きているならば、他人の善意を期待して何が悪いのだ?
メリルの目が理不尽に怒りを燃やす。
「いい質問です。それは正しく主について考える第一歩ですよ」
だが、トリスタンの答えは子供を諭すような曖昧なもので、メリルは一瞬失望した。
「我々は完璧ではない。その話はしましたよね?」
「え? はい」
「なぜ完璧ではないのかの理由は覚えてますか?」
はぐらかしているのではない。メリルは直感的にそう思えた。トリスタンは答えを教えるよりも、答えに辿り着く手助けを好む。
「…………補い合うため、お互いに足りない所を助け合うため」
「そうです。では……なぜ我らが偉大なる絶対の主は、口にするのは簡単だけれど、実行の難しい教えを授けているのだと思いますか?」
「それは……」
メリルはゾッとした。聖職者であるトリスタンの口から『教えの実行が難しい』と口にされたことに。
そんなこと、言っていいの? 誰もいない荒れた街道だと分かっているのに、つい周囲を警戒してしまう。
「難しいが不可能ではないから、とでも言うんですか?」
答えは、暗い顔のままのカルマの口から出された。トリスタンは満足そうに頷く。彼らはメリルの考えなどお見通しだ。人死にを厭い、最善を尽くしたカルマを、少なくとも主はお見捨てにならない。それを保証してくれた。
「困難だからこその教えであり、善であり、功徳を積もうとする者こそ尊いのです。ちなみにこの解釈は一般的ですので、警戒は必要ありませんよ」
そこまで話して、トリスタンは思い出したかのように馬を止めた。従者に手振りで指示を出し、荷物を取り出させる。
「これを渡しておかないといけませんね」
「頂くわけにはいかない」
「なぜです? 俺に言わせれば、ただ戦い褒め称えられるだけの英雄よりも、善を成すべく傷付きながらでも歩こうとする人こそ報われるべきです」
『報い』という言葉にカルマの肩が跳ねる。いつか来る罪の報い。カルマがそれを待っていることを、メリルは気付いていた。
「報い……」
「ええ、善行の報いです」
トリスタンが小箱をカルマではなくメリルに渡した。断ろうとするも、トリスタンは魅力的にウインクを投げる。
「店を出すかはお任せしますが、エイベルから離れてヤクザな仕事はやめるべきです。カルマさんたちは真っ当な善人なんですから。
あんな悪い女と付き合うのはおやめください」
これにはアガスと、トリスタンの従者も苦笑いを浮かべた。
そのヤクザな女の相棒が、どの口で言うのだろう。
「自分たちのために使うのが躊躇われるなら、世のため人のためにお使いください。使い方はお任せします。カルマさんたちなら悪いようにはしないでしょう」
「責任重大だな。メリーくん、街に行ったらまず金庫を買おうか」
「メリルですぅー」
少しは軽口が戻ってきたようで、メリルはニヤつきながら否定した。
「そろそろお別れですね。俺は事の成り行きを見届けなければなりません」
「子爵とゴブリンのですか?」
「はい。セータ子爵には邪神信仰者と繋がっている疑いがあります。魔法機械を奴らの資金源にされる可能性があるから、シバドさんと来ていたんですよ」
トリスタンの言い方に違和感を覚え、カルマは瞬きした。
「もしかして、従者の方ではない?」
「エイベルの密偵で、若いのに最も優秀な一人ですよ」
「改めてよろしくお願いします。次が無いといいですね」
エイベルと距離を取る以上、彼とはもう出会うことがないはずだ。
「それでは失礼します」
馬を走らせ先に行くトリスタンとシバド。彼らの姿が見えなくなってから、メリルは好奇心から箱を開けた。
大金貨が偽物とか疑ったわけではない。単に何度も見れるものではないから確認したかったのだ。
「ぎゃっ!?」
「え? なに? 罠でも仕掛けてあった?」
「と、とと……!」
「うわぁ!?」
ぶるぶる震えるメリルの手から箱を受け取り、カルマもまた腰を抜かさんばかりに悲鳴を上げた。
上から覗き込んだアガスも目を丸くする。
「と、時計が入ってますよ!! トリスタンさーん!!?」
「あっはっは! こりゃ確信犯だろうよ!」
こうして、カルマ・ノーディのゴブリンの王国での敗北は幕を閉じる。
しかし、メリルが信じるように、皆様も再起を願ってくれるならば、必ずやカルマは立ち上がり、
次なる冒険でお目にかかれることを祈って、ごきげんよう!




