その09 キャロルとエマ
「二人ともイケズやなぁ。ずいぶんご無沙汰やない? 元気やったん?」
腰まで伸ばした紫蘇色の髪。同色の瞳。紅をさした唇が、地下の明かりにテラテラと光る。
褐色の肌と、シートラン上方訛りり。上品で貴族を思わせる旅装。優雅さと危険を兼ね備えたシャチのような女が立っていた。
「…………まさかキミ、キャロルかい?」
カルマがあ然とした表情で女を指さした。アガスも珍しく驚いている。
「ウソやろ? ウチは一目見て分かったんに……切ないわぁ」
「いや、分かるけど……そうか、生きてたんだ」
キャロルという女の目が怪しく光る。メリルは二人を見比べた。メリルが出会う前のカルマを知る女。メリルの知らないカルマを知る女。
「知り合いであったか」
「知り合い言うか……元カノやね」
「え」
平然と言ってのけるキャロル。だがその目は笑っている。
「はぁ? 誰の」
「まぁ、ウチの心をもてあそんでたん? イケズやわぁ……」
「ふふっ」
アガスもまた微笑む、これがじゃれ合いのようなものだと判明して、メリルは少なからず安心した。
「二人とも、ええ男になったなぁ、その帽子、よう似合っとうよ?」
「うるさいな、そんな事よくわかってるよ」
このやり取りを理解できたのは当事者二人とアガスだけだった。こんなまっとうな褒め言葉が、完全無比な皮肉だなんて普通は考えもしまい。
「しかしそうか……『ノーディ商会』。キャロルなら納得だよ」
「お互い様やでぇ、同じ名前と聞いてどないにけったいな輩かと思うとったんよ」
「幽霊でも出たのかと思ったよ」
ここまでは、和やかに。しかしカルマの喉には小骨のように、ロード・プーの『ほぼ完璧』そして出会った時の『奴を叩く方法』という言葉が引っ掛かっている。
ならばキャロルが、『ノーディ戦闘魔術師団』の生き残りであるこの女が、ゴブリンの望む『完璧』な回答を出したということになる。
カルマの答えは『この地方の貴族のまとめ役である侯爵を使い、武力行使を企むセータ子爵を牽制すること』だ。
戦争を回避する方法として、これ以上の案はすぐには出せない。だが、ゴブリンたちはカルマの何かに不服で、キャロルの案には足りないものが揃っていると考えている。
「…………ああ」
トリスタンが何かに気が付いた。それは落胆と納得。そして諦めに毒された吐息であった。
「なんですかトリスタンさん」
「いや……少し言いにくいのですが」
「カルマに足りんものは、ウチが教えたるさかい」
キャロルが指を鳴らす。次の瞬間、メリルは誰かに腕を捕まれ引き寄せられていた。完全な不意打ち。アガスもカルマもキャロルに気を取られていた。
いや、だからといって二人が気付かない相手だった。音も気配もなかった。ただ一人、トリスタンの従者だけが気付いていたものの、彼は成り行きを見ていた。
「ケヒャア! てめぇら動くんじゃねぇ!!」
「え? え?」
下品な声が坑道に響き渡る。真っ赤に染めた髪を逆立てた男が、メリルを羽交い締めにして首筋にナイフを突き立てていた。
「いいか!? 言う通りにしないとこの子の可愛い顔が台無しになっちまうぞ?
ケヒャヒャヒャヒャヒャ! 十秒以内に武器を捨ててひざまずきな!」
「め、メリルくん!?」
「ボクはいいですから!」
暴れようにも、男の力は意外と強く、メリルはまるで抵抗ができない。
「じゅーう……きゅーう…………ケヒャァ!! もう我慢できねぇ!!!」
男は血走った目で唾を飛ばし、ナイフと見せかけていた金属棒を投げ捨てた。そしてメリルを優しく下ろすと、オイオイと泣きながら頭を地面に擦り付ける。
「ケヒャア! ごめんなぁ! 痛くなかったかぁ!? 子供を人質なんてそんなひでぇこと……ごめんなぁ!!」
「…………ええと?」
突然の茶番劇に声を失うメリル。カルマとアガスも身動きができずに硬直し、泣き崩れる男をぼんやり見るしかできない。
ただ、キャロルだけが顔を押さえて天井を仰いでいた。
「アカン……アカンでカースはん。バラすのが早すぎなんよ。ほんま堪忍しておくれやす……」
「ケヒャ……申し訳ねえ、姐さん……」
最初に気を取り直したのはカルマだった。彼は苦笑いしてメリルに手を差し伸べた。
そして、同情的なトリスタンと視線を合わせて、自嘲的に唇を歪めた。
「参ったな……ああ、そういうことか。どこで聞いたんだい?」
「ええんとちゃう? 平和主義。えらいしんどいやろうけど、せいぜい気張りや」
応援するような言葉とは裏腹に、キャロルの表情および声色は嘲笑そのものの形を作っていた。
「…………」
皆まで言われずとも、カルマは理解していた。カースとかいうモヒカンの行動は、カルマのやり方を真っ向から否定するためのものだ。
そして、戦争を拒絶するような甘えたやり方ではゴブリンたちは救われないという意志の表れ。
「ロード・プー。あなたが言う『ほぼ』はこれですね? 『もしも貴族たちが愚かにも武力行使に出たら』」
「そうだ。我々は人間を信用しない。もしもの備えはしなければならない」
トリスタンの同情も理解できるというもの。カルマには出せない答えだ。カルマがカルマの生き方をする限り、不可能なことだ。
「ご参考までに、キャロルはどのような手段を?」
「ウチの『ノーディ商会』は、武器を売り物にしとるんよ。武器そのものと取り扱い方もやけど、兵隊の訓練、戦争の備えなんてのも売り物にしとう」
ニンマリと笑うキャロル。その目は全く笑っていない。代わりに、ひどく恐ろしいものを燃やしていて、メリルは背筋を凍りつかせた。
「ノーディ団長は……!」
「ノーディ団長のやり方は間違えとらんかった。ウチがこの方法で証明したるさかい、負け犬は黙っとき」
カルマは歯噛みした。ここで何と吠えても、負け惜しみにしか聞こえない。
『お嬢様、コチラでしたか』
「エマ、どない?」
不自然なエコーのかかった声がした。大柄な人物がゆっくりと現れる。その顔面はつるりとした金属の面で、全身も同様の鎧で覆っていた。
いや、そうではない。その人物を初めて見た全員が驚きに呻いた。
『破損した警備ゴーレム三体の再起動と再設定を確認しました」
「よろしおす」
ゴーレムとは魔法で動かす人形の総称だ。掃除用の小型のものから山のように大きな軍用のものまで存在する。
そしてここで言うゴーレムは、遺跡から発掘された。古代の戦闘用ゴーレムである。
「キャロル……そのひとは……?」
「ん? ウチの護衛やから『エマ』。ええやろ別に」
『はじめまして。当機はお嬢様キャロルにお仕えしております。個体名は『エマ』。どうぞお見知り置きを』
金属の外骨格に覆われた『エマ』は、『硫黄と真鍮のブラサルファ』の亜人、蟻人であった。




