その04 トロルと不信感
「このあたりにゃ『岩男』がいる。捕まったらオダブツだ」
「『岩男』?」
大きな岩だらけの山道を、小男のエブ、スキンヘッドのジード、彼らの手下三人、そして未来の英雄領主リディオと、ドクロの面のクロウラが密やかに進む。
エブたちの目的は、蛮族の村と交易をするカルマ一行。帰り道に襲って交易品を略奪する気だ。
「知らねえよな? 見上げるほどデカくて、岩そっくりなんだよ。力は強いし人間なんてバリバリ噛み砕いちまう」
「さすがはアニキ、物知りだなぁ」
「岩そっくり……トロルか。めんどくせぇな」
訳知り顔のクロウラに、エブはムッとした。危険極まる怪物で、何人も手下を失っている。
自分が生き残るためのコツは、一番後ろを歩かないことだ。
トロルは山や森に住む魔物だ。岩に擬態して犠牲者を待ち、手の届く範囲に来た相手を丸かじりにする。
体長は2メルト半。頭が大きく、恐ろしく醜い。両目は魚のように顔の両側にあり、鼻は潰れて口が耳まで裂けている。乱杭歯の並んだ下顎が突き出ていて、何でも食べる。
体格は類人猿に近く、前脚が発達していて石を投げたり棒を振り回すこともある。怪力であり、岩を握り潰せる。その手に捕まっては、人間など虫けらのように解体される。
その上皮膚は岩のように硬く、傷の治りが異様に早い。戦うとなったら完全武装の兵士の一団が必要だと言われているほどに危険な生き物だ。
弱点は、動きが遅いことと、太陽の光が嫌いなこと。
「まあ、居るかもしれねえなら見分けはつく」
「どうやってだ?」
「オーラを見分けりゃいい。岩にオーラは無いからな」
「は?」
魔法使いであるクロウラは特殊な感覚を有している。未練清算人である彼は、集中すれば周囲の生物の魂の色を見分けられ、残留する霊魂も感知できる。
同様に、魔法使いはそれぞれの龍に対応した魔法感覚を有している。
「あ、アニキ、アイツラ道を外れましたぜ」
「うん? ガキにロープ括り付けて、岸壁を登る気か?」
山道は、人の通りによって何となく形作られる。場所によっては切り立った壁を登ることも必要だろう。
しかし、そういう場所は先人によって楔やロープ、鎖などが取り付けられている。
だが、カルマたちはまったく無関係の壁を登ることに決めた様子だった。
「クロウラ、ここからでも見分けはつくか? 俺は無理だ」
「難しいな。だが奴らが迂回した場所は憶えとく。トロルがいやがったら、魔法使いが相手に居るのが確実になる」
「マジでいやがった」
トロルの存在を察知したクロウラが制止する。なだらかな上り坂の途中、ちょうど道の細くなった日陰に、トロルが潜んでいる。
トロルは用心深い上に日光に当たるのを嫌がるので、近寄らなければ襲われない。しかし、トロルを迂回するのは困難であった。
「どうする?」
「さっきの横道に戻るぜ。崖登りなんざ冗談じゃねぇ」
「倒さないのか?」
「一銭にもならねーし、危なすぎるだろ!?」
何気ないリディオの言葉を、エブはツバを飛ばして否定する。エブたちはプロのならず者だ。ならず者は怪物退治なんてするものではない。彼らは弱いものいじめしかできないのだ。
不思議そうな顔のリディオが口を開く前に、クロウラが腰を叩く。リディオは口をつぐんだ。
トロルの待ち伏せの可能性があった時点で、エブたちは脇道を探しながら進んでいた。
「どうせあのペースじゃぁ連中も野営だ。あなぐらを探しながらゆっくり行きゃいい」
「さすがアニキ、余裕がある!」
という訳で道からは逸れたものの、七人は夜を越すのに具合のいい洞窟を見つけた。
入り口が狭く、そこまで奥行きが無い。恐らくは熊や、それに準じる大きさの生物の巣穴だったのだろう。
クロウラが魔法で簡易的な結界を張る。焚き火は奥の方に、遮蔽を置いて点けた。
あまり目立つとクジャン族や連中に見つかる危険性があるからだ。
干し肉や黒パンに酢漬け野菜という簡素な夕飯の後に、エブたちはさっさと寝てしまった。
後に残ったのはリディオとクロウラの二人だけ。リディオはエブたちがイビキをかいて寝ているのを確認し、頭を掻いて、クロウラに囁やきかけた。
この性別も人相も不明の怪人は、隠れるように壁に向かって食事をした。顔を見せるのを嫌がるように。
「なんか、おかしくないか?」
「別に」
いくらお人好しで騙されやすいリディオでも、エブたちの挙動には不審なものがあった。
例えば、この野営だ。
エブたちがムスカ領の密偵で、クジャン族との友好のために動いているならば、当然クジャン族とは通じているはずである。
であるならばクジャン族が野営をするほら穴を借りるくらいはしてもおかしくないし、そもそもクジャン族から隠れるようなことをする必要もない。
「トロルは誰にとっても危険だろ」
「黙ってろよクソガキ」
民の安全のために、可能ならば倒しておくべきだとリディオは主張する。エブが本当に貴族の密偵ならば、無視はできない言葉のはず。
「どんな仕事でもおまんま食うためにやるしかねーんだ。その口閉じてクソして寝ろ」
「…………変なこと言って悪かったよ!」
聞く耳持たないクロウラに、リディオは苛立った様子で口だけ謝り、マントで身体をくるんで座り込んだ。すぐに規則正しい寝息を立てる。
クロウラは舌を打つと、奥の空間に目を向けた。そこには闇しかない。何もない。虚無しかない。
「そいつはちっとばかし難しい仕事だな」
その虚無に向かって、クロウラは独りごちた。




