その01 ことの始まりと回り道
時は六龍歴1022年。大陸西部中原の支配者オールガス帝国は、四大公爵ローシルドとレイクラウドの王位争奪戦、いわゆる甲雲戦争の深い傷跡に悩まされていた。
八十年にも及ぶ内乱の対価として、国力は疲弊し、人材は喪われ、民は貧困に喘いでいた。
これ幸いと活動する邪神の信徒、闇に蠢く怪物たち、食い詰めものたちは山賊に身を落とし、人々の生活を脅かしている。
それでも、戦争と戦争の谷間となったこの時代を、後世の歴史家は『十年の平和』と呼ぶ。
物語はオールガス帝国領北東部に位置するレブカ領から始まる。
街道を進む三人の旅人、荷馬車に積んだ雑多な荷物から行商人の類であろう。
先頭を歩くのは赤毛の青年。小綺麗なコート、旅慣れした編み込みのブーツ、収まりの悪い針金みたいな赤毛を、無理やり山高帽に押し込んでいる。
南部シートランによく見かけられる浅黒い肌、オレンジ色の両目。適度に鍛えられた痩躯。絶世の美男子ではないが、どこか人の目を引く魅力があった。
「カルマさん」
「なんだいメリーくん」
カルマと呼ばれた青年は、にこやかに振り返る。声をかけたのは御者台に座る子供だ。
痩せて身長も低い、十歳前後だろう。青みがかった黒髪に同じ色の瞳、成長期の体は少しブカブカの服に押し込められていた。
まだあどけなさの残る年頃であるが、その口は不機嫌に結ばれていた。
「メリーじゃなくてメリルです。何度言ったら分かるんですか」
「失礼、メリルくん。それでなんだね?」
カルマ青年は少しも悪びれず応える。メリル少年は大仰にため息を吐いた。
「レブカの街についたら、ちゃんとお金になるお仕事を探してくださいよ」
「おいおい、僕らは行商なんだぜ? 新しい街でその土地の名産品を仕入れて、別の街で売るのがお仕事だろ?」
「その仕入れてある名産品ががらくたばかりで、売れもしないで困っているんでしょう?」
きいきいと繰り返される小言に、カルマは肩をすくめた。
隣町からレブカまでは片道で二日半、この小言はすでに八回目だ。
「アガスさんも何か言ってやってくださいよ」
「…………」
三人目の人物は、美しい巨漢だった。
身長190セルトの長躯、鍛え上げられた筋肉。そして何よりも黒檀のような色の肌。
南国シートラン共和国のさらに南、ペラゴニア諸島出身の若者である。
彼は二人に一瞥だけくれた。寡黙な男だ。簡素な革鎧に身を包み、鎖を巻いた棒を杖にして、黙々と歩く。
メリルもカルマも、彼が本当に必要な時にしか喋らないことを知っていたので、返事がなくても気にもとめない。
「なんでもいいですけど、少なくとも女の人のお願いは聞かないでくださいね」
「おいおい、レディの頼みを聞けない男なんて、生きる価値がないじゃないか」
「生きる価値よりも生きる糧が欲しいですね。このところずっと赤字ですよ?」
「ははは、手厳しい!」
実際のところ、笑って済ましていられない状況であった。
レブカの街へは、隣町カリュオで受けた『お願い』から向かうことになった。宿の食堂の娘が、レブカの街に住む母親に手紙を送りたいと言い出したのである。
給仕娘の上目遣いと開いた胸元に、カルマは快諾。「ちょうど行く予定だったのさ、ついでだからお足は要らないとも」なんて格好をつけてしまったのだ。
レブカは交通の便が悪く、領土の財政的にも問題がある。治安は悪く、街道も荒れていた。
食品始め商品の需要は見込めるが、レブカでの仕入れは期待できない。風の向くまま街から街を渡り歩くタイプ行商人にとっては死活問題だ。
行商人には幾つかの種別がある。最も多いのは、規定の巡回ルートを回るタイプだ。
仕入先と卸し先が決まっていて、街と村々を巡回し必需品の売買をする。
村にとっては無くてはならない存在なので、生活は安定している。
もっと広い範囲を巡回し、各地の特産品を別の地域で売るタイプもある。
こちらは規模も大きくなりがちで、馬車を何台も仕立てた商団になることが多い。それだけ多くを運べるし、多く売れる。
カルマはそのどちらでもない、小さな馬車で足の向くままに街々を回る。
前者二つと違い、全く生活は安定しない。流れ者も同然の生き方だ。しかし、戦後になって商人を始め、ようやく馬車を用立てたような新米が参入できるルートはない。
村々の巡回路などは特定の商人の縄張りであり、そこに参入することは難しい。
六龍歴1070年代でいう通商ギルドも無かった時代だ。横紙破りは同業者からの締め出しを意味した。
現代の商人は通商ギルドに参加することで国内での商売する権利を保障される。不義理を行えば眼をつけられ、商売が成り立たなくなる危険があったが、町ごとに元締めと話をつけて金を渡す必要は無くなった。
この通商ギルドは、1040年代に荒稼ぎする悪徳商人を規制するために作られた比較的新しい同業者組合である。
創設に関わるのは他でもないカルマなのであるが、この時のカルマはまだまだ駆け出しのひよっこである。
若きカルマは新しい販路を見つけるか、街を転々としながらその日暮らしで商売する他はない。
それでも、カルマは商人として生きることを志していた。
彼の人生と転機については、いずれ何処かでお話する時が来るだろう。
「美人が多い街だといいんだけれどね」
「だからぁー!」