その08 はじめてのこと
「…………やーっ」
地面に叩きつけられた棒に、犬たちは困惑顔。
「あ…………」
「物投げんの初めてか、手を離すタイミングが悪かったな」
ヘンが振りかぶって、踏み込んで腰を回し腕を伸ばす。投擲の動作をカクタスは見様見真似。
「手をさ、一番前に出した所で離すんだ」
「…………?」
何度も試して、ようやく足元ではなく前に飛ぶようになった。
短い距離だがへろへろと飛んだ棒を、ずっと待っていたカツラがキャッチ。尻尾を振りながらカクタスに持ち帰る。
「あ…………」
足元に置かれる棒、期待の目つきにカクタスがヘンを見る。
「頭は怖いだろ? 背中を撫でてやってくれよ」
「…………」
頷いてウィグの背中に手を伸ばすカクタス。しかし、触る勇気が持てずに引っ込めた。
「ウィグ、よくやった」
撫で回されて心地よさそうに目を細めるウィグ。その様子をじっと見つめるカクタス。
「犬たちはさ、遊んでもらえればそれだけで嬉しいんだ」
腹を出すウィグをこねくり回すヘン。他の犬たちも撫でろ撫でろと寄ってくる。
「ちゃんと向かい合ってもらうことが、コイツラにとって幸せなんだって言ったら、変かな?」
「…………」
カクタスは首を傾げ、棒を拾った。そしてじっと見つめて、小さく首を振った。
「ウィグと遊んでくれてありがとな」
カクタスは瞬きした。そして再び棒を見つめた。
振りかぶる、赤ん坊みたいにまるでなっていないへっぴり腰。それもそうだろう。今日が初めてなのだから。
「いいのかカク? じゃあシロ投げてもらえよ!」
「ウォン!」
嬉しさに飛び跳ねて、白い小型犬が一声鳴いた。恐怖に身震いするカクタス。しかし目を閉じ、息を呑み、ゆっくりと目を開く。
期待に満ちた小型犬の潤んだ瞳が、カクタスの赤い目と見つめ合う。……震えが止まった。
「え、えいっ」
ヘロヘロととぶ棒を、ミルクが華麗にキャッチ。ヘンを一瞥してカクタスの前に持っていく。
どうだ! すごいでしょ? と言わんばかりに尻尾を振り回す小型犬。カクタスは恐る恐る手を差し出した。
「あ、ありが……」
「ウォン!」
「ひにゃ!?」
喜びの声を上げる小型犬に、カクタスは腰を抜かしてひっくり返った。
「うわ、大丈夫かよ!? こらミルク! 大きな声を出したらビックリしちゃうだろ!」
「楽しかったかい?」
「…………あ」
部屋に戻ったカクタスに、老婆は笑いながら尋ねた。
困ったように首を傾げるカクタス。細い明かりしかない部屋の中で、彼はメリアの居場所を正確に見抜く。
「いい顔してるね」
メリアもまた、常人ならば陰になって見えないだろう少年の表情が見えているかのような口振りだった。
「お前さんはさ、まだ産まれたての赤ん坊みたいなもんさね。
これまでとまるで違う生活、まるで違う人間関係、まるで違うは考え方をせにゃならん」
「…………」
メリアが机に置いてあった本を手に取る。簡略化された装丁、粗い紙。タイトルは【冒険商人カルマ・ノーディ】。
「そういう点で、ディリやカルマと同じさね。彼らも『やり直す』ために過去と決別し、新しい道へ踏み出している」
「…………カルマ、も?」
メリアはその本を優しく撫でた。そこに含まれた感情は複雑だったが、カクタスと本に罪はない。
まったく、自分の小説を読み聞かせさせられるとは思わなかったとメリアは考える。
物書きだなんて名乗らなければ、読んでとせがまれることもなかったはずだし。
「カルマは別の仕事を辞めて、商人に転職したばかりなんだよ。その話はいずれ別の話で出てくるさ」
「…………読んで」
しまった。メリアは自分の口の軽さを恨んだ。何も言わなければ続きがあるなんてバレなかった物を。
だが、このカクタスという少年が、初めて興味を示したのが小説であり、初めて何かをお願いしたのが読み聞かせだった。
彼は字が読めない。いずれ読めるようになってもらうつもりだが、今は他にも教えることがたっぷりある。
「まあいいか、どうせ次の話が書けるようになるまで、これまでの話を読み直すつもりだったんだ」
メリアは嘆息して、一巻をカクタスに差し出した。
「元の場所は分かるかい? その棚の上から二段目の右端さ。その隣が二巻だ。持っておいで」
いそいそと本を運ぶカクタス。メリアは安楽椅子に深く腰掛け、渡された本を開いた。
【冒険商人カルマ・ノーディ 第二巻 カルマ・ノーディとドラゴンの山嶺】




