その06 最下層民という役割
メリアの屋敷では、食事は使用人も主人も関係なく全員で食べる。
そもそも主人であるメリアが貴族でも何でもないため作法にうるさくない上に、彼女は料理人を尊敬していた。
マルーは尊重され、彼の作る料理も可能な限り冷める前に食べることを推奨された。お残しは厳禁であった。
食堂はメリアの部屋から近く、暖炉で暖められ、快適で広かった。
カクタスについての説明はその食堂で、使用人全員が集められた。
料理人のマルー。
黒い肌の秘書、スィ。
やんちゃな少年、ヘン。
鼻ぺちゃの少女、コー。
そして、癇癪持ちの老婆、メリアと。
騒動の中心、新入りのカクタス。
「まず何があったんだい?」
「その……そいつが、挨拶を返さないんです」
「そうだろうね」
ヘンの言葉を、メリアはあっさり肯定した。別にそれが当たり前で、何も問題のないような顔。
「カク、学んだね?」
「…………」
「返事していいんだ。むしろ、返事はしないといけないんだ。失礼にあたる」
「ひっ……は、はい」
ブルブルと震える少年。元より気のいいヘンは、すでに彼への屈託を失っていた。
「いや、おれが悪かったんです。礼儀知らずを責めて、その時場所が悪かったんだ。ごめんなさい」
「場所?」
「その…………犬たちと居たんです」
メリアが眉を上げた。息を吸う。叱責を予期し、ヘンは目を閉じた。
「カク、犬は苦手かい?」
「…………あ、その……」
今度は、カクタスはすぐに返事をした。その目が探るように、あるいは怯えたようにヘンを見る。ヘンは胸がざわついた。そんな目で見られたことはこれまで一度もなかった。
「だ、男爵様も、いぬを……ば、バツで……かまれて……」
「あいつらは噛まない!」
思わず大声を出したヘンに、カクタスがビクリと体を震わせた。
そもそも、犬に噛み付かせるとかどんな教育なのだ? ヘンは拳を握った。
犬は絶対的な上下関係とルールを持つ。『噛んでいい人間』はそれを揺るがせるものであり、犬が来客を噛むなどの問題が起こりやすくなるだろう。
そうなってしまっては人間も犬も不幸になる。信じられない。
「あいつらは、おれたちを、この家を守ってくれる。お前がここに住む限り、あいつらはお前も守る。
犬はヒトの友となる動物だ。怖がらせてごめん。あいつらを誤解させるようなことをしてごめん」
熱っぽく語るヘンに、カクタスは小さく頷いた。そして、すがるようにメリアを見る。
「そうだカク、言いたいことがあるなら言っていい」
帽子越しに頭を撫でて、メリアが続ける。
「仲直りには『ごめんなさい』だ。何が悪かったかは分かってるんだろ?」
「…………あ、えと……あ、アイサツ、返さなくて……ご、ごめんなさい」
「いや、おれが短気でごめん」
少年二人の問題は、これで解決だ。
だが、スィとコーが胡乱な視線をカクタスに向ける。
「詳しくは省くが、カクは『女の子の格好して、特定の返事以外は許されない』生活をしてきた」
「なにそれ、意味わかんない」
唇を尖らせるコー。まったくの意味不明。なにをどうしたらそんなことになるのだろう。
「……児童虐待という、ことですか?」
「違うね」
スィの質問を、メリアはばっさり否定する。
「そういう役割。ストレスのはけ口、八つ当たりの道具、『そういうもの』だったのさ」
「む、無茶苦茶だ……ッ」
「昔ながらだな」
拳を握るスィであるが、平然と受け流される。目を剥く子供たち、だが料理人のマルーも悲しそうに頭を振る。
「あったんだよ。特に戦場や、一部の貴族では。『役立たず』の役割を一人に負わせることで、それ以外を褒めるのさ。
『お前はアレとは違う』『あんな風になるな』ってな」
「ヘン、コーあんたらは、『そう』したいかい?」
「そんなはずないだろッ」
メリアの問いに、ヘンは歯ぎしりして睨み上げた。その目つきにメリアは満足そうに頷く。
「ならいいさ。むしろ、アンタがそんな子だったらドン引きだったね。
だがカクは『その状態』しか知らない。物心ついた時からそれしか知らずに生きてきた」
特定の言葉しか許されず、挨拶もできない。はいと答えることすらできないような人間。
「アンタたちにゃそれを理解して、カクがいっぱしの人間になるまで様子を見てやってほしい」
「はい」「なるほど」
力強く頷くヘンとスィ。
その二人を横目に、召使いのコーだけは納得の行かない顔をしていた。
それで? それがあたしをひん剥いて押し倒した理由になるの? しかも男のくせに女の子の格好しちゃってさ、気持ち悪いったら!




