その04 え、続けないの?
【カルマ・ノーディ】の作者である老婆メリアの屋敷に、カクタス少年が住み込むことになって三日が過ぎた。
「アイツめ……今日こそ礼儀ってモンを教えてやる……!」
やんちゃなヘン少年が、苛立ちもあらわに木の棒を握り締めた。
ギリギリと音を立てて軋む棒。メリアの朝の散歩に付き合って、屋敷に戻った所である。
ヘン少年は子供ながらに多芸だ。主に警備と屋敷の整備、動物の世話を担当している。
屋敷に住み込みであるが、常に屋敷で働いている訳では無い。
週の半分は近所の大工の所に手伝いに行っている。そうでない日だけ散歩に付き合う。
屋敷には四頭の犬が飼われており、彼らの世話と訓練がヘンの仕事の一つである。
犬は賢く、警備員として優秀である。
であるが、現在の帝国では犬の訓練としつけについての専門家が少ない。
犬や狼は『真紅の悪龍ライフレア』の大天使『狩猟姫ハヌル』の眷族である。
戦争や狩猟、支配からの脱却を司る『ライフレア』は、六龍の中でも不人気な一柱だ。
それこそ、【冒険商人 カルマ・ノーディ】の一巻に出てきたレブカの街や、山林で過ごしていたディル隊長のような人たち、あるいは戦時中ならば違ったろう。
だが、平和な帝国では無用の神としてそっぽを向かれている。
ヘン少年はその『ライフレア』を信仰する山岳蛮族の出身である。
犬や狼に親しみ、『ライフレア』の魔法を扱う『巫』の卵でもあった。
彼は、見た目よりも遥かに我慢強い。
勘違いされがちであるが、動物の訓練を行い、山岳で狩猟生活をする人々は忍耐強いものなのだ。
短気では獲物を捕らえられない。
せっかちでは動物に物を教えるなど不可能だ。
であるため、ヘンは我慢を重ねてきた。三日間もだ。顔を合わせる度に声をかけた。挨拶をした。極力怒りを抑えて、にこやかに。
であるが、あのカクタスとかいうガキはなんなのだ??
声をかけると無視!
挨拶をしても無視!!
にこやかに笑いかけても無視!!!!
『過ち許すは三度まで』ということわざがあるが、ヘンは三日である。三度など一日目で突破していた。
カクタスは基本的にメリアに付きっきりだ。室内のあれを取れこれを取れ、お茶を入れろ片付けろ、肩を揉め足をさすれと命令され続け、そうでない時は愚痴に付き合い続けるのが仕事だ。
それでもお茶のおかわりや、他の何かを必要とする時は部屋の外に出てくる。
その時も、ヘンが苛つきながらも犬たちの相手をする庭に、あたふたしながら飛び出してきた。
「おい!」
「ひっ!?」
カクタスはお下がりのエプロンドレスを着ていた。可愛げ何もあったものではない召使いの衣装であるが、天使のような顔立ちのカクタスが身に付けると妙な色気があった。
不釣り合いに大きな帽子と、そこから少しこぼれた銀糸のような髪。雪のように白い肌。
ヘンはひるんだ。悪いことをしている気分になった。
「挨拶の一つもできねーのかよ!?」
「ううっ、も、もも……っ」
宝石のような赤い目、美しい造作の顔は小さく目は大きい。正直こんな美少女見たことがない。
「もうしわけ……ひっく!」
「しゃべれんならちゃんと言えよ! 礼儀も知らねーのかよ、かーちゃんに何も教えられなかったのか?」
ヘンの剣幕に、カクタスはブルブルと震えていた。脅かし過ぎたかな? ヘンは少し後悔した。
しかし、一度振り上げた拳を下げるのは難しい。
「何とか言えよ! あと家の中で帽子をかぶってんじゃねえ!」
「う、うわぁ……っ」
「あっ」
カクタスがヘナヘナとしゃがみ込み、ボロボロと泣き出したことでヘンの意気地はなくなった。
女の子を泣かせてしまった……そのことへの罪悪感が激しく燃え上がる。
それどころか、刈り込まれた芝生にじわりと広がる液体。ヘンはもはや完敗であった。女の子に泣きながら腰を抜かされおもらしまでされてしまって、それでも強気でいられるのはサディストだけである。
「な、な、なんでもバツを……」
「ば、バカっ、頭上げろよ!!」
事ここに至って、ようやくヘンは己の失態に気が付いた。
訓練された犬たちは、唸り声の一つも上げず、牙を剥き出しにすることもなく、ただ静かに、主人の命令を待っていた。
怒り狂ったヘンが一声かけてくれたならば、すぐにでも『敵』を八つ裂きにしてやろう。
そんな気迫と殺気が渦巻く待機状態であった。
つまり、ヘンは犬たちという暴力を盾にカクタスを脅迫していたのだ。
「ご、ごめん……おれっ」
もう何を言っても後の祭り。
起き上がらせようと手を伸ばすも、恐怖に身震いされては触れることもままならない。
「…………何をしているのです!」
どれだけの時間、呆然としていただろうか。眉をつり上げた秘書のスィが叱責するまで、ヘンは二進も三進も行かずにいた。
「ご、ごめんなさい。おれ……こいつに挨拶をさせようとして……」
「言い訳は結構! その子の体を洗うので、ヘンは湯を沸かしなさい」
「は、はい」
ビシリと言い放つスィ。ヘンは悄然と項垂れながら、重い足を台所に向けた。




