その07 釣りと人魚
「メリルくんたちも帰ってこないし、せっかくだからお姫様、僕とデートをして下さいませんか?」
翌朝、カルマは姫君と連れ立って海に出た。父親と兄には許可をもらい、釣り船を出す。
「うおお……結構揺れるのう」
「ぼっちゃん、船に潜り込んでは漁に参加しとったんやで」
「やんちゃだったんだよ」
カルマと顔見知りの年老いた漕ぎ手。漁にもいくつか種類がある。獲物によって使い分けているのだ。この船は網を使わないで釣り竿を利用する
「でも良かったんか? 海のど真ん中なんて色気もへったくれもあらへんで」
「うちのお姫様に、海を体感してほしかったのさ」
「河船には乗った事があるんじゃが、海はまた違うのう」
「せやろ? 河と一緒にしてもらっちゃぁ困るわい」
「おっちゃん、河を舐めてもらっちゃ困るよ? 内陸にも向こう岸が見えないような大河があるんだ。
…………でも潮の香りも、波も、全然違うなぁ」
遠い目をするカルマ。二人は並んで座り、釣り糸を垂らす。姫君は微笑みながらカルマの横顔を見つめた。郷愁に駆られる表情など、めったに見せる男ではない。
「子供の頃、僕は暗くてさ……家族と上手く行って無かったんだよね。ほら、みんな豪快なボスって感じだろ?」
「そうじゃな、お主とはタイプが違いすぎる」
カルマが押しの強い相手をあまり得意としていないのは知っていた。勢いのいい連中の前では流されがちなのも。そこもまた可愛いと、姫君は思っていた。
「しかし、にている部分もある。足で稼ぎ、現場から離れず、ひらめきで勝負する」
「…………そっか、似てるかな」
しばしの沈黙、二人で釣り糸の垂れた海面を見つめる。
「今の立場は、お主に一番合っておる」
「でも、それって上手く行ってるからだよね」
カルマが好き勝手していられるのは、それが商会の利益になるからだ。損失が出て、問題だらけになってまでわがまま放題はしていられない。
「やり方を間違ったら、僕はいつでも暴君になりかねない」
「そのために妾がおる。メリルもおる。生きたいように生きよ。妾はそんなお主が好きじゃ」
カルマは横に置いていた山高帽を手にした。顔を隠すために。姫君はそんな彼を愛おしげに見つめた。
「よし、次のポイントに行ってみようか」
素人の釣りだ。釣果は大した事ない。
カルマの言葉に漕ぎ手の老人が頷いた。
「…………ぼっちゃんに言ってもしゃあないんやけど」
「うん」
「うちのアホがな、例の船に乗っとったんや……」
沈んだ三隻のうちの一隻に、である。
老人の息子が、海難事故に合ったのだ。沈んだと言っても、目撃者はない。ただ、誰も戻らなかった。一週間以上。それがすべてを物語る。
「二人目がもうすぐ産まれるんや言うて、あのアホ……ぎょうさん儲けにゃならんて……」
「幼なじみだったんだよ。」
カルマの言葉に姫君は目を伏せる。海の事故は致命的だ。まず助からないだろう。
「ぼっちゃん、ワシはな……」
「僕も同じ事を考えているよ」
三件の事故。その海域は極めて近い。
海の魔物に襲われたのではないか、老人はそう考えているのだ。
「じゃけんど、たった一人でどないするつもりなんじゃ?」
「ひとり?」
海の魔物に襲われたらひとたまりもない。海中に適応して、船を破壊できるほど巨大な生物だ。人間一人で何とかなるほど甘い相手ではない。
普通ならば。
「僕には姫ちゃんが付いてるからね」
「えぇ……デートではないのか……?」
老人が何か言おうとした瞬間、海中から何かが飛び出してきた。人間よりも一回り以上大きな生き物が複数。船の両側から。
「釣れた釣れた!」
「埋め合わせは高く付くと思え」
「姫ちゃん愛してる」
「んあ……なんとワルい男じゃろうか……」
愛の言葉一つで満面の笑みを隠せない。姫君は安すぎた。
そしてこの間に、敵影は両端に重しのついた紐を投擲、老人を拘束している。
「た、助けてくれぇ!?」
「ちょっと待ってね、姫ちゃん見えた?」
「見えた。ありゃ人魚じゃな」
人魚は魔物ではない。もっと知的で平和的な生き物だ。『島龍ファンガーロッツ』を信奉する亜人である。上半身は人間の女性そっくり、腰から下は海洋哺乳類の体を持つ。
水中行動を得意とするがエラ呼吸ではない。多くは離島の洞窟などに住んでいる。
海洋哺乳類……つまりイルカやクジラ、シャチといった生物は内陸の人間には馴染みが薄い。
鱗ではなくツルリとした表皮を持ち、三角形のヒレを持つ。骨の向きが人間と同じなので、泳ぐ時はヒレを左右ではなく上下に動かすのが特徴的だ。
人魚という種族の最大の特徴は神秘的な魔力を秘めた肉体にある。
人魚の涙が真珠になるという噂はご存知だろうか? 人魚の肉を食べると不老長寿を得られるという伝承は?
困った事にこれらの噂は半分は正しい。
人魚の涙は真珠にはならない。しかし人魚は真珠を魔法の媒体として持ち歩く。捕らえれば奪うことが可能だ。
持ち歩くといっても、彼らは衣服をまとわない。そのため、多くは胃に入れておく。つまり、人魚から真珠を奪うために、腹を裂く必要がある訳で。
これがどこでどうねじ曲がったのか。
おそらくは噂の元は何も知らなかったのだろう。
そして今、その人魚が船を襲っていた。
「捕まってみよう」
「それは癪じゃ。防御頼む。生け捕りにしてデートの続きと洒落込むぞ!」
先程人魚たちは驚異的なジャンプで海面から5メルト以上も飛び上がり、空中で狙いをつけて射撃してきた。その数は六。
二度目の攻撃も同じ。投げつける武器も同じ。ボーラと呼ばれる拘束武器。
「『炎の壁』」「『凍結』」
炎による目くらましが攻撃を防ぎ、姫君の魔法が周辺の海上を凍てつかせる。複数の悲鳴と破砕音。カルマは青ざめた。
「し、死んでない?」
「やりすぎたか!? 頭から行きおった!」
頭からの着水は当然である。海面が突然凍りつくなんて考えなければ。
衝撃で気を失い、腹を上にして浮いてくる人魚たち。カルマと姫君は大慌てで彼らを救出した。




