その06 夫婦と手品
「キャロル、よう戻りはった。この十年の放蕩は不問にしたる。お前にぴったりの縁談が来とるさかい、ええな?」
キャロルの実家、セージスク侯爵邸は、カルマの実家から四半刻(30分)も離れていない場所にあった。
これは船主と領主が極めて近しい関係にある事を意味していて、キャロルとカルマが幼馴染なのも納得の位置関係だった。
門番をしていた男はキャロルとは初対面であったが、その顔立ちと髪からすぐにこの家の関係者だと見抜き、手際よく連絡して屋敷に招かれた。
キャロルの父は彼女によく似た紫蘇色の髪をした壮年男性で、眉間のシワが深く頬から左目にかけて大きな傷跡の残る威圧的な人物だった。
彼の宣言は一方的だった。物腰は丁寧だが、有無を言わせぬ力強さがあった。
メリルは、初めて会った時のキャロルを思い出した。冷たい威圧感すらよく似ている。
「せやけど父様。ウチにはもうええ人がおるんよ、重婚はよくないんちゃいますん?」
「そないな男がどこにおるんや? そもそも、わしは結婚など認めへんで」
セージスク卿が、娘の後ろに立つ二人の男を睨みつける。一人はあからさまに戦士、もう一人はひょろりとして頼りない。どちらも貴族としてふさわしく見えない。
「メリル様、あんなん言われてますぇ」
「仕方のないことですよキャロルさん。ボクはどこの馬の骨とも知れぬ若輩者、突然現れて娘をよこせと言い出す男にいい顔をする父親などおりますまい」
セージスク卿の攻撃的ですらある視線に怯む事無く、メリルは答えた。アガスとキャロルも彼を見つめる。
「セージスク卿。我々の商会はオールガス帝国ではちょっとした顔でして……これはほんのお近づきの印です」
微笑みかけられ、アガスが頷いて荷物を降ろす。その中から簡素な箱を出して、メリルは机に置いた。
荒々しいタッチで龍の図案が彫り込まれているが、箱そのものは安物に見える。高価な贈り物は包装の時点でこだわるもの。
セージスク卿は箱に一瞥だけくれて目を逸らした。見る価値すら無いとでも言うかのごとく。
「少々お目汚しを……キャロルさん、火をお借りしても?」
「ええよ」
にこやかに話しながら、メリルが箱を開けた。無垢の木箱、その中に入っていたのは獣の牙の根付に見える。
蛮族の作るお守りの一種だ。セージスク卿は不愉快さを隠さなかった。
キャロルが指先に火を灯す。魔法だ。セージスク卿の視線が鋭くなる。
魔法都市への留学を蹴って、逐電したキャロル。彼女が優秀な魔法使いになっていることを彼は知らなかった。
キャロルの出した火種がふわりと舞い、木箱の中に落ちる。次の瞬間、炎が噴き上がった。火花を散らし、頬を灼く本物の炎。天井まで届こうかという勢い。
突然立ち上がった火柱を、メリルは平然と木箱の蓋で受け止めて閉める。それで炎は幻のように消え去った。
「火龍の牙とたてがみの根付です。まだ魔力が残っており、火を近付けると見ての通り。一週間は燃え続けます。
箱は溶岩地帯に生える特別な樹木で、絶対に燃えず炎を通しません」
「…………くだらん手品やな」
「でも、見てくれるようになりましたよね?」
セージスク卿の視線は、それまで見向きもしなかった簡素な箱に向けられていた。
「火龍の炎は浄化の力があり、悪しきものを近寄せません。携帯型の結界としても、邪悪なものを祓う武器としても利用できます。
こちらがお気に召さないのであれば、エルフの不死薬を混ぜ込んだ軟膏や、古代遺跡から発掘された修理品の時計もございます」
どれも相当に珍しく、値の張る品物だ。これらを仕入れるには相当な元手が必要となるし、商売相手には目利きと地位と資産が、そしてそれに伴う信頼関係が必要になる。
「『ボクたちの』商会は帝国内でこういった珍しい品を扱っております。もちろん、それに相応しい方々を相手に」
「父様。今回の帰宅は家に戻るんやない、商売ついでに顔を出しただけどす。
父様が取引先になって、『ウチら』に商業権を下さる言うんなら、それに越したことはない」
嫣然と微笑むキャロル。家族に向ける笑みではない。艶やかな中に毒と試すような冷たさがあった。
「ああ、当然やけんど、ウチらが出奔した魔法都市の授業料と迷惑料くらいなら用意しとります」
キャロルが合図をすると、アガスが豪華な箱を取り出した。メリルの視線が鋭くなる。
こちらは一般的に大金貨を複数枚用の箱である。セージスク卿の目の色が変わる。
「…………夕餉の用意をさせるで、今日は泊まって行き」
メリルとアガスは客間を用意された。さすがに夫婦だと言っても非認可だ。キャロルとは別の部屋である、メリルは安心した。
豪華な部屋の片隅で今日の分の記帳などを始めると、ノックがされる。
「どうぞ」
「メリル様、お情けを乞いに来たんよ」
「あ、キャロルさん。ちょっとさっきのは酷いですよ! 前もって打ち合わせぐらいして下さいよ、なんですか夫婦って!?」
「えろうすまんかったなぁ。ほら、ウチ嫌われとるやろ? 前もって相談して断られたらウチ泣いてまうし……」
事前連絡もなく、アドリブで夫婦役をさせられたメリルは、目を三角にしていた。キャロルは実家ながらも肩身が狭そうに部屋に上がり、後ろ手にドアを閉めた。
「嫌われてるってどこ情報です?」
「えぇ……? メリル様のイケズ。ウチにだけそないにつれへんクセに、何を言うてますんの?」
メリルは瞬きして苦笑いした。そして照れたように頭を掻く。
「大丈夫な相手にしか冷たくはしませんよ、それに冷たいのはキャロルさんがからかうからです」
「それってどないな……」
「それよりもキャロルさん。次は前もって相談して下さいよ」
『次』……キャロルはニマニマと笑いながらメリルに近付いた。また、懲りずにこういうことに付き合ってくれるというのだ。
なんとまあ、お人好しなのだろう。
「おおきにメリル様。お礼はウチのカラダでええ?」
「またそういうこと言う……」
「あんまり冷たくせんといてぇな、ウチ……本気になってまう」
「はいはい」
しなだれかかるキャロルを押し返すメリルの頬が少なからず赤いのを見て、キャロルの胸は少なからず満たされた。




