その03 飛び道具と求婚
「ぎゃああああ!!?」
「えらいエゲツないことしよるなぁ……!」
悲鳴をあげて飛来した『飛び道具』に、キャロルは咄嗟に動けなかった。
ゴリラは先程なぎ倒した護衛の一人を、ムンズと掴んで投げてきたのだ。
避けることも、見捨てることも容易かった。戦場でならそうしただろう。キャロルは冷酷な兵士だった。
では今は? キャロルは放物線を描いて飛んできた護衛を受け止めた。すでに負傷しているだろう護衛。ここで見捨てたら死にかねない。
「あぐっ」「ぐはっ」
武装した大人の男だ、女の細腕では押し潰されるのが関の山。実際キャロルは耐えきれず転倒した。激痛にうめく護衛の男の下敷きにされて。
「ウホッ! ウホホッッ!」
ゴリラが勝利の雄叫びのごとく胸を叩いた。ドラミングと呼ばれる示威的行為だ。
現代の動物学では詳しく解明され、平手で胸を叩くことで己の肉体を誇示し、降伏を勧告する行動であると分かっていた。
「痛ぅ……バカ力がバカにし腐って……」
しかし、キャロルにはただの挑発に見えた。そもそも、ここで尻尾を巻いて逃げるという選択肢もなかった。
彼女は誰よりも負けず嫌いで、見栄っ張りだった。
「兄さん男やろ、もうちょい我慢しぃや」
痛みにうめく護衛の男を押しのけると、キャロルはノロノロと立ち上がった。
彼女の戦意が失われていないと理解したゴリラが、手近な箱に手を掛ける。
「ひっ」
箱が悲鳴をあげた。いや、箱の中に隠れて逃げ遅れた者がいるのだ。
だがゴリラは無頓着に箱を振りかぶった。中身など関係なかった。
「あ、いやっ!?」
「やめぇ……ッ!」
次の瞬間である。
炎を噴き出す黒い巨体が、文字通り飛んできたのは。
カルマの『噴射』で凄まじい推進力を得た黒檀色の肌の男、アガスである。
黄金に輝く光を全身にまとい、乳切棒を振り抜いた。
鎖で繋がれたクルミ程の大きさの鉄球が、ゴリラの腕にめり込む。
「ぐげええええ!?」
「ひいいいいん!?」
絶叫と箱の悲鳴。アガスはゴリラの顔面を蹴りながら停止、手から転がり落ちる箱をキャッチして睨みつける。
「う、ウホッ! ウホホ……ッ」
ゴリラは腹を見せ、腕をかばいながら後ずさった。完全に屈服していた。
アガスがフレイルで地面を叩くと、火がついたような勢いで逃げ出す。そもそもゴリラは野生動物だこのまま森に帰るならよし。しかし、街道警備隊には連絡し、次があったら容赦なく処分されるだろう。
アガスはそれを見送った後、ゆっくりと箱を下ろした。中に入っていたのはまだ年端も行かない少女。かわいらしい五、六歳の娘だった。
「すてき! わたしの天使さま!!」
がっしりと抱き着かれて、アガスは困惑を隠せない。少女はアガスの顔を両手で挟み、キラキラする瞳でしっかと見つめた。
「なんてキレイな人なの……? 天使さま! わたしをおよめさんにして!!」
珍しく困った顔で助けを求めて周囲を見回すアガス。しかし、カルマは怪我した護衛の応急処置、キャロルも投げられた護衛の治療で忙しい。
「…………き、君が大人になったら」
「分かったわ! やくそくよ!! うんとステキなオトナのレディになるから、そしたらむかえに来てください!」
勢いに押されて頷くアガス。この一行は旅芸人の一座のようだった。
この広い大陸で、旅芸人と行商人が再会するのは難しいだろう。アガスは約束させられたものの、無理だろうと思っていた。
そもそも、こんな子供の言葉だ。誰よりも本人が大人になる頃には忘れているだろうと。
…………十年後、彼女の方からアガスを見つけ出して押しかけてくる。その更に二年後には、彼女はアガスを口説き落として本当に結婚することになるのだが、その顛末はまた別の話。
「怪我は大丈夫ですか?」
「せやなぁ。何箇所か折れとっけど、命に別状はないんとちゃうん?」
「キャロルさんの方ですよ、もうっ」
後から駆けつけて来たメリルが、怒った顔をしてキャロルに近付いた。投げられた男はもう問題あるまい。他の怪我人もカルマや姫君が何とかしてくれている。
「ちょっ、どこめくってるん!?」
「スカートです。脚も腕も出してるから擦りむいてるじゃないですか」
メリルは持ってきた小壺を開けると、キツイ匂いのする軟膏をキャロルの脚に塗りたくった。
「あかん! や、やめぇ、それえらい染みるんよ! 堪忍してぇ!」
「魔法ばかりに頼ると体が弱くなりますよ」
暴れるキャロルを押さえつけて、メリルは手際よく包帯を巻き付ける。続いて膝、肘。
「ホンマ、ホンマに、堪忍……優しくしてぇ……」
「はいはい、終わりましたよ。
次はそっちの方、こちらはエルフ秘伝の塗り薬です。ひどく染みますけどよく効きますよ。傷跡も綺麗に治ります。お安くしておきますよ」
しどけない声を出すキャロルを冷たくあしらい、メリルは商魂たくましく怪我人に薬を塗りつける。
キャロルは人心地ついた所で乱れた衣服を直し、湿った息を吐いた。そこに、肩をすくめながら姫君がやって来た。
「まったく、カルマの懸念通りじゃったな」
「あのアホ、何言うてましたのん?」
「『偵察だけならともかく、壁役もなしに交戦させるのは危険』」
姫君の言葉に、キャロルは不機嫌に唇を尖らせた。




