その02 紅蓮の蛇とゴリラ
普段と変わらずたっぷりの荷物を荷台に乗せて、老馬白波号が荷馬車を引く。
普段と違うのは周囲の人数。カルマ、メリル、アガス、姫君に加えて、紫蘇色の髪の女キャロルが同行している。彼女だけは持ち馬を引いていた。
「南部は整備が進んでるね。広くて平らで旅籠が多い」
「甲雲戦争で難儀せえへんかったさかい」
甲雲戦争はオールガス帝国の内乱であった。どこの国でもそうであるが、内部がゴタついている時ほど外への警戒を密にせねばならない。
特に南部は複数の国家と隣接している。付け入る隙は無いに越したことはない。
その結果、中原以北が百年にわたる内乱で疲弊する中でも、南部は比較的平和であった。
シートランをはじめ周辺国との交易も盛んで、人々にも活気がある。同じオールガス帝国内でもえらい違いだ。
踏み固められ障害になる石もない道、すれ違う人たちの表情と服装、なだらかな丘を進みながら、カルマは大きく頷いた。
「シートランまで行かなくても、ここいらにも販路を作れば十分なんじゃあないかな!」
「往生際が悪いのぅ。男らしく覚悟を決めんか」
なんだかんだ理由をつけて実家に帰りたがらないカルマの尻を、姫君が叩く。
「む、良い弾力」
「イチャつくなら二人の時にしてください……それより、あれは何でしょう」
メリルが目敏く見つけたのは、街道から少し離れた雑木林。正確にはそこの倒木。
「メリーちゃんは顔だけでなく目もええんやねぇ」
「そこは顔じゃなくて頭では? それとメリルです。メリーって呼ばないでください」
手で日陰を作り目を凝らすキャロル。一本だけではない、奥の方まで荒らされているようだ。
「魔物かな……警備隊に通報しよう」
「ウチが行こか?」
「うーん」
厳しい顔でカルマ。だが足をあまり速められる訳では無い。一人だけ乗用馬を持つキャロルの提案に、カルマは難しい顔をした。
「せやねぇ、ウチはか弱い乙女やし」
「そうですね、単独行動は避けましょう」
「僕はそこは心配していないんだけど」
「心配してあげて下さいよ」
キャロルの言葉は冗談ではない。『戦闘魔術師』として戦場を経験している彼女は、『紅蓮の蛇』という二つ名を持つ中距離戦の名手だ。
「キャロルが一人なら問題ないんだよ。身軽だし機転も利く。間合いも分かってる。問題は……」
「きゃあああああ!!?」
前方で悲鳴。丘を越えた先だ。素早く馬に飛び乗るキャロル、止める間もなく拍車をかける。
「カルマさんたちは行って下さい!」
「すまない、荷物は任せる!」
背負い袋を放り出し、身軽になったカルマとアガスも走る。残されたメリルが手早く荷物を拾い荷馬車に積んだ。
「お姫様は行かないでくださいね」
「か弱い妾を護衛に使うとはいい度胸じゃ」
「申し訳ありません」
姫君は邪神の怪物関係でなければ、積極的に攻撃しない。しかし、身を守ることに躊躇はしない。
もしも前方の悲鳴が陽動で、複数の魔物が狩りをしているならば、戦力を分散したメリルが危険になる。
軽口を叩きながらも姫君は、メリルの判断が正しいと感じていた。
「た、助けてぇ!」
前方を進んでいた馬車が倒れ、複数の女子供が逃げ惑っている。簡素な鎧と短剣、あるいは手槍で武装した護衛が、襲撃者に立ち向かっていた。
「類人猿はアカンなぁ」
襲撃者は体長2メルト半もある大型の生物だった。全身が黒い毛皮に覆われ、二足歩行で歩き、簡単な道具なら扱える猿である。
ゴリラというのは大型類人猿の総称だ。大柄で筋肉質、野卑な男性を指すスラングとしても浸透している。
前腕が異様に発達していることが特徴で、二足歩行と四足歩行を使い分け、前腕を使っての樹上行動にも優れる。
温暖な地方の森林で、多くは群れで行動し、縄張りを荒らされなければ穏やかな生物だ。
しかしながら稀に、群れから追放された個体が人里で暴れることがある。その場合は非常に厄介であった。
「うおおおおお!!」
「ウッホッ!!」
ゴリラの腕は異様に長い。あの巨体ならば両腕を伸ばした長さは1メルト半以上だ。両手に木をへし折っただけの棍棒を握っているが、それで十分。槍のような間合いで攻撃できる。
護衛の一人が棍棒の直撃を受けて、きりきり舞いして吹っ飛んだ。
他の護衛たちが弓を用意する。すると、体格に似合わない身軽さでゴリラが跳躍。素早く肉迫して薙ぎ払った。
動ける護衛は残り少ない。ゴリラは雑食であり、時には人間も食べるという。荷物の中に好みの食事がなければどうなるかわからない。
「アホ! こっち見ぃ!」
キャロルが馬から飛び降りる、訓練された軍馬ではない。炎の噴射にはパニックを起こしかねない。
発射された炎の弾丸がゴリラの近くで破裂する。注意を引き、キャロルは移動しながら『火炎噴射』の準備をする。
『紅蓮の蛇』と恐れられる彼女の代名詞は、蛇のように予測不能で曲がる炎のムチだ。
威嚇効果は凄まじく高い。高速でうねる炎だ。野生動物はもちろん、訓練された兵士でも怯む。
ゴリラも当然。炎の弾丸だけでも腰が引けた。
しかし、類人猿は凶暴な見た目と裏腹に非常に知能が高い。飛び道具相手には、自分も飛び道具で対処しようとする程度には。
キャロルは射線を確保しつつ走りながら、空中で破裂する炎の弾丸を複数放った。流れ矢が馬車や人に当たっては大惨事だ。空中で消滅しないと困る。
それにしても。キャロルは少しばかり自省した。浮かれていたようだ。露出が多めで激しい運動には向かない服装、まとめてもいない長い髪、邪魔で仕方がない。
ゴリラが振り被り、棍棒を投擲する。しかし、移動しながら射撃するキャロルにはかすりもしない。爆発から顔をかばいながら、もう一つの棍棒も無駄撃ちする。
手持ちの武器がなくなった。キャロルは距離を詰める。『火炎噴射』で少し痛めつけて、馬車や人から引き離して……。
結論から言うと、キャロルの予定は何一つ達成しなかった。
ゴリラには、まだ射撃に向いた道具があったからである。大量に。




