その02 反撃の狼煙
【冒険商人 カルマ・ノーディ】という小説の流行には、いくつもの複雑な要因が関係する。
まずは歴史的背景。
帝国に平和が訪れて二十年近く、人々は娯楽に飢えていた。戦争の英雄や勇者の物語は、吟遊詩人に語られ尽くして、新たな物語が求められていた。
次に話題性。
『活版印刷』と『パルプ紙』。デディ商会が見出した二つの発明は大いに世間を賑やかせた。
これまで、本とは羊皮紙に写本をして作るものであり、恐ろしく高価なものであった。
それが新たに世に出た二つの技術で、驚くほど安価に、大量に生産できるようになったのである。
つまり、一部の金持ちと貴族の道楽だったものが、貧乏貴族でも、場合によっては平民でも手の届く存在に変わったのである。
デディ商会が最初に出版した五冊は、いずれもベストセラーとしてすさまじい分量が流通した。
需要に供給が間に合わず、印刷所はパンク状態。紙を作るための工場は嬉し泣き。材料となる紙を作る為に森林伐採に勤しんだ。
そして最後の理由として、目新しさである。
これまで、この世界に小説という分野はほとんどなかった。物語と言えば吟遊詩人の歌う英雄譚や、村の老人が語る類の民間伝承ばかり。
そんな中で、本で物語を書こうという取り組みは革新的に映ったのだ。
「だがそれにしても酷い内容だね! 下手くそ過ぎて頭が痛くなるよこりゃ。
カルマを女好きの伊達男に描きたいのか、過去に陰ある男に描きたいのか、どっちつかずもいいところさね!
その上、読者を飽きさせない為にとか言いながら、派手なシーンは後半ばかり、序盤はしみったれてて興味をそそらない。
おまけにエイベルとトリスタンの関係であっちこっちから非難がギャーギャーうるさいったら仕方ない!」
老婆メリアは、デディ商会の重鎮であった。
とっくに隠居して暖かい土地で果樹園に囲まれて暮らしているのだが、デディ商会が本の大量生産をすると聞きつけて自分の小説をねじ込んだのだ。
当初、担当者は困惑し、土下座して勘弁してくださいとまで言った。
既に人気の物語を本にするとかではなく、完全新作書き下ろしの、どこの誰とも知れない主人公の物語なのだ。
余程の物好きしか買わないし読まないと思われた。
本の大量生産は当時のデディ商会にとって、社運を賭けた一大プロジェクトだ。そこで無用なギャンブル要素は極力減らしたかった。
一年程度印刷を続けて、様子を見てからでは駄目だろうかと言う担当者の涙目が忘れられない。
何しろ担当者は、老婆メリアが手ずから仕込んだ大番頭であり、当然彼女の気質も心底、否が応でも、ブライドをかなぐり捨ててもいい程に、よくよく知っていたからである。
対するメリアは鬼ババアだが鬼ではない。コストとリスクの話をされて引き下がれる程度には理性的だった。
そもそも、ギャンブル不要論と、リスクマネジメントの徹底こそが、新興のデディ商会を生き残らせた秘訣である。
まあ、思い付きと勢いと分の悪い賭け事が大好きな商会長がいるせいで、他を徹底的に合理化した結果というか。商会長に無茶をさせるためにそれ以外のところは安全第一を取っただけというか。
「んじゃ、書きたい話があるから勝手に書くわ。アタシが生きてる内には本にしてくれると助かる」
「善処致します」
わざわざ家まで謝りに来た大番頭に、お土産を大量に持たせて帰らせた後、当時のメリアは考えた。
書きたいものは決まっていた。ずっと前から何とかしたかった。それが、思わぬ形で世に出せそうだということに興奮した。
ああ、アタシの一番大事な人!!
吟遊詩人が歌う、英雄譚。勇者と魔王。悲劇。戦争。ロマンス。
老婆メリアにとって、その多くは実際に経験したものだった。事実を脚色した虚飾であった。
英雄たちも人間で、強い部分も弱い部分もあった。失敗も、醜さも、軽蔑されるような行いも、嘘偽りも、メリアは見てきた。そして、その上で彼らとは友であった。
しかし物語の中の英雄たちは違った。
彼らは闇を隠すために光を増して、まるで聖人か何かのように偉大で完璧で輝いていた。クソ喰らえ!!
「負けるものか……あんな強いだけの連中に、アタシの一番大事な人が負けるものか……ッ!」
既に目は悪くなっていた。寒い日は身体が傷んで眠れなかった。足が悪くて歩くのも億劫だった。
それでもメリアは筆を執った。
一番の問題は、メリアの大事な人が、誰にも相手にされていないことだった。
あんなにも強くて賢くて可愛くて幸運に愛されていて、様々な英雄たちと交流してきたというのに。
邪神信仰による国家簒奪とそれに伴う大戦争にも。
恐るべき異世界からの魔王ラストイルとの戦いにも。
腐敗し狂ったホリィクラウン法国の解体にも。
大陸を業火に焚べた天冥戦乱にも。
あの人は立ち会った。仲間たちと駆け抜けた。
それが? 見向きもされない? 許されることか?? 許される訳無いだろう!!
「あの人の物語で、私の【冒険商人 カルマ・ノーディ】で、ニセモノを皆殺しにしてやる!!」
これは、たった一人の老婆の反逆の狼煙。
誰にも見向きもされなくてもいい。それでも、あの人の存在を何処かに残したい! それだけのこと。
勢いで書き切った第一稿は、気が付けばそのまま印刷されていた。
大番頭宛に送った封筒を会長が見て「一つくらいイロモノがあってもええんちゃう? 知らんけど」の一声で決まってしまったのだ。
まったく、本当に、回りを振り回して無茶苦茶やって、きっと大番頭も真っ青で、印刷所も大慌てで。
きっと本人は平気な顔して悪びれもせずに「ええやん、売れたんやし」といつもの笑顔で笑うのだろう。
ああもう!!
好き!!!!!




