その06 怖気付いてもいい
「ひ、ひとが……おおい……」
これまでの生活、屋敷にこもっているか、馬車に押し込まれていたかのどちらかだったカクタスには、十人を越す人の往来はすでにキャパシティオーバーだった。
わたわたとするカクタスの手を、スィが優しく繋ぐ。カクタスはスィの大きな手に両手ですがり付いた。
「あの人数なら少ないほうでしょ、市場に行ったら即倒すんじゃないの?」
「あーでも、私も初めて大きな街に行った時にびっくりしたなぁ。世の中にはこんなにたくさん人がいるんだなって」
イウノがにこやかに言う。この町はそこまで大きくはない。それでも市場に行けば黒山の人だかりである。
「カクタス、ゆっくり行きましょう」
スィの言葉にカクタスは青い顔で頷いた、今日のお出かけは買い物、イウノの案内、そしてカクタスを屋敷の外に出すためと三つの目的がある。
常識がなく他人との距離感が掴めないカクタスからすれば、ただの『見ず知らずの人』という存在は特別であった。
相手がこちらに興味を持たず、こちらも相手とは無関係という距離感は、屋敷の中には存在しない。
そして、他人のすべての行動に警戒してきたカクタスからすれば、注意を向けるべき他者が無数にいることは非常に大きなストレスなのだ。
「あんたさ、屋敷でもみんなに警戒してるけど、それってしんどくない?」
「…………?」
コーの指摘にスィが目を細める。気付いていなかった、いや、スィは己の放つ威圧感について自省する。
無意識にカクタスを怖がらせていたのかもしれない。
「みんなさ、あんたが思ってるよりも他人に興味ないわよ?」
「う…………でも……」
視線を感じる。カクタスは居心地の悪さに身震いした。いつ誰に何をされるか分からない。警戒しなければ。
「それは駄目です」
スィが空いている方の手で頭を撫でる。正確には大きな帽子の下で落ち着きなく動く耳を押さえる。
ただの大きな帽子ならば、珍しいファッションで済むだろう。
しかし、その中で何か蠢いているとなったら話が変わる。
「戻りましょうか?」
「…………」
震えるカクタスに問いかけるスィ。小さく頷く少年の前に、イウノが微笑みながらしゃがみ込んだ。
「怖い?」
「こ……こわい」
「何が怖いかを考えてみて、知らない場所が不安? 人が多い? 広すぎる?」
視線を合わせて語りかけるイウノに、カクタスは潤んだ瞳を向けた。ぜんぶこわい。いや、まず何より。
「ひ、ひと……」
「私も怖い?」
カクタスは頭を振った。イウノは怖くはない。本を読むのがうまいし、いつもにこやかだ。
いや、時々何考えているか分からなくて怖いけれど。
「スィさんとコーちゃんは?」
「…………」
カクタスは再び頭を振った。二人は頼りになる。優しい。いろいろ教えてくれる。
「ふたりは……すき」
「うわ」
カクタスは嘘やおためごかしを言えるほど世慣れしていない。であるから、これは本気の言葉であった。
それを理解できるからこそ、不意打ちで好意を向けられてコーは顔をしかめた。
「あんたねぇ、スィさんはともかくあたしには怒鳴られてばっかりでしょうに」
「??」
不思議そうなカクタス。怒鳴られるのと好きなのは無関係だと言わんばかり。イウノはうんうんと頷いた。
「二人と一緒でも、怖い? 心強くない?」
「…………」
カクタスは怒った顔のコーと、照れくさそうにこわばった笑みのスィを見比べた。
そんなの決まっている。二人といれば。
「ちょっ、ちょっとこわい……」
「正直ですね。そしたら後はちょっとの勇気かな」
カクタスの辞書にはない単語だった。
「初めてのことは怖いですよね。分かります。私も未だに新しいことに手を出すのは恐ろしいですよ」
「…………」
スィの言葉に、カクタスは驚いたように顔を上げた。スィにも怖いものがあるのかという顔。
「誰だってそうです。私はねカクタス。あなたの好きなカルマの一番の魅力はそこだと思うのですよ」
「どういう意味です?」
尋ねたのはコーだった。怖いこと、恐れること。そこにカルマが関係するとは思っていなかったのだろう。
だが、確かにカルマはよく恐れている。戦いを恐れ、殺しを恐れる。
「他の英雄は、怖がらないんですよ。恐れ知らずの怖いものなし。それが英雄です。
でもカルマは怯え、ひるみ、時には自分に言い訳をして逃げ出します。……その弱さこそが、私たちと同じ人間らしさこそがカルマの魅力なのではありませんか?」
イウノはなるほどと頷き、コーは娯楽にそこまで考えていないため、ピンとこない顔だった。
それでも問題なかった。少なくとも一番必要なカクタスは、スィの言葉を理解して頷いたからだ。
「でも……カルマは」
「ええ、カルマは怖がっても、必ず最後には立ち向かえる勇気があります」
「…………ゆうき」
カクタスは自分の手のひらを見た。そしてスィと、町を見比べた。
「今は別に逃げても構いません」
逃げてもいい。ゆっくりと、勇気を出せばいい。
その言葉に、カクタスはぐっとスィの手を握った。
「だ……だいじょうぶ」
震える声。しかしその目には、強い決意があった。




