佐藤美咲の独占欲4
家に帰ってから、知り合いの修理屋に連絡を取った。
以前、母に連れられて調律をお願いした人だ。
思い出したようにスマホの連絡先を探り、震える指でメッセージを打つ。
部品を交換すれば直るかもしれない。
そう答えが返ってきたのは、予想よりずっと早かった。
鍵盤の裏にある弦の一部を、同じ型のものと取り替えれば、応急処置にはなる。
道具があれば、私でもできる作業だという。
私は納戸へ向かった。
倉庫の奥にある、埃だらけの布をめくる。
そこには、私が幼い頃に使っていたアップライトピアノが静かに佇んでいた。
傷だらけの外装。
沈黙を守る鍵盤たち。
何年も開かれていなかった蓋をそっと持ち上げると、きぃ、と軋む音がした。
私は、指先で鍵盤を撫でた。
懐かしい手触り。
だけど、もう音は出ない。
中の機構が壊れていて、弾くことはできないと、ずっと前に言われていた。
「……ごめんね」
誰にともなく呟いて、工具箱を開けた。
修理屋が送ってきた手順書を思い出しながら、慎重にパネルを外し、弦を一つずつ取り外していく。
手間のかかる作業だったが、不思議と億劫ではなかった。
優奈には屋上の補修を任せていた。
「お願いできる?」と頼んだら、嬉しそうに「任せて!」と返事が返ってきた。
彼女のことだ。今頃、炎天下の屋上でヒイヒイ言いながら、防水シートの代わりにボンドを塗っているに違いない。
その様子を想像した瞬間、自然と頬がゆるんだ。
笑ったのは、いつぶりだろう。
ふと、そう思った。
そんなことに気づいてしまった自分にも、驚いた。
翌日、私は部品を小さな袋にまとめ、登校のついでに持っていった。
正門で優奈と合流すると、彼女は満面の笑みで両手を広げてきた。
「美咲ちゃん、来たー!」
いつの間にか「ちゃん」付けになっていた。
軽いな、と思いながらも、それを否定する気は不思議と湧かなかった。
「昨日ね、凄く頑張ったんだよ?あの屋上で防水ボンドをチューブから全部しぼってさ、手も服もべったべたになって」
「けどあの子を助けるためだったから、凄く頑張ったよ!」
楽しそうに身振り手振りで語る姿は、まるでどこかの子供向け特撮ヒーローのようだった。
正義の味方ごっこをしているような、そんな熱量。
呆れるような気持ちと、少しだけうらやましい気持ちが混ざって、私はふと目をそらした。
だけど、不思議だった。
彼女の話を聞いている時間が、悪くなかったのだ。
「……そっか、ごくろうさま」
小さくそう言うと、優奈はちょっと驚いた顔をして、でもすぐににっこりと笑った。
そうして私たちは、再び旧校舎の音楽室へと向かっていった。