佐藤美咲の独占欲3
古びたグランドピアノが、薄暗い教室の片隅にぽつんと置かれていた。
カバーは外れていて、鍵盤にはうっすらと埃が積もっていた。
脚には錆が浮き、天板のニスも剥げかけている。
私はその姿を見て、何故か、未来の自分の姿を見ている気がした。
誰にも使われなくなって、埃をかぶって。
そのうち邪魔だと判断されて、処分されてしまう。
私も、きっとそうなる。
昔読んだ音楽史の本に、書かれていた言葉をふと思い出す。
「オルガノン」。
それが、オルガンの語源なのだそうだ。
古代ギリシア語で「器具」「道具」。
使われることが前提のもの。
自分の意志など、初めから存在しない。
まるで、私みたいだ。
私は、誰かに言われるままにピアノを弾く。
審査員の好みに合わせ、親の期待に応え、教師の顔色を窺う。
好きで始めたはずなのに、今ではただ弾いているだけ。
私は、器具。
オルガノン。
その言葉が、あまりにも自分にふさわしく思えた。
「助けてほしいのは、この子なんだ!」
優奈がピアノに近づき、そう言った。
私はぽかんと口を開けた。
この子は、何を言っているんだろう。
まるで、ピアノに人格でもあるかのような言い方だった。
「七不思議の謎を調べててね、ここんとこ毎日、この音楽室に来てたの」
優奈は楽しそうに喋りながら、ピアノの周りをぐるりと歩いた。
「天井のシミ、見た? あれ、雨漏りの跡なんだよ」
「屋上を見たら、防水加工がボロボロでさ。そこから水が入り込んで」
「ぽたりぽたりって、この鍵盤の上に落ちてたんだよね」
優奈がひとつの鍵盤を押すと、ポォン、と濁った音が鳴った。
お世辞にも綺麗な音とは言えなかった。
なるほど。
これが「誰もいない音楽室で鳴るピアノの音」の正体だったのか。
思っていたよりずっと現実的な原因だったけれど、それでも納得できた。
けれど。
それでもやっぱり、分からなかった。
どうして、それが「人助け」なの?
優奈はピアノを撫でるようにして、その問いに答えた。
「このピアノ、放っておくと誰にも弾かれないまま、壊れていくだけだよ」
「私は、ちょっと可哀想だなって思ったんだ」
「君、ピアノに詳しいでしょ? もしかしたら、何かできるかなって」
私たちの年齢なら、夢見がちな子が多い。
優奈も、きっとそのひとりなのだろう。
馬鹿らしい。
そう思った。
けれど。
私自身、さっきまでこのピアノに、自分を重ねていた。
それもまた、夢想ではないか。
「……これを口実にすれば、ピアノの練習を避けられるかな」
そう言い訳をしてみた。
誰に対して、というわけでもなく。
ただ、その場にあった逃げ道にすがるように。
そんな浅はかな理由で。
私は、彼女に協力することにした。
我ながら、英断だったと思う。