邪竜の息子、愛を乞う花嫁の狂気に笑みを浮かべる。
「待てっ、リーシャ・グーゼンタール!貴様の断罪が終わっていないぞっっ!」
ゼイスはその声を聞いて目を見開く。
マキナが邪竜の話をした目的は、面倒な亜人戦争を早急に終戦に持ち込むためだが。それでもゼイスがその邪竜の息子で、親と同じように世界を滅ぼせると分かったはずだ。
なのに、ゼイスの花嫁であるリーシャを今だに断罪しようとしているなど……まさに愚の骨頂。愚かしいにも程がある。
「……………何?」
リーシャも酷く面倒そうに、冷たい目をフーレンスに向ける。
だが、その目を向けられた彼は言葉の続きを紡ぐことなく、目を見開いて固まった。
………それはそうだろう。
リーシャは、愛を乞う化物だった。
その執着を婚約者であるフーレンスに向けていた。
熱を帯びた瞳、懇願するような顔。
しかし、戦争のために存在する兵器に向けられるソレを気持ち悪いモノだと、フーレンス自身が思っていたのに。
……そう周りに言っていたのに。
今の彼女が、彼に向ける視線はなんの興味も示さない、他人を見るかのような目で。
その変わりにように、フーレンスは驚いてしまったのだ。
「レンス様……?」
そこで彼はハッとする。
愛しい少女の声で、我に返る。
ナリーアが不安げな顔で、フーレンスを見つめていた。
それで彼は思い出す。
ナリーアはリーシャに虐められていたのだ。罵詈雑言を浴びせられていたのだ。
何を今更、動揺する必要があるのかと。
普通の思考ならば、ゼイスの所有物……花嫁に逆らおうとしなかっただろう。
しかし、恋に盲目になった彼は……その愚行を犯す。
「リーシャ・グーゼンタール!貴様はここにいるナリーアを……いや、聖女ナリーアを虐め、罵詈雑言を浴びせ、一週間前には彼女を階段から突き落とし、殺そうとした!そもそもの話、貴様は人間ですらない戦争のために産み出された化物だっ!実験体五十七号!人造兵器よ!貴様との婚約は破棄させてもらう!そして、聖女を殺そうとした罪、その首で懺悔せよ!」
『──っ!』
その言葉に人々は言葉を失う。
ナリーアが聖女であるということは然り、リーシャが人間ではないこと。
それに実験体・人造兵器という言葉と、第二王子が彼女に死ねと告げたこと。
驚かずにいられるだろうか?
だが、その中で落ち着いていたのは……やはり、ゼイスとリーシャ、マキナ達だった。
ゼイスはとても驚いた顔でリーシャを見つめ……呟く。
「……………どうしよう。アイツ、馬鹿じゃね?」
そう言われてもリーシャは困ってしまう。
馬鹿とか、阿呆とかどうでもいい。
それ以前にもう興味もない。
「私、アレに興味ないからどうでもいいよ?」
「んー……そう?」
「うん。ねぇねぇ、早く行こう?ゼイスと早く一緒に普通の暮らしがしてみたい。でね?普通に暮らせるぐらいの生活をして、夜はどろっどろになるまで互いを求めあってね?それで子供ができて、沢山、子供を産んで。子供達に囲まれて暮らすの。ずぅっと、ずぅーっと!死ぬまで!」
リーシャは周りを無視して、ゼイスの腕を揺らしながらキラキラした顔で言う。
その姿はまるで子供のように、幼い言動だ。彼女の普段の無口で洗練された振る舞いを知っている人々は、驚愕を隠せない。
でも、こうなったのも当然の話だった。
リーシャは今……一番適した言葉で表現するのならば、若干の幼児退行化を起こしているのだから。
子供の頃からずっと願い続けていた願望。
しかし、辛過ぎる幼少期であったため……幼い頃からなるべく、愛し愛されるという欲を抑えつけていた。
だが、今はそれを叶えてくれる唯一の最愛がいる。
今まで彼女が押さえつけていた欲望を、最愛に曝け出すのは……当たり前なのだ。
子供の頃からの願いを、今なら抑えつけずに言える。
それはリーシャの凍っていた、止まっていた時間が動き出したということ。
やっと、やっと……リーシャは、どこにでもいる普通の子供のように振舞って、我儘を言える。
でも、そう言えるようになったのは幼児退行化しているからこそ。この国の奴らがリーシャを愛そうとしなかったから。彼女は彼女。愛するゼイスに想いを返して、それに伴って素直に自分の願いを吐露できるようになった。
自身の最愛の小さな願い事は、ゼイスの心を甘く疼かせる。
彼女の頬にキスをしながら、満面の笑みでゼイスは答えた。
「いいぞ。リーシャが叶えたいことはなんでも俺が叶えてやるよ。でも、リーシャは邪竜の息子の花嫁だから、人間よりも永い時間を生きる。それこそ数千年以上の単位で。だから、そんなに慌てなくても大丈夫だ」
「本当っ!?なら、沢山子供を産めるね!うふふっ、楽しみだなぁ……」
「そういう訳で、もう少し待ってな?まだちゃんと終戦の締結になってないから」
「はぁーい!」
リーシャは嬉しそうに彼の腕に抱きつく。
子猫のように甘える仕草に、ゼイスの頬を無意識に緩む。
だが、そこでナリーアが叫んだ。
「待って下さい!貴方は騙されてます!」
「……………は?」
ゼイスはその声に、ナリーアに冷たい反応を見せる。
ビクリッと身体を震わせるが、ナリーアは引き下がらない。
「だって、私、知ってるんです!その人は亜人達を殺すために産み出された化物だって!色んな亜人の力を埋め込まれた、化物で!人間じゃないんです!だから、きっと……貴方もその女に殺されちゃいます!私も殺されかけたんですから!」
「……………化物ね……」
「だって、邪竜っていうのも亜人でしょうっ!?それなら、その亜人殺しの化物の餌食に……」
「だから?それがどうした?」
「……………え?」
ゼイスは呆れたように溜息を吐く。
そして、慈しむように……リーシャの頬を撫でた。
「別に?俺を殺すことがリーシャの願いなら、俺は喜んで殺されてやるけど?」
「……………え?」
「だって、愛しい花嫁が俺を殺したいって思うんなら……叶えてやるのが夫の務めだろう?」
「えぇ……私、殺さないよ?あー……でも……私以外の人を好きになったら…………殺すかも」
リーシャは仄暗い瞳をゼイスに向けて、彼の首に手を伸ばす。
ゼイスはそんな彼女に満面の笑みを見せた。
「そんな訳ないだろ。そもそも、他の奴を好きになったら死ぬ契約してるし」
「あぁ、そうだったね!うふふっ、簡単に死んじゃ駄目だよ?ちゃんと、私を、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと死ぬまで、死んでも、永遠に愛してくれなきゃ!」
その言葉に、ゼイスはもう抑えきれないほどの喜びを感じてしまう。
異常なほどに執着し、狂ったように、壊れたように自分だけを求めるリーシャ。
愛を乞う、可愛い可愛い……愛しの花嫁。
ゼイスは彼女の身体を掻き抱いて、何度も何度もキスをした。
「あぁ、勿論。愛してるよ、リーシャ」
「うん、私も!」
互いに蕩けるような笑顔で抱きしめ合うゼイスとリーシャ。
周りの人々は、その姿に背筋がひやりとする。
見た目は微笑ましい光景でしかないのに、言いようのない不安が襲ってくる。
言葉にできない恐怖が、周りの人々を襲った。
「流石、ゼイス。ちょっと方向性は違いますけど、素晴らしく壊れている花嫁様を見つけたんですね」
「流石、ラグナ様の息子っすね!ラグナ様そっくりっす!」
「ゼイス様の花嫁様も中々に狂ってらっしゃるワ」
「……………なんか、これはこれで微笑ましいですね」
マキナ、エイダ、エイス、ジャンは、ミュゼとラグナで見慣れているからか……ほのぼのとした空気でそんな二人を見つめる。
ナリーアとフーレンス達は、そんな二人を見て後ずさるが、まだ引く気がないらしい。
「そんなの、間違ってます!化物が望んだから死ぬなんて……」
「そ、そうだっ!そもそもの話、婚約破棄する前に他の男の花嫁になるなど……」
「………そうです。婚約破棄前に他の男に媚びを売るなど、売女のすること」
「そーだよ!それにナリーアは聖女なんだよぉ!?死んでたらどうなるのっ!」
「大人しく死になさいっ!」
ここまでくると頭が痛くなってくる。
ゼイスはとても、とても呆れた顔で彼らを見つめた。
どうやら、彼らの一つ一つ前提を壊して……その暴走した愚行を、恋に暴走した心を叩き潰さないといけないらしい。
「まず、第一に。テメェら人間の枠に邪竜の系譜たる俺を当て嵌めるなよ。どうして、テメェら人間の価値観で語る?俺は邪竜の血を引く者だ。お前達人間とも、亜人とも違うんだよ」
その言葉はかつて父親である邪竜も語った言葉。
そう……壊れて狂った邪竜の価値観を、人間の価値観と同等だと思うこと自体間違っているのだ。
邪竜には倫理観も。道徳心も。常識も、当て嵌まらない。
「第二に。リーシャはもう、亜人の力など有してない。俺が全部抜き取ったからな」
『………えっ!』
「おい、待て!それは一体、どういうことだっ!」
傍観者として一向を見つめていた人々の中から叫び声が響く。
人々を掻き分けて現れたのは、毒々しい紫色の髪を持つ、真っ赤なドレスを纏った不気味な女性。
彼女こそが女公爵アビー・グーゼンタール。人造兵器研究の第一人者であった。
「あたしの!あたしの最高傑作を壊したのかっ!お前ぇっ!」
「はぁ?最高傑作?あぁ……お前か。リーシャにあんな汚い改造を施したのは」
「何ぃっ!五十七号は、百六十八体の中で唯一成功している実験体なんだぞっ!?」
『なっ……!?』
それは、この国の人々だけでなく亜人達の長。
そして……実験の全貌を知っていなかった、リーシャが戦争のために産み出された兵器としか知っていなかった国王と王太子に、途轍もない衝撃を与えた。
それはそうだろう。
彼女は、グーゼンタール公爵は自身の研究を至高とし、そのためならば例え何人、何十人、何百人と死のうが構わないと思っているのだから。
研究の報告をするぐらいならば、強い、強い兵器を生み出すことに専念した方が百倍マシだと考えているのだから。
そう……グーゼンタール公爵は、常軌を逸した研究者だった。
「グーゼンタール公爵!我はそんな話、聞いておらぬぞっっ……!?それほどの人をどうやって集めて……!いや、そんなにも犠牲を出しながら、実験を行っておったのか……!」
「あたしの最高傑作をぉっ!壊したのかっ……お前ぇぇっ……!」
グーゼンタール公爵は国王の声を無視して、ゼイスに殴りかかろうとする。
しかし、それよりも先にリーシャが彼女の腕を掴んで……バキバキバキッ!と躊躇いもなく握り潰した。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!?あ、あたしの腕ぇ!あたしの!至高を生み出すっ、あたしの腕がぁぁぁぁあ!」
「ねぇ、何するの?私のゼイスに何しようとしてるの?ねぇ、ねぇ、ねぇ?今、殴ろうとした?殴ろうとしたよね?なら、やり返されるのは当たり前だよね?殴り返されても仕方ないよね?ボコボコにされても当然だよね?ぐちゃぐちゃに潰してもいいよね?だって私の最愛の人に傷をつけようとしたんだもん。なら、殺してもいいよね?死んでもいいよね?ねぇ、ねぇ、ねぇ?」
リーシャは光を宿さない瞳で、自分を化物にした女を見つめる。
その瞳は、ただ自分の最愛を傷つけようとする者を排除することしか考えていない。
ただ、目の前の女を……。
「リーシャ」
しかし、殺す狂気に取り憑かれたリーシャを呼び戻せるのもやはりその最愛のみで。
リーシャは名前を呼ばれて、彼の方に振り返った。
「なーに?ゼイス」
「リーシャが俺のために怒ってくれるのは嬉しいけど、別に殺さなくていいよ。興味ねぇし、リーシャの手が血で汚れるのは嫌だし」
「えぇ〜……でも、ゼイスを傷つけようとしたんだよ?殺そ?」
「人間なんかの攻撃で傷つくはずないじゃん。そんな価値のない下等生物の血でリーシャが汚れる方が百倍嫌だよ」
「…………そっかー。ゼイスがそう言うなら、止める〜」
リーシャは少しだけ拗ねながら、ゼイスの腕に抱きつく。
なんとなく、ゼイスは彼女に聞いてみた。
「ちなみに……もしも殺すとしたら。リーシャはどんな風に殺すつもりだったの?」
「うん?あのね。指をね、一本ずつ折ってね?手足を引き千切るの。千切ったところを抉るとね、とっても痛いんだよ!そしたら、お腹の皮膚を引き裂いて、内臓を……」
「…………それは、リーシャがしたの?されたの?」
「両方!だって、私達はそうやって亜人の殺し方を習うんだよ!ちゃんとやらないと、廃棄処分されちゃうの。でね。上手くできたらできたで、殺した相手を残さず食べないと……怒られちゃうんだよ」
『っっっ!?』
精神が壊れているリーシャは、その質問に素直に答えた。
その声はとても無邪気で、でも内容はとんでもなく悍ましく。
参加者の中には、想像力が豊かな人もいたのだろう。
顔面蒼白は当たり前で、既に嘔吐している者いる。
ゼイスはそんなリーシャの頭を撫でながら、グーゼンタール公爵に向き直った。
「そんなことしてまで、化物を生み出したかったのか?」
「何を……私の、研究は至高なんだっ……最強の、兵器をっ……」
「とか言ってる割にはすっごい稚拙だったけどな。リーシャが副作用に襲われてても、対処してなかったみたいだし?俺がいなかったら死んでたんじゃないか?」
「そんなはずはっ……」
「それがあるんだな。エルフ、ドワーフ、獣人……後は魔物の因子その他諸々?なんであんな状態でリーシャが生きてられたのかって方が謎だったぞ。俺がリーシャの身体を診たら内臓は臓器不全を起こしてるか、溶け出してたるかのどっちかだし。内腔──臓器と臓器の間も、胃とか腸とかの消化器の中身も殆ど血しかなかったし。無駄に感覚神経も強化されてる所為で、平時から激痛が止まらなかっただろうしな」
それを聞いてとうとう、倒れ出す者まで現れ出した。
亜人達はそこまでして自分達を滅ぼそうとする人間に恐怖する。
そんな人間達と、終戦協定を結んでいいのかと。亜人達の敵対心は更に強まった。
「………ゼイス様。その女の処分は、我々に任せて頂けませんか?」
だが、そんな時──王太子レーンがそう申し出た。
ゼイスは冷めた目で彼を見る。
「どうする気だ?」
「直ぐに処刑します。そして、必要あらば我ら王族の首も捧げましょう」
「なっ、レーン!」
「父上。我々はそんな悍ましい研究をしているなど知らずに、戦争に勝つために援助してしまった。これは我ら王族の恥。数多の犠牲者のためにも、我らの首を捧げるのが妥当でしょう。この世の害悪となる存在は、ここで歴史の中から去りましょう。そして、平和への礎となるのです」
驚愕に言葉を失う国王だが、どうやら王太子はそれなりに芯の通った人間らしい。
ゼイスはそれに肩を竦めて、微笑んだ。
「お前、それなりの人間だな。なら、この国の指導者として重要になるんじゃないか?処刑するのは、この研究者と国王の首で充分だろ。なぁ?」
ゼイスのヒトならざる黄金の瞳が、有無を言わさぬ威圧が、国王とグーゼンタール公爵を襲う。
その威圧に負けて、二人は気を失ってしまった。
ゼイスはそのまま亜人達にも「他の首が欲しいか?」と問う。
彼らは揃って首を横に振った。
「さて……少しばかり話が逸れたが。俺はお前達と話してたんだ」
ナリーアとフーレンス達は、ゆっくりと向いた彼の笑みに顔面蒼白で身体を震わせる。
兵器の……この国の、闇に触れた恐れだけでなく。
たった今、二人を処刑に決定させたというのに笑っていられる異常なゼイスとリーシャに恐怖を抱いたのだ。
流石に、恋に暴走してた彼らだって、自分達が危険な立場にいることを理解してしまう。
しかし、始めたのは彼らなのだ。
この舞台から降りることを、ゼイスは許さない。
「さぁ、続きといこうか?」
邪竜の息子は、そう言って微笑んだ。