邪竜の息子、愛しき花嫁のために行動する。
煌びやかなホールで行われていた卒業パーティー。
この場で、婚約者たるリーシャ・グーゼンタールに婚約破棄をしようと画策していた第二王子フーレンス・ヴァン・ノヴィエスタは……今だに会場に現れないリーシャに苛立ちを抱いていた。
煌めく翡翠の髪に、碧眼を持つ彼がエスコートするのは、亜麻色の髪に翡翠の瞳を持つナリーア・ウィゴール男爵令嬢。
彼女は可愛いらしい顔を不安げにさせながら、フーレンスを見上げた。
「レンス様ぁ……」
「大丈夫だ、ナリィ。必ず、わたしが君の無念を晴らしてやろう」
ナリーアはリーシャから虐められていたらしい。
〝自分よりも身分が上の人に逆らってはいけないから……〟と。随分と長い間、我慢していたようだが……ある日、ナリーアはフーレンスに助けを求めた。
そして、ナリーアに熱を上げていた他の三人もそれに憤慨し……今日、この場で断罪することにしたのだ。
しかし、会場を回って戻ってきた仲間達は……皆、首を振る。
「どうやら、リーシャ・グーゼンタールは来ていないらしい」
「だけど、公爵令嬢でしょぉ?それにレンスの婚約者じゃん。おかしくない?」
金髪碧眼の青年──フーレンスの護衛騎士であるツィードと、オリーブの髪と瞳を持つインツィア公爵家子息クゥーファが怪訝な顔をする。
そして、青い短髪の二十代ほどの男性──次期宰相のアレクサンダーが「王家から何か聞いてますか?」とフーレンスに切り出した。
しかし、彼は首を振る。
そもそもの話、リーシャの話なんて聞かないようにしているのだ。
例え、フーレンスにリーシャの件で誰かから話があろうと王妃が止めているので、知る由もない。
そのため、彼は婚約者という立場でありながら一切、リーシャ個人の情報を知らなかった。知ろうとしなかった。
「じゃあ、死んじゃったとかぁ?断罪はできないかもだけど、いなくなったのはラッキーじゃない?」
クゥーファの言葉に、「いや……」とフーレンスは険しい顔をする。
「一概にいいとは言えないんだ」
「えー?」
リーシャは亜人との戦争で要となる人造兵器なのだ。
それがいなくなったということは、もう暫くは拮抗状態が続くということ。
グーゼンタール公爵の実験では、今だにリーシャしか成功例がないのだから……どうなるか分からない。
「…………今回、この場で断罪するにあたって彼女を人造兵器だと公表することは……彼女を戦争から逃げられなくする意味合いがあったんです」
アレクサンダーは、神妙な顔で言う。
戦争のための兵器だと知られれば、リーシャは戦争から逃げられなくなる。
加えて、フーレンスも化物と婚約破棄できるし……一石二鳥だったのだ。
「……………いかが致しますか?」
「仕方ないから、リーシャ・グーゼンタールがいない状況で断罪を行う」
フーレンスはナリーアの肩を抱くと、覚悟を決めたように頷く。
そして、事を始めようと大きく息を吸って……。
「はい、ストーップ!」
「うわぁっ!?」
「きゃあっ!?」
思いっきり背後から蹴られて、ナリーアと共に前に倒れこんだ。
フーレンスはナリーアを庇いながら、背後を振り返る。
「何者だー………っ……」
だが、そこで彼は止まってしまった。
いや、その会場にいる全ての者達が固まっていた。
一部が蒼銀色に染まった漆黒の髪に、金の瞳。
人間とは思えない中性的な美貌を誇る青年が……そこにいたのだから。
「よぉ。お前が王子?」
声さえも麗しく、その場にいた令嬢達は腰砕けになってしまう。
そんな彼の腕の中には……制服姿のリーシャの姿。
彼女はスリスリと、ゼイスの胸元に頬を擦り寄せていた。
「お前、は……」
「俺?俺はゼイス・ドラグニカ。お前の婚約者、俺の花嫁にしたからそれを言いにきたのと、少し問題ごとを解決しにきただけだ」
「………………な、に……?」
ゼイスは笑う。
そして、腕の中にいるリーシャの髪をするりと撫でた。
「あぁ。可愛いだろう?こうやって甘えてきて……まるで子猫みたいだ」
「子猫じゃないもん」
「あははっ。頬を膨らませてるのも可愛い」
リーシャがぷくっと膨らませた頬を彼はつんつんと指先で触れる。
その時、ゼイスの背後が陽炎のように揺れる。
空間の裂け目から滲み出るように現れる青年──マキナは呆れたように溜息を溢す。それでも嬉しそうな雰囲気を醸し出しながら、ゼイスに声をかけた。
「はぁ……箱庭を飛び出して早々連絡が来たと思ったら、花嫁を手に入れたとか早過ぎでしょう。どこまでラグナ様に似たんですか」
「あははっ!ごめん、ごめん。マキナさん」
「構いませんけどね。育ての親として、子供のピンチに力を貸してやりたいものですから」
マキナは「さて」と微笑んだ。
彼も彼で美しい顔立ちをしている。
そんな顔で見せる笑顔は……なんとも言えない凄みがあった。
「まさかまたこの国でこんな事件に巻き込まれるとは思いもしませんでした。でも、きっとそういう縁なんでしょうね」
「…………な、何をっ……」
「それは「お待たせしたっす、マキナ様っ!」………早かったですね」
マキナは若干困ったような顔をしつつ、影から現れたエイダ、エイス……ジャンを見つめる。
ゼイスは気まずそうなジャンの姿に、「よぉ」と片手を上げながら挨拶をした。
「お久しぶり、色狂い」
「ゼ、ゼイス様っっ!たたた、頼みますから!その渾名は止めて下さいっっっ!」
「そーっすよ、坊ちゃん!ジャンが色狂いになるのはボクと肌を重ねてる時だけっす!ほぼベッド生活っすけど!それ以外はマトモっす!というか、ボクの肌を見れば色狂いになるように、パブロフの犬みたいにそーいう風に調教したっす!」
「姉さん、そーいう赤裸々発言はいいから。言わなくていいから。ジャン君が沈んでるワヨ」
バチコーンッとウィンクしながらてへぺろっするエイダにツッコミを入れるエイス。ついでに地面に崩れ落ちたジャン。コント状態になった彼女達を、マキナは「黙りましょうか?」の一言で大人しくさせる。
高位種族たる竜種であり、そこそこの年月を生きたマキナはそれなりに強い。
とはいえ竜種の階級的には邪竜の血を引くゼイスの方が更に強いのだが……育ての親には逆らえないので、この場で一番強いのはマキナで間違いないのだった。
閑話休題。
「というか……どうして君も来たんですか?ジャン君」
「………いや……できれば来たくなかったんですけど……今回は人数が必要だとお聞きし、強制的に連行された感じです」
「そうっす!」
「あぁ……そんなに亜人の種類、多かったですか」
「まぁ。ジャン君を連れてくる程度にはネ?」
彼ら三人には、ある人物達にマーキングをしてきてもらっていた。
マキナは、それを確認してゼイスを見る。
「さて、ゼイス。マーキングは済んでいます。転移させて下さい」
「了解」
ゼイスは魔法を発動させる。
それは転移の魔法。人間では、使えぬ魔法。
だが、この場で魔法を使っているのは竜だ。動揺が走る第二王子達を無視して眩い光が走る。それと同時に……各亜人達の長がその場に現れた。
「なぁっ!?」
近衛兵達が亜人達を排除しようと動くが、そうなる前に淫魔三人によって足止めされてしまう。
そして……このタイミングで、この国の王が王太子を伴って、会場に現れた。
「何事だっ!」
翡翠の髪に琥珀の瞳を持つ初老の男性と、青年。
国王レイモンと王太子レーンは、会場にいる亜人達やゼイス達を見てギョッとした。
「なっ……」
「あ。あんたが国王?」
ゼイスは軽いノリで国王に微笑みかける。
国王はゼイスの容姿を見て、若干後ずさった。
「そなたは……」
「俺?俺はゼイス・ドラグニカだ」
「「ドラグニカっっ!?」」
国王とレーンがその名を聞いてガクブルと震え出す。
その異常な様子に、人々は怪訝な顔をした。
「つかぬことを聞くが……その……ラグナ・ドラグニカ様の……」
「へぇ?父さんを知ってるんだ?」
「…………………」
国王はそれを聞いた瞬間、天井を見上げた。
現実逃避、である。
「………ご、ご用件はなんでしょうか……ゼイス様……」
現実逃避し始めた父の代わりにレーンが彼に問う。
ゼイスはその質問に笑顔で答えた。
「簡単だ。今ここで互いに戦争しませんって協定組んでくれ」
『えっっ!?』
人々の驚愕が響く。
それはそうだろう。
人間らしい見た目をしたゼイスが、ワザワザ互いに戦争しないようにしろと言っているのだから。
実を言うと、リーシャの調節中に彼女の記憶を覗いていたのだ。
リーシャが実験体となった理由が。兵器へと改造された理由が、亜人との戦争の所為で。
実験体こと兵器を公的に王家の所有とするための婚約だったことなど……リーシャの思考以外の、この世界で必要な知識をゼイスは取得していた。
そうなると〝国を守る王族である〟という建前でリーシャは、戦争に駆り出される事態になるかもしれない。
というか、王家のみしか事実を知らないようにしたのは、もしもの際のためじゃないかと推測していた。
リーシャが逃げようとした際に実験体であったこと。人造の兵器であるという化物だと公表して……戦争から逃げられなくするために。
その全てを解決するためには、戦争を止めさせるのが手っ取り早かった。
という訳で、マキナに連絡を取り、エイダ達の魅了の力で亜人達に接触。
マーキングでゼイスがこの場に、必要な人達を全員集めるという強硬手段に出たのだった。
『何故、貴様のような人間の思い通りにせねばならん!』
しかし、敵対する人間達の前に強制的に引きずり出されて、そう言われても素直に応じるはずがない。激昂した獣人が独自の言語で、怒鳴り声をあげた。
魔法で全ての言語を理解していたゼイスは、獣人の言葉に……少しだけ圧を込めて、にっこりと微笑んだ。
「誰が人間だって言った。ってか、面倒だから全員の言語を共通理解させる魔法をかけるぞ」
ゼイスが魔法を発動させると、言語が伝わらなかった種族との会話も可能になる。
それがどれだけとんでもない技量なのか……魔法が使える亜人達は、ソレを見てギョッとした。
「貴方、何者?」
エルフの女長が警戒するような顔で聞いてくる。
ゼイスはサラッと答えた。
「邪竜の息子と、その嫁だけど?」
『…………。邪竜の息子ぉっ!?』
人々はそれを聞くと恐怖に震える。
この世界に生きている者にとって、邪竜は共通の認識で恐怖すべき対象なのである。
レーンは恐る恐るといった様子で、ゼイスに質問をした。
「…………そ、その……もしや……戦争を止めようとするのは……」
「リーシャが俺の花嫁になったから。本当は滅ぼしちゃった方が早いんだけど、リーシャは普通の家庭で普通の暮らしってのが憧れてるみたいだからな。皆殺しにしたら、普通の暮らしができないだろ」
レーンの問いに答えたゼイスは、愛しい花嫁の頬を両手で触れて微笑み合う。
場違いな甘い空気に、マキナが取り繕うように咳払いをした。
「まぁ、とにかく。ノヴィエスタ王家の皆さんには、お世話になりましたからね。受け入れて下さいますか?」
「受け入れよう」
国王の即答に、周りにいた亜人の長達は目を見開く。
そして……そのまま説明しろという顔になった。
「もう、時効だから言うが……我々……いや、王になる者はある真実を語り継いでいる。稀代の悪女の話は知っているな?」
「二百年前の?」
「二百年?こっちの世界は二百年なんですね」
箱庭の時間の流れは、人の世界よりも早かったり遅かったり……酷く不規則だ。
ゆえに、箱庭の世界ではあの日から四百年ほど経っていた。
「数多の人々を洗脳し、テロリストに禁術を渡したとされる彼女が処刑される前。彼女はタイムリープという力を有していて、時間を繰り返していたらしい」
『なぁっ!?』
「タイムリープを繰り返した理由は、邪竜様の寵愛を求めたから。何度も繰り返したのはその寵愛を得れなかったからだと言われている」
「いや、正確には彼女は転生者で。この世界がゲームの世界だと思ってたから、容赦なく殺してたらしいですよ?タイムリープは、人の死を持って発動する力なので。そのために、彼女は当時洗脳していた王太子、宰相子息、騎士候補生、そして……公爵家子息を使い、《邪竜の花嫁》様を四回も殺してタイムリープをしたんです」
『っっっ!?』
マキナの補足説明に皆は目を見開く。
〝転生者〟は少なからずいる存在で、彼らの知識によってこの世界は発展してきた。
そして、一人の寵愛を得るために他の男を利用し……人を殺してまでタイムリープを繰り返す。
それは、とても異常だった。
ゆえに、人々は稀代の悪女に恐怖する。
「こっからは実際にその場にいた僕が語りましょう。二百年も経ってるんじゃ多少の誤差はあるでしょうし」
「…………え?」
国王はそれを聞いて目を見開く。
まさか、稀代の悪女に関わった者がいるなんて、思いもしなかったからだ。
「ちなみに、僕とエイダ、エイスは邪竜様の眷属です。その事件にも関わってましたし、ジャン君はさっき話した騎士候補生でした」
『なぁっ!?』
「うぐぅぅ……」
「マキナ様〜。古傷エグってるっす!」
人々は実際に洗脳されていたと言う青年を凝視する。
ジャンもこれは自分への罰だと思い……それを甘んじた。
マキナは、ゆっくりと話し始める。
「あの悪女は、この世界をゲームだと思ってました。どうやら、王太子、宰相子息、騎士候補生、公爵家子息の四人と睦まじくなると、邪竜様の寵愛を得られると思ってたらしいんです。ですが、そのゲームの主人公は《秘匿されし聖女》であり、悪女ではなかった。だから、彼女は四回目分の人生で《秘匿されし聖女》を言葉巧みに操り、禁術や知識を手に入れ、五回目の人生で《秘匿されし聖女》の肉体を奪い、本来の《秘匿されし聖女》を娼館に売ってしまいました」
聖女の肉体を奪い娼館に売る。
その事実は今日、初めて語られたゆえに……代々その話を語り継いできた国王と王太子は、絶句する。
「悪女は、五回目の人生を《秘匿されし聖女》の身体を使って、邪竜様の寵愛を得ようとしたんですけどね。ですが、花嫁様は今までの死を思い出した。そして、壊れてしまわれたのです」
「壊れた?」
「そりゃそうでしょう。公爵家子息は花嫁様の婚約者でしたし。冤罪で殺されてたんですし」
「あぁ。前に聞いた崖から馬車ごと落とされたり、王都で襲われて死んだり、剣で惨殺されたり、父さんの前で殺されたり?」
ゼイスの言葉に人々は震える。
ただの令嬢が冤罪でそのような殺され方をしたら、壊れるのも当たり前だったからだ。
「四回目で邪竜様の前で殺されたからなのか……五回目は記憶を取り戻した。そして、邪竜様と再会された。そっからは自らの花嫁を殺された邪竜様の復讐のオンパレードです。いやぁ、頑張りましたよね、僕達」
「そうっすね!王太子殿下を廃人にしたり」
「眷属達を使って、宰相子息を魔物を産むための苗床にしたりネ〜」
「「っっ!?」」
フーレンスとアレクサンダーが身体を震わせる。
自分ではないが、地味に関わりがある役職についている彼らは……何故か身体が震えてしまった。
「その過程で?国際テロリストを捕縛したり、復讐したり、色んな方を巻き込んで。最後に稀代の悪女は、パラサイトという魔物に肉体を奪われた公爵家子息に純潔を奪われ、聖女の力を失くし、数十日の拷問の後、魔物達に犯され、邪竜様が作り上げた合成生物を出産。そして廃人になって、処刑という末路を迎えたのです」
まさに絶句。
そんな中で、泣き崩れ落ちるヤツが一人。
「うぅぅぅぅぅぅぅう……申し訳ありません!申し訳ありませんでしたぁぁぁ……!ミュゼ様ぁぁぁぁあ………」
「おーしおしおし、泣かないんっすよ〜」
…………元騎士候補生である。
マキナはそっと見なかったことにした。
「本当は復讐なんか回りくどいことせずに、世界を滅ぼしても良かったらしいんですけどね。邪竜様の気まぐれでこの世界は存続しましたとさ」
暫くの沈黙。
少ししてから、国王は亜人達を見た。
「………ということで、邪竜様は簡単にこの世界を滅ぼせる。つまり息子のゼイス様もそうだろう?そんな方が温情で戦争締結で許してくれてるんだぞ?即答するだろう?」
国王の必死の形相に亜人達は頷く。
流石に世界滅亡をかけてまで戦争をする必要はないのである。
「じゃあ、後は平和的な解決で。できるな?」
ゼイスの言葉に無心で頷く人々。
亜人戦争の終戦が決まった歴史的瞬間だった。
だがしかし。
「待てっ、リーシャ・グーゼンタール!貴様の断罪が終わっていないぞっっ!」
終幕に至るには……ほんの少しだけ、早いようだった。