君は僕のともだち 1
「ナミはどこから来たの?」
「うんと遠いところからだよ」
「遠いところってどこ?」
「さあ、僕も忘れちゃったな」
宮殿を囲む城壁の西側にある草村の陰には、子ども一人がやっと通れるような小さな抜け穴が存在していた。
僕はウィルに引っ張られるまま抜け穴をくぐり、宮殿内の広々とした庭園にたどり着いた。
ウィルは僕を宮殿内に引き込んでも尚繋いだ手を離さず、僕を木陰まで引っ張って隣に座らせるとすぐにとりとめもない質問をいくつか投げかけてきた。
しかし僕は長い眠りから目覚めたばかりで、帝国はおろか周辺諸国に関する知識について皆無といっても過言ではない。
何を聞かれてもその場しのぎの適当な答えしか出てこないので、僕は質問にひとつ答えるたび、ウィルからの信用を得るどころか、ウィルの懐疑心をただただ増長させるばかりだった。
「じゃあ、ナミはどこへ帰るの?」
「街の方に帰るよ」
「どこから来たかもわからないのに、どうして帰る場所があるの?」
またもや返しに困る質問に対して、僕にしては無難な返事で切り抜けたと思いきや、ウィルは微かに顔を歪めて繋いだ手に力を込めた。
どこに不機嫌になる要素があったのか僕にはさっぱりわからないが、ウィルの表情の変化には気づかないふりをする。
「帰る場所というか、寝る場所があるだけだよ」
当分は街中の宿屋に泊まるつもりでいたが、この少年の姿では余計怪しまれるだけだろうと思い言葉を濁した。
しかし繋いだ手に込められた力は強まるばかりで、ウィルは相変わらず不機嫌そうな顔をそのまま僕に近づけた。
「寝る場所ならここにもあるよ」
「えっ?」
至近距離にある綺麗な顔に驚いて身を引こうとする僕に対し、ウィルは逃すまいと僕の手を痛いほど強く握り距離を詰める。
「僕には友だちがいないんだ。ナミしかいない」
「……ウィル、少し離れて」
「ナミが帰ったら、いつ戻ってくるの?絶対に戻ってくるってどうしたらわかるの?」
「……手が痛いよ。ウィル、何が言いたいの?」
いつの時代も、どうしてこんなに皇室の人間は暴走気質なんだ?
恐ろしいほど強い力が込められた右手と、僕の言葉に一切聞く耳を持たないウィルの顔を交互に見やり、血は争えないことを痛感する。
そんな僕の気も知らないで、ウィルは繋いだ手を持ち上げると、そのまま僕の右手を両手でそっと包みこんだ。
かと思えば先ほどとは打って変わって真剣な面持ちで僕を見つめて口を開いた。
「ナミ、僕と一緒にここに住んで。僕と一生一緒にいて」
ウィルの表情は切実だった。
生まれてからずっと宮殿内に閉じ込められ、たまに宮殿の外に抜け出しても一人きりで動物を追いかけるばかりで、その極めて閉鎖的な世界で出会う人間の中に、政治的な関係を抜きにしてウィルに近づく人間はたったの一人もいないだろう。
この可哀想な少年の寂しさを利用して近づこうとした僕には、同情する資格も、申し訳なく思う資格もないが、こんなにも切実な表情で傍にいてほしいとせがむ小さな男の子に心を痛めずにはいられなかった。
「うん、一緒にいるよ。明日も明後日も一緒に遊ぼう」
君が誠実な君主としてこの帝国に君臨し、平和をもたらすその日まで、僕は君の傍にいる。
僕の言葉はウィルを安心させるためのものであり、一方では自分に言い聞かせるためのものでもあった。
ウィルは僕の言葉に満足げな笑みを浮かべ、間髪入れずに問いかけた。
「じゃあ、この城に住むんだね?僕と一緒に」
そして僕が曖昧に誤魔化そうとした部分を決して見逃さず、念押しするように確かめた。
「一緒に住まなくても、毎日来るよ」
だから安心して、という意味を込めて僕はウィルの機嫌を伺うように覗き込む。
宮殿で働く大勢の人間と一緒に暮らすなんて、僕には到底耐えられない。きっとすぐに気が滅入って、帝国の平和など顧みずに逃げ出してしまうだろう。
しかし、ウィルの口から出てきた言葉はあまりにも無慈悲なものだった。
「ナミの言葉、信じられない」
それはごもっともである。こればかりは僕の自業自得だ。
投げやりな答えでやり過ごしてきたツケが回ってきたのだ。
だからと言って、こればかりは僕も譲れないのだ。
「……ウィル、酷いよ。僕を疑うの?」
僕は繋がれた手に力を込め、わずかに屈んでウィルの顔を覗き込み、そのまま上目遣いでウィルを見つめて弱気な言葉を吐いた。
大魔法使いともあろう僕がどうしてここまでしなければならないのか、ひとたび冷静になれば一気に具合が悪くなってしまいそうな状況の中、僕は心の声をぐっと押し殺して、さらにウィルに近づいた。
帝国の戦争にすら参加しなかった僕が、まさかここで絶対に負けられない戦いに駆り出されることになると誰が予想できただろう。
「……ナミ!」
「ウィル、僕たち友だちだよね?友だちのこと、疑わないよね?」
ウィルはわずかに顔を赤らめながら、綻んだ口を隠そうともせず、まるで愛らしい小動物でも見つめるかのように優しい表情で僕を見つめた。
そんなウィルの様子に半ば勝利を確信した僕が一層強気になってたたみかけると、ウィルは形のいい唇を僕の耳元に近づけて囁いた。
「うん。ナミは僕の友だちだよ。……僕は友だちのこと、絶対に放さないよ」
天使のように甘い笑顔で、悪魔のような言葉を告げる。
その姿をただ呆然と見つめる僕に、ウィルはくすりと笑って、そのまま僕の頬にキスを落とした。
僕は激しい動揺の中で、それでも諦めずになけなしの力を振り絞って抗った。
「……僕は家に帰るだけで、いなくなるわけじゃないよ」
「ナミ、友だちなら一秒も離れちゃダメでしょ?」
そんな僕のわずかな抵抗をも捻り潰すかのように笑いかけるウィルの姿は、正真正銘、アステリア帝国の次期皇帝に相応しいものだった。
僕は観念したように俯き、ウィルはそんな僕の姿が可愛くてたまらないとでも言うかのように顔中にキスを落とす。
人間と暮らすなんて僕には到底受け入れがたいのに、僕はそれ以上抵抗することができなかった。
きっとそれは、可哀想な皇子様を利用する僕の罪滅ぼしでもあるのだ。
そして、君と同じ場所で眠ることはあっても、君と一生一緒にいることはできない僕の裏切りに対する償いだ。