#1 違う世界の幼馴染
『みんにゃ~、こんにゃちわ~!』
人がいない朝の教室で、イヤホンから流れる推しの声に耳を傾ける。
ほとんどの生徒が登校するより早く学校に来て、推しの配信をアーカイブで視聴する。
これほど充実した朝の過ごし方を俺は他に知らない。
暦見 亥月のモーニングルーティーン、なんて動画を出したらウケるんじゃなかろうか。
……ないな。再生数10もいかないだろう。
ちなみにどうして家で見ないのかというと、見入って遅刻するからだ。
推しの配信は時間が溶ける。
『今日はT病院跡地ダンジョンの7層を攻略していくよ~』
夕陽のように赤い髪をポニーテールに結わえ、猫のお面を被りファンタジーテイスト強めな制服という装いの彼女は、薄暗い廃病院を物怖じひとつせず進んでいく。
おとといから始まった廃病院ダンジョンの攻略も、はや7層か。
上層はモンスターのレベルが比較的低いとはいえ、相変わらずのハイペース。
この分だと今日か明日の配信で、俺のいる13層に追いつかれるかもしれない。
ネタバレを食らわないようにさっさと進め……いや、待てよ。
もし追いつかれたら憧れの推しを生で見られるんじゃ……?
「おはよう、亥月!」
なんて気持ちの悪い妄想を膨らませていると、いつの間にか横に立っていたクラスのお調子者こと真田 直人が声を掛けてきた。
「おはよう」
「なに見てんの?」
「コラ。人のスマホを勝手にのぞき込むんじゃありません」
「えー、でもどうせNyaNyashiちゃんだろ?」
「……まぁ」
「やっぱり! いいよなぁ、NyaNyashiちゃん。あぁ、いつかそのご尊顔をお目にかかりたいっ!」
「いや、顔出しはする予定ないって言ってたろ。名前すらわざわざ名無しをもじってるくらいなんだから」
「そうだけど、亥月は気にならないのかよ。やっぱり可愛い系かなぁ、それとも以外にも美人系だったり?」
はいはい、と益体もない妄想を軽く流す。
直人は同じNyaNyashiちゃん推しの仲間だ。といっても、主にNyaNyashiちゃんしか追っていない俺と違い、こいつは色々なⅮ-ライバーに愛を振りまいているが。
「ところで今見てるのっていつのアーカイブ?」
「昨日の配信」
「あれ、珍しいな。いっつも配信があったらその日のうちに観てるのに」
「妹と喧嘩してな……。ご機嫌取ったりしてたら見る暇なかったのよ」
「あー、噂の天才な妹ちゃん。喧嘩とかするんだ? 仲良いイメージだったけど」
「晩ご飯にピーマン出したらキレられたの……」
「何そのほんわかエピソード。暦見家ほほえまっ!」
直人はケラケラと笑うが、こちとら推しの配信を見損ねたので、あまり楽しい出来事ではない。
「じゃあ、あのスーパープレイも観てないんだ?」
「スーパープレイ?」
「切り抜きも上がってたんだぜ。後ろから来たモンスターを――」
「おいバラすなよ」
「大丈夫だって、割とすぐだから……あっ、ほら!」
ネタバレ死すべし慈悲はない!
と俺が制裁を加える暇もないほど、本当にすぐそのシーンはやって来た。
『ここって病院モチーフだからか、お化けが多くて嫌にゃんだよねぇ……あっ、モンスター発見!」
そう言って愛銃のショットガンを構えるNyaNyashiちゃん。
エンカウントしたのは、7層の嫌われ者であるインビジブルゴーストだ。
「出た。こいつ面倒くさいんだよな」
ちょっと特殊な能力を持ったモンスターで手こずった記憶は新しい。
そいつ厄介だから慎重に……というこちらの想いも何のそので、NyaNyashiちゃんは脇目も降らず突撃していった。
この超好戦的なプレイングが彼女の魅力だ。
猫語であざとい話し方というテンプレなキャラ付けを吹き飛ばす無鉄砲さ。
『このゲーム死んだら終わりなのわかってる?』と言いたくなるほど軽率に、しかし持ち前の反射と運動神経で敵の攻撃をかいくぐって、彼女は強敵を打ち破ってきた。
『あっ、待って! 逃げにゃいで!』
何度かの攻防の末、インビジブルゴーストが壁に溶け込むように消えていく。
その後を追いかけるNyaNyashiちゃん。
いけない、それは相手の罠だ。
壁をすり抜けたように見せかけ、実際は体を透明化させただけという意地の悪い仕掛け。
だからここは透明化の時間が切れるまで一旦引いて……なんて指示厨丸出しのコメントも、アーカイブでは届かない。
『どこ行った〜?』と緊張感なく探す彼女の背後から、インビジブルゴーストが魔の手を伸ばし、
『そこか!』
攻撃が当たる刹那。
彼女は大きく脚を開いて身を伏せることで、後ろからの一撃をやり過ごした。
続けて上体を仰け反らせ、その不安定な姿勢のまま引き金を引く。
散弾が狡猾な幽霊の頭に風穴を開ける。
断末魔の声とともにモンスターが消え去った後、経験値の加算される音が配信に乗った。
『危にゃかったー! でも勝った! いぇーい!』
「まじかよ…」
「な? な? すごいだろ?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねてはしゃぐ直人がうざったいが、確かにすごい。
おそらく、一瞬、画面の端に映った白い影にNyaNyashiちゃんは反応して攻撃を回避した。
ゲームは反応速度が大事、とはよく言うが……。
「俺には絶対無理だな……」
「そういや亥月もプレイヤーか。いやぁ、こういうの見ると俺もやりたくなってくるわぁ、D-Live」
「始めたらいいじゃん?」
「うーん、近くにダンジョンのゲートが無くてさぁー。あー! 俺もやりたい、D-Live!」
うんうん分かる分かる、と頷いておく。
D-Liveは神ゲー/クソゲーだ。
ゲームというのは得てして評価が割れるものだが、その中でも特にD-Liveは意見が真っ二つに分かれがちだ。
もっともクソゲー呼ばわりするのは大抵、ゲームオーバー……すなわちアカウントを削除された人たちで、それを除けばほとんどの人が口をそろえて神ゲーと答えるに違いない。
では、なぜD-Liveはそれほどまでに人気なのか?
答えは圧倒的なリアリティゆえ、だ。
『世界初の完全フルダイブ型VRMMO』と銘打たれたそれは、全国各地の廃墟、廃屋に突如として出現した、ダンジョンとでも形容すべき広大な階層型のフィールドを舞台としている。
デバイス不要のフルダイブシステムというオーバーテクノロジーなそれは、廃墟の入り口をくぐるだけでその人物を電子データ化し、仮想世界へと誘った。
待ち受けるは本物と見まがうモンスターに、入り組んだ迷路と侵入者を阻むトラップや仕掛けの数々。
それらに生身の身体能力や、装備、スキルを駆使して立ち向かう……とくれば、人気に火がついて当然だった。
……もっとも。
思いっきり超常現象に属し、出現から数年近く経った今でも謎の多いこれらのバーチャルダンジョンが、去年、一般向けに『VRMMOゲーム』という体で公開されるまで、それはそれは色々あったのだが。
自分より頭の良い人が考えても分からないことは考えないに限る。
某国のアプリが個人情報を抜いている、なんて話があっても、クラスのみんなが使っていれば「じゃあ自分も……」とインストールすることだろう。それと同じ。
人はいつ降りかかるか分からない不幸より、確実な不利益をこそ嫌うのだ。
流行に、もっと言えば周りに置いていかれるわけにはいかない。
そんな強迫観念に似た想いが俺たちの中には根付いている。
『みんにゃ~、勝利のV』
NyaNyashiちゃんが配信用のコウモリ型ゴーレムにピースを送る。かわいい。
「それでー、レアなユニークスキル引いちゃってー、配信がバズって有名人とコラボなんかしちゃったりしてー」
「いや、それはD-Live始めてから妄想しろよ」
「想像するだけならただじゃん?」
「分けて欲しいよ、そのメンタル……」
「まぁでも、NyaNyashiちゃんとか観てると、俺には絶対無理だって分からされちゃうけどな。登録者も10万人越えだろ?」
「……そうね」
「亥月は配信はしてないんだっけ?」
「まぁ……」
本当は俺も配信はしているが。
あまりに振るわないため、いうのははばかられた。
嘘をついたからか、あるいは俺よりも直人の方がよほど現実を理解しているからか。
胸がチクリと痛む。
やがて段々と他の生徒たちが登校してきて、ざわざわとクラスが騒がしくなり始めた頃。
教室の扉を開けて入って来た一人の生徒に、シン、とまるで人が居なくなったような静寂が落ちた。
「…………」
同年代の男子にも迫るスラリとした長い背丈。
まとっている鋭い雰囲気と、嫌でも目を惹かれる整った顔立ちを見れば、彼女を侮る人間は誰もいないだろう。
凛々しい目元と背中まで届く髪は紫がかった青色で、夜の空を思い出させる。
甘いマスクと誰にも懐かない振る舞いから『猫の王子様』なんて呼ばれる彼女の名前は猫塚 凛火。
このクラスの、いや、学校中の生徒から一目置かれる才色兼備の少女にして、今は疎遠になってしまった俺の元幼馴染だ。
「……?」
凛火は教室中から注がれる視線に怯むことなく、「何?」と言いたげな目で教室を見渡した。
それに、止まった時が動き出したかのように皆が会話を再開する。
女子たちは黄色い声を押し殺してひそひそと。
男子は凛とした佇まいにうっとりと。
彼女の一挙手一投足に教室中が注目していた。
カリスマというか魔性というか。
なるほど、王子様とは言い得て妙だ。
毎朝のことだからか、いまさら気にした風もない彼女は、ゆっくりとした足取りで窓際の自席――俺の隣の席へと向かってくる。
「……おはよう」
「……おはよう」
小学生の頃は毎日遊んでいた。
そんな二人とは思えないほど暗い声で挨拶を交わす。
二年生から同じクラスになって数ヶ月、ずっとこんな感じだ。
別に喧嘩したとか、嫌っているとかそんなんではない。少なくとも俺は。
ただ、去年、入学式で久しぶりに再会した時には、彼女はもうこんな冷めた調子で。
俺はショックを受けると同時に納得していた。
かたや学校のヒロイン、かたやその辺に居る男子高校生。
住む世界が、立ち位置が違うのだ。
ある意味、今の状態は自然なようにすら思う。
「おはよう、凛火ちゃん!」
そんなしんみりを吹き飛ばすように、命知らずの直人が突撃した。
「……真田くん」
「なに?」
「下の名前で呼ばれるのは嫌いだからやめてくれないかな? あとちゃん付けも。……っていうか、この話、前にもしなかったっけ?」
「ごめんごめん、凛火ちゃん!」
「…………」
「ごめんなさい、猫塚さん」
絶対零度の視線を受けて、さしもの直人も撃沈する。
「はぁ……。別に、怒っているわけじゃないよ。ただ、もうやめてね」
はーい、と返事だけは良い直人に諦めたような目を向けると、彼女は席に着いた。
「今日も駄目だったかぁ」
「お前すげぇな……」
「え、何が?」
あんなゴミを見るような目を向けられたら、俺は引きこもる自信がある。
「案外お前みたいな奴が大物になるのかもな」
「まじ? 亥月もそう思う? よーし、ならまずはサインの練習から始めるか!」
微妙にズレたことを言う直人。
こいつを見てるとアレコレ悩んでいる自分が馬鹿みたいで、少し救われる。
やがて予鈴がなり、担任の先生がやってきた。
名残惜しい気持ちでNyaNyashiちゃんの配信を閉じると、自動でチャンネルホームが表示された。
画面には大きく『登録者:100296人』の数字が躍っている。
『今話題の急上昇Ⅾ-ライバー』というネットの特集にも取りあげられた彼女は、配信を始めて数ヶ月でどんどん数字を伸ばしていた。
登録者10万人か。
よせばいいのに、と思いながら自分のチャンネルをタップする。
そこには昨日と、いや、一昨日かもっと前から変わらない『登録者:35人』の文字。
「住む世界が違う、ね」
NyaNyashiちゃんといい、隣の幼馴染といい。
嫉妬を覚えるのすら馬鹿らしいほどの高みに彼女たちはいる。
早く放課後になれ、と俺は机に突っ伏した。