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婚約者とは世を忍ぶ仮の姿! しかしその実態は…

作者: CIEL(シエル)

「ルビアナ・サーリエル!今ここに、王太子ミハエル・エルレイドの名の下に、お前との婚約を破棄することを宣言する!」


管弦楽が優美に流れる学園のダンスホールは、本日は卒業生を祝う場として開放されていました。


そこへ無粋な宣言が割って入って、ダンスを楽しんでいたペアも、談笑を楽しんでいた方達も、何事かとその出所へと視線が集まります。

――――そう、私たちのところへ。


先程声高に呼ばれたのは、確かに私の今生の名でした。

今生、つまり前世があるということです。

前世の詳しいプロフィールは割愛します。

だって今世には関係ありませんからね。


ですが、地球の日本で生まれ育った私は、生粋のオタクだったことには触れておきましょう。

前世で読み漁ったラノベで、この展開は十や二十じゃ足りないくらいお約束なもの。ざまあは大好物です。


そんな私が異世界に転生。これも最早お約束でしょう。

問題は、ここが単なる(?)ファンタジー異世界なのか。それとも漫画や小説、もしくは乙女ゲームの世界で、ヒロインや悪役に転生パターンなのか。或いはモブなのか。

そこが重要になってきます。


私は産まれて間もなく、第一王子の婚約者にされてしまい、あ、これ悪役令嬢パターンだと幼心に思ったものです。


お相手の王子は、金髪碧眼の、面だけならまさに本の中の王子様。中身はクソガキでした。

いずれ王位が転がり込んでくる立ち位置のため、俺様に育ったクソガキは、クソな青少年へと成長したのでした。

不本意ですが幼なじみなので、そのクソっぷりは昔からよぉーく知っています。


口が悪いって?だって、悪くもなりますよ。

こんな衆人環視の中で、女にわざわざ恥をかかせるために婚約破棄を突きつけるド屑ですもん。


ミハエル殿下の周りには、宰相の息子や騎士団長の息子、公爵令息や学年首席の天才などの側近候補たちが雁首揃えている―――ことはなく。


代わりに貴族の令嬢たちが、ミハエル殿下の傍に侍っています。

ちょっと新しいパターンですね。


彼女たちは、ミハエル殿下の側室候補です。平たく言うと、ハーレム要員ですね。

その数五人。これが多いのか少ないのか、私には判断がつきませんが、ミハエル殿下が好色なことは確かです。

ある意味そのおかげで、この世界が乙女ゲームである可能性は、ほぼなくなりました。

むしろ男性向けゲームの可能性はあるかもしれません。

まあどちらにせよ、元となるストーリーを知らないと、どうしようもないことに変わりはないでしょう。

結局のところ、この世界が創作であろうとなかろうと、最後に私が勝てばいいんです。


ミハエル殿下は、そのハーレムちゃんたちの中でも特にお気に入りの、ピンクというおばさんになったらちょっと痛い髪色の美少女の肩を抱き、意気揚々とこちらを見ています。

せっかく黙っていれば美形なんだから、黙ってろや。と、心の中で舌打ちしておきます。


あくまで表情は冷静に。と言うより、冷ややかな眼差しで、私はミハエル殿下を見返しました。


「ミハエル殿下、一体何事でしょう?なぜこの場で、婚約破棄などと浅慮なことをおっしゃるのですか?」


私の態度が気に食わなかったのか、ミハエル殿下は不機嫌さを隠そうともしません。

一応王子としての教育は受けているはずなんですけどねー。

そんな風に、あからさまに感情を露にしてはならないと、教育係から習っていると思うんですが。


「いけしゃあしゃあと!お前のような意地の悪い女など、俺に相応しくないからに決まっているだろう!」

「意地の悪いなどと、なにを根拠に?わたくしは……」

「黙れ!ユリナたちへの嫌がらせの数々、忘れたとでも言うのか!」


はいはい。人の話は被せないで、最後まで聞いてから喋りましょうねー。

いるよね、こういう人ー。

最早時間の無駄なので、説教はしませんけどねー。


「何のことでしょう?」


私は軽く小首を傾げてみせますが、ミハエル殿下はさらに激昂しました。はっ(鼻で笑ってみた)。


「この期に及んでまだ惚けるのか!往生際の悪い!いいから彼女たちに謝罪しろ!」


ミハエル殿下はこちらを親の仇のように睨んでいますが、そこの愛しのユリナちゃん。口元笑ってますよ?

ピンクダイヤモンドのような瞳には、結構あからさまな嘲りが浮かんでます。

他のハーレム嬢たちも、まあ似たり寄ったりな表情でこちらを見ています。

将来王妃になる予定だった私を蹴落としてやったと思っているんでしょう。勝ち誇った笑みにイラッとしますね。


乙女ゲームじゃないからと、卒業パーティーで断罪劇が起こるとは想定してませんでした。

普通にパーティーを楽しむつもりだったのに、ああ面倒くさい。

でもこれは、ある意味私の落ち度でもあります。


私はパラリと扇を開き、口元を隠しました。溢れたため息も誤魔化せたことでしょう。


「わたくしには、謝罪をしなければならない覚えも義務もございません。大体彼女たちへの嫌がらせとおっしゃいましたが、それをわたくしがやった証拠をお持ちですか?いくらこの国の王子殿下とは言え、侯爵家の人間を糾弾するのですから、相応の証拠を見せて頂きたいのですが」


きっと周りには、不遜な態度に映っていることでしょう。

周囲はすっかり野次馬に囲まれています。

まあ卒業パーティーの最中に、こんな騒動が起きれば、興味津々かぶり付きで見物しますよね。私もしがないモブなら、ぜひそうしたかった。


「皆がそう証言しているんだ!」

「まあ。皆とはどなたでしょう?一人一人調書を取りましたか?きちんと日付と時間と場所を聞き取りまして?裏付けは勿論取っていますよね?そうでなければ、それは証拠にはなり得ませんし、証言とも言えません」

「なっ、このっ……」


あら、もうはや語彙が尽きたのでしょうか。ぷっ(失笑)。


「もういい!お前がどう言おうと、婚約破棄は覆らないからな!未来の王妃への不敬罪で、お前の貴族籍は抹消する!平民になって、自分の罪と向き合うがいい!」


へーえ、ほぉおー?こいつ何様かしらー?王子様ではあるけれど、この人実は王太子ではないんですよー?

冒頭で、王太子の名の下にとかって宣ってましたが、立太子はまだ先です。

一応()()もなければ、卒業後に立太子式の日程を固めるという話ではありましたけどね。

やだわー。自分の地位すら把握してないなんて。フライング宣言して恥ずかしくないんでしょうか。

それに何の証拠もなしに、王子如きが宣言だけで貴族を断罪なんてもっての他。

しかも未来の王妃って、そのハーレム嬢たちから選ぶと?

完全にミハエル殿下の趣味だけで選んだ、頭空っぽあざと系美女しかいませんが。


王妃になるには、知性と品性、そして教養が求められるのを知らないんでしょうかね。

それすらも理解していないなんて…なんて残念な脳ミソ。


ミハエル殿下の馬鹿さ加減をしみじみと感じていると、聴衆を掻き分けて一人の青年が飛び出してきました。


「ミハエル!」

「ジョシュエル殿下」


思わずその名前を呼んでいました。

輝く金髪と整った顔立ちは、そこできゃんきゃん吠えているクソ王子と同じ造作です。

並んで立つと、ほんとに見分けがつかないくらいに瓜二つ。

ミハエル殿下の双子の弟で、第二王子のジョシュエル殿下の登場です。

唯一の差異は、その髪の長さくらいのものです。

見分けがつかないと名前を呼び間違えてしまう可能性が高いので、後ろ姿でもすぐわかるように、昔から敢えて髪型を変えています。


それ以外にも、いつもなら柔らかな表情を浮かべていて、ふてぶてしいミハエル殿下と比べると、それで区別も可能なんですが、今は秋眉を寄せ困惑を滲ませています。


「向こうまで聞こえてきたけど、婚約破棄なんて何を考えているんだ」

「次期国王として相応しい判断だろ。こんな女、王妃になど出来るものか。小賢しいばかりで可愛げもない地味女を娶るなんて願い下げだ」


ふんと鼻息荒く、ミハエル殿下は言い切ります。

地味ですみませんね。

一応言っておきますが、この婚約は現国王陛下の判断ですよー。

そう突きつけたら、ミハエル殿下はどう回答するのでしょうか。ちょっと興味があります。


「淑女に対してなんてことを言うんだ。婚約関係に不満があるにしろ、ここでする話じゃないだろう。第一、父上にはなんて説明する気なんだ?」


さすが良識派。正論ですね。

貴族たちの間では第一王子より、第二王子に王位を望む声が高く、国民人気もジョシュエル殿下の方があります。学業も優秀で、性格も穏やかですしね。


ミハエル殿下も、昔はもう少しマシだったんですけどねえ。

次期国王という地位に、驕り高ぶり甘やかされたツケがこの結果です。


はー、やれやれ。これでも一応矯正しようと努力はしたんですよ?

でも出来すぎる弟と比較され、それでも自分が第一王位継承者だと間違った方向にプライドだけが伸びたせいで、人の教えに耳を貸しもしないので、どうしようもありませんでした。


「うるさいな。お前は黙って俺に従っていればいいんだ!俺を補佐するのが、お前の役目だろうが」


居丈高な物言いに、言われた本人ではないけどカチンときますね。ほんとにこの王子は…。


―――もう、いいでしょう。


せめて卒業パーティーくらいは楽しませてあげようという、こちらの温情なんて不要だったようです。別に私が楽しみたかったから見逃そうとした訳じゃないですよ?


私は持っている扇を、左の手のひらに打ち付けました。

パシン!と小気味いい音が響き、周囲の耳目がこちらへと向けられます。

が、しかし。肝心の王子ズは聞いちゃいねえ。この野郎、恥かかすな。


「ミハエル・エルレイド王子殿下」


なるべく厳かに聞こえるよう、努めて平坦な声音でミハエル殿下のフルネームを呼ぶと、さすがに双子は言い争いを止めました。


「婚約破棄の件は承知致しました。どうせ()()()のものでしたしね」

「は?」


寝耳に水な様子で、ミハエル殿下はポカンとこちらを見ました。ジョシュエル殿下も同じ表情です。さすが双子。


こんなのでも王子ですからね。私は最上のカーテシーで一礼してみせました。


「改めてご挨拶申し上げます。わたくしが当代選定侯でございます」


ざわ、と周囲がざわめきます。

王子ズも息を飲み「嘘だ…」と、ミハエル殿下が呆然とした呟きを漏らしました。


そう。第一王子の婚約者とは世を忍ぶ仮の姿!(タイトル回収)

しかしその実態は……選定侯ルビアナ・サーリエル!


選定侯とは字の如く、王位継承者が王に足る器かどうかの裁定を下す存在です!


この国では数世代に唯一人、<真実の眼>と呼ばれる異能を持つ者が生まれます。

神から遣わされ、王の資質を問うために。

そう言い伝えられています。


ちなみに私はサーリエル侯爵家の養女で、本当の両親は別にいます。

選定侯の件を伏せるため、また仮にも王子の婚約者として釣り合った身分で隣に在るために、養女であることは内緒でしたけど。

ミハエル殿下の婚約者だったのは、傍で王位を継ぐ資質を見極めるため。

それも今日までの話です。


長かった…。ミハエル殿下が真っ当な人間なら、もっと楽だったんでしょうけどねえ。

まるで走馬灯のように、過去のあれこれが思い浮かびますが、感慨に浸るのは後にしましょう。


「この時をもちまして、王位裁定期間は終了といたします」


にっこりと微笑みを向けると、ミハエル殿下は頬を引きつらせました。あらあ。一応やらかした自覚はあるんですね。

ハーレム嬢たちの顔も青ざめて見えます。

周囲の驚愕の眼差しが心地良い。ふふん。ざまあないです。

自身の行いは、良いことも悪いことも、結局巡り巡って自分に返ってくるということを思い知らせてやりましょう。


さあ、断罪劇の第二幕、開幕ですよー。

第二部は、選定侯の独壇場でお送りしたいと思います。


「本当は、後日陛下との会合で結論を奏上する予定でしたが、選定侯として王太子僭称を見逃すわけにはいきません」


あ、そうそう。ちなみに選定侯の身分は、宰相よりも上で国王よりも下です。

ただし、国王を罷免させることも可能です。悪政を敷くとリコールしちゃうぞ★


玉座に着いたからってゴールではないんです。王の資質は、退位するその時まで示し続けなければならない義務なんです。

代わりに神は、国を治めるための恩寵を王家に与えてくれているんですから。


我が国は建国からこの方、大きな自然災害には見舞われていません。

隣国で伝染病が大流行しても、干魃により飢饉で苦しんでも、この国は豊穣と平和が約束されています。全て神の加護のおかげです。なんてファンタジー。


もし選定侯が退位を迫り、王がそれを無視した場合。

神から警告がいくらしいです。

それは国王に夢という形で現れるそうで、過去に警告を受けた王がいました。

その夢の内容を書き記したものが、王家には伝わっています。

王位継承者は全員読まされます。あと王妃も。

私の場合は選定侯なので、一応関係者枠で読ませていただきました。


ざっくり内容を説明しますと、そのまま臣下も民も蔑ろにしたまま在位を続けると、天変地異は起こるは、疫病は流行るは、クーデターが起こるはで、最後は民に寄ってたかって八つ裂きに。


夢ですので、見ている間は本人にとっては現実に等しい出来事だったそうです。

愛する家族を目の前で殺され、暴徒に玉座から引きずり降ろされ、助けを乞い願っても、擁護してくれる者はおらず。誰もが憎々しげに罵倒と暴力を振るってくる。


その夢を見た後、すぐに王位を譲ったそうですが、その生々しい記憶は生涯消えることはなく、精神を病んで狂死という最期を遂げたということです。


彼の王も、選定侯の認可があって王になった身。王位を継いだ当初は、なんの問題もなかった方です。

でも王位に在る内に、理想と現実の狭間に苦しみ、やがて酒と女に溺れて執務を放棄し、王としての資質を失いました。

王としての責務を果たさなくなったことで、時の選定侯は退位を突きつけたのです


ああ、ちなみにもしも裁定侯を暗殺した場合、指示した人間も実行犯も、同じ死に様になるそうです。

なぜ事例を知っているかと言うと、過去にあった話だからです。


この国は侵攻すら、神の力で防いでくれます。国境を侵すと、土砂崩れや地震が局地的におきて、侵略者たちを飲み込み、海を渡ってこようとすれば、嵐で軒並み沈没する。

そんな不可侵の国にも制約はあって、神は他国への侵略を禁じています。


ですが、人の欲望とはきりがないもの。

神の恩寵を自分たちの力だと過信して、領土を増やそうと目論んだ王と貴族たちが、過去にはいました。

けれど王は、選定侯の手前、侵略戦争の許可をすることは出来ず。

やがて貴族たちに唆されて、選定侯暗殺を決行してしまいました。

選定侯は王城からの帰り道、暴漢に襲われ、剣で袈裟斬りに切られて絶命。


そして同時刻。家族と食事をしていた王も、王都の屋敷で寛いでいた貴族も、王宮で同僚と雑談をしていた貴族たちも、選定侯を手にかけた実行犯も、その密命を犯人に依頼した伝令役も。

暗殺に関わった全ての者が、突然肩から腹にかけて深い切り傷が走り、血を吹き出して倒れ、数刻経って亡くなったそうです。

亡くなる直前まで意識はあったということなので、痛みと恐怖に苦しんだと思います。

即死でなかった点は、選定侯の死に方とは違いますが、それが神の罰だったのでしょう。

己の罪を思い知れと。


目撃者がいる中、近くに剣を抜いた人間も居らず、なのに突然致命傷レベルの裂傷を負い、しかも皆が同じ時間にです。人間技では有り得ません。本人たちも、下手人がいなかったのは自分の目で知っているでしょうし。

そして、王宮にもたらされた選定侯の訃報。

と来れば、大抵の人は裏で何があったか察するというものです。

最早神の呪いですね。


王になることが、果たして幸せなことなのか。王にならぬ身には想像もつきません。

まあ、ミハエル殿下が王にならない方が民は幸せだろうな、という想像はつきますが。


今のこの状況で、ミハエル殿下が王太子になれると思っている人間は、この場には一人もいないでしょう。


「ミハエル殿下、残念ながら貴方の王位は認められません。理由開示を求めるのであれば、事細かに説明させていただきますが、裁定は覆りませんので悪しからずご了承下さい」


淡々と事務的に、私は選定侯としての言葉を紡ぎました。


「そんな……お前がっ、お前が選定侯なわけがあるか!」

「お疑いなら、どうぞ陛下にご確認をお取りください。選定侯を騙ることは重罪ですので、わざわざこんな嘘はつきませんけれど。ああ、王太子を騙ることと同じくらい重罪ですね」


次期後継者を決定出来るのは、国王もしくは選定侯のみ。それ以外には許されません。

勝手に王太子を名乗るのは、越権行為に当たります。

この国の法も理解していない者が、王太子を騙るなということです。


「っ!俺を愚弄するか!」

「愚弄?私はこの国の法に則った罪を教えて差し上げているだけですが?まさか王家の方が知らないとは思いませんでした」


ふっと、鼻で笑ってやる。

思いっきり馬鹿にしてるので、愚弄ですね(笑)。


「っ貴様…!」


ミハエル殿下は激情のまま手を振り上げましたが、ジョシュエル殿下がそれを阻止してくれました。


「ミハエル!よせ!」

「うるさい!離せ!離せよ!」


ジョシュエル殿下はそのままミハエル殿下を羽交い締めにして、なんとか抑えようとしてますが、ミハエル殿下は顔を真っ赤にして暴れています。


ミハエル殿下に群がっていたハーレム嬢たちは、悲鳴を上げて距離をおきました。

私もこの時ばかりは、彼女たちをお手本にさせて頂きましょう。

ここに居ても、ミハエル殿下が落ち着くとは思えませんし、この騒ぎでパーティーもお開きになるでしょうからね。


「わたくしの決定は、このパーティー会場にいる全ての方たちが証人です。では殿下方、ごきげんよう」


ザ・言い逃げ。殴られてくないので。

私はもう一度カーテシーを披露すると、滑るような足取りで、早々に退出したのでした。




†††




卒業パーティーから二日後。

良く晴れた空に風は穏やかで、庭でお茶をするのに丁度良い天気です。


「ルビアナ様、あの後大変だったんですよ~」


私の向かいの席に座り、ティーカップを傾ける相手は、茶色の髪のユリナ嬢です。

そう。あの痛いピンク頭ではありません。目に優しい、ごくありふれた髪色です。


「でしょうね。でも警備の兵が駆けつけたでしょう?」

「駆けつけたはいいけど、王子相手に取り押さえるわけにはいかないじゃないですか。結局私が言いくるめたんですよ。誉めてください」

「あら、それは本当にご苦労様。さすがね」

「相手がボンクラですから、手のひらで転がすのは簡単でしたけどね」


ふふんと鼻で笑い、ユリナ嬢―――いえ、この姿の時はジェーンですね。彼女は手のひらをクルクルと回して、おどけてみせました。


ジェーンは、私の義兄ルビウスの部下です。

私が引き取られたサーリエル侯爵家は、代々王家の諜報部を司る長をしています。

今は義兄がそれを引き継ぎ、ジェーンはミハエル殿下の監視役兼ストッパーでした。

勿論ミハエル殿下はそんなこと露とも知らず、寵愛を注いでましたけどね。


ユリナ嬢を演じていた時の、あの派手なピンクの髪も、卒業パーティーでの断罪劇も、私が世間話くらいの気持ちで義兄に話したのを聞いていて真似しやがったのです。

前世の話までしたわけではなく、以前に読んだ本だと言っておきました。その部分は本当のことですからね。


私の境遇が、物語の悪役令嬢に似ていること。

男爵令嬢として引き取られた娘がヒロインとして王子と結ばれ、悪役令嬢に婚約破棄を叩きつけてハッピーエンドを迎えるパターンと、逆にざまあされる、というパターン両方を話した記憶があります。

大抵ピンクの髪かストロベリーブロンドがヒロインの定番だとも言ってたので、ジェーンはそれも覚えていて忠実に再現したようです。


学園でミハエル殿下の近くに侍るため、別人に成りすまし、恋人枠になるのに丁度良かったので参考にしたと言っていましたが、それにしても断罪劇まで再現する必要がどこに?


「だってえ、あのクソ王子を公衆の面前でざまあしたかったんですもん。ルビアナ様は選定侯だから、確実に返り討ちにしてくれるってわかってましたし」

「せめて事前に報連相!それにあの時、あからさまにミハエル殿下を馬鹿にした目で見てたでしょう」


他のハーレム嬢は私へと向けてましたが、『ユリナ嬢』はミハエル殿下に嘲りの笑みを浮かべていました。

あの聴衆の中には気がついた者もいるかもしれません。諜報員が目立ってどうするんですかね。


「いいじゃないですか。どうせ私の任務は終わったんですし」


ふふっと可愛らしく笑う彼女は、本当に愛らしいです。

どう見ても同年代。むしろ童顔なので、少し年下にすら見えます。

が、しかし。この人たぶん、前世の私よりも年上です。

正確な年齢は聞きにくくて触れてません。恩義があるのでなおさらです。


彼女は身を以て、私を助けてくれていたんです。あの好色王子から。ストッパー役というのはそういうことです。


私とミハエル殿下は、最初から仲が悪かったわけではありません。

小さい頃から横暴なところはありましたが、まあ子供は多かれ少なかれ、そういう面があるということと、私は前世では社会人として生きていましたから、適当にやり過ごしてきました。

ひどい我が儘を言う時は宥めすかし、悪意の高い悪戯をしようとした時は叱ったりもしましたが、険悪な関係にはなっていませんでした。

どちらかと言うと、良好な関係だったと思います。主に私の努力と辛抱で。


その関係が変わってきたのは、思春期に入った頃。年齢的にごく当然のことなので、ソレ自体は然程気にはしませんが…。


ぶっちゃけると、ミハエル殿下に精通が来て、異性に対して性的興味を向けるようになってしまいました。

そして私はミハエル殿下の名目上とは言え婚約者。彼の中では、いずれ結婚する相手が私です。

つまり、一番にそういう対象として見られてしまったのは、仕方のないことではありました。

ついでに言うと、私のお胸の成長も人より早くてですね。十六歳の時には、すでにCカップでしたから。今では立派なEカップです。

ミハエル殿下と会う度に、奴の視線は胸に刺さるようになりました。

オカズにされてるんだろうなーと、不快でしたが、選定が終わるまでの辛抱と耐えていました。

しかし、耐えられなくなったのは奴の方でした。


ある日突然、私は寝所へ連れ込まれて、あのゲスが押し倒してきやかったんです。

殴って抵抗して、騒ぎを聞き付け駆けつけてくれた侍女は、義兄が潜り込ませていた部下のジェーンでした。

その時は化粧で印象が今と全然違うので、ボンクラ王子の節穴では見抜けなかったようです。


ジェーンはわざと悲鳴を上げて、手に持っていたお盆を落とし、護衛騎士を呼び寄せるような騒ぎを起こしてくれました。

おかげで私は難を逃れ、ジェーンは虫に驚いてお盆を落としたことにして、私の名誉が傷付かないように計らってくれたのです。


いくら顔が良くても、アレ相手に処女を捧げるなんて冗談じゃありません。

第一この国は、婚前交渉は貴族の間ではタブーです。しかも合意もなく事に及ぼうなどと、玉を潰されても文句は言えません。

拳で顔を殴るに留めた私は、なんて寛容なんでしょう。


義兄もその顛末をジェーンから報告され、大激怒して竿をぶった切ってやると息巻いて、本気で剣を片手に王宮に乗り込もうとしてました。

諜報部の長なのに、なんで物理なんですか。搦め手でいきましょうよ。


取り敢えず義兄を宥めて、国王に苦情を申し立て、私が選定侯だと知っている陛下は平身低頭で謝罪してくれました。

そしてミハエル殿下には、きつく申し付け、二度とないように取り計らうと約束してくれたのですが、ミハエル殿下は素直に親の言うことを聞く玉じゃありません。


身体を許さない私に不満を抱き、セクハラは増える一方。

エスコートの時に腰は撫でるはお尻を揉むは、腰に回した手をずらして下乳に触るは、やりたい放題です。

周りの目があるので、ぶん殴って抵抗も出来ず。

いつまた押し倒されるかわかったもんじゃありません。

これはもう別の女性を宛がって、意識をそちらに向けさせようということになりました。


そうして白羽の矢を立てられたのが、ジェーンでした。


ジェーンは、元は違法娼館の娼婦として働いていた過去があります。

その娼館を摘発し、娼婦から解放する代わりに部下になるよう引き抜いたのが義兄です。


私の身代わりに、別の女性が犠牲になることには気が咎めましたが、当の本人は至って気にしていないようで。


「娼婦の時に比べたら、なんてことないですよ。むしろ美少年の童貞を食えるなんてラッキーです!」


そう言って、ジェーンは良い笑顔で、親指を人差し指と中指の間に立てて、サムズアップしてました。下品だからやめなさい。


この国では十八歳で成人です。そして学園の最終学年も同じ歳なので、王位選定期間は卒業までとしていました。


それまでの間、ジェーンは上手くミハエル殿下に取り入り、奴のスケベ意識を私に向けないよう誘導してくれていました。


しかし、それが呼び水になったのか、婚約者(わたし)が何も咎めなかったことで、ミハエル殿下は調子に乗り、どんどん恋人を増やしていき、次期国王のお気に入りという地位に目が眩んだ令嬢が侍ることになったのです。


どうやら中には何人か、ミハエル殿下に純潔を捧げちゃったお馬鹿さんもいるみたいですねー。

既成事実で確固たる地位を、と思ったのかもしれませんが、正妃にしろ側妃にしろ、妃の必須条件の一つは、初夜の時点で処女であることです。


愛人は純潔でなくてもOKですが、妃扱いではないので、王宮で行われるパーティーには出席出来ませんし、公式行事の参加も認められません。寵愛がなくなれば、あっさり王宮を追い出される可能性もあります。

無知は災いの元ですね。


大体あのミハエル殿下が、乙女を捧げたからって責任を取るわけないじゃないですか。やだー。


令嬢本人や、親の意向で王子に取り入ろうとする連中は一定数いますが、そういう人達も馬鹿ではありません。

ミハエル殿下には双子の弟が存在し、その優秀さは折り紙つき。

ミハエル殿下の第一王位継承権は、あくまで暫定のもの。本人にその自覚はなかったのでしょうけど。

故に自分の行動が、父王や貴族にどう映るか気にせず振る舞っていたのでしょう。


常識のある者たちは、冷静に取り入る相手を見極めて、ミハエル殿下に娘を差し出そうとはしませんでした。

おかげでミハエル殿下の周りには、頭と権力に弱い腰巾着だけが残ったのです。


その筆頭がハーレム嬢たちですね。

彼女たちは、未来の正室(と思われていた)を蹴落とそうと、私の悪口をミハエル殿下に吹き込み、それもあって、私達の仲は険悪になりました。

それ、自分たちの首を絞めてるだけだったんですけどねえ。


私が選定侯だと知って、今頃各家庭では阿鼻叫喚でしょう。

はっ、ざまあみやがれです。



これは後日に下った沙汰ですが、ユリナ(=ジェーン)を除くハーレム嬢たちは、ミハエル殿下―――王家に対して、わざと虚偽の報告を行い、選定侯に冤罪を擦り付けようとした罰で、一年間社交界への出入りが禁止になりました。

夜会や舞踏会だけでなく、茶会も含まれます。


この国では、学園を卒業してから社交界デビューとなるので、出鼻を挫かれるわけですね。

病気や怪我、留学していたという以外の理由でデビューが遅れるのは、貴族たちにとって恥以外のなにものでもありません。一年遅れでデビューしても嘲笑の的です。

売れ残ること確実ですね。



そして肝心のミハエル殿下ですが。

今回の騒動がなくても、ミハエル殿下の王位継承は認めませんでしたが、私個人の意趣返しと取られては敵いませんので、殿下が如何に王の器ではないか、事細かに過去のやらかしを書面化して陛下にお渡ししました。

陛下も普段のミハエル殿下の言動から予想していたのでしょう。

陛下に驚きはなく、結果も書類も粛々と受け取ってくださいました。


王位選定は、他の王子も同時進行にしてましたので、まあ能力・性格を鑑みて、順当に第二王子のジョシュエル殿下が立太子ということで問題はないでしょう。



――――そう思っていたんですが。





「ジョシュエル殿下が亡くなられた」


王都の屋敷に慌ただしく帰って来た義兄によって、寝耳に水な一報がもたらされたのは、ジェーンとお茶をしたその日の夕方でした。


「え!?亡くなられた!?」


その衝撃の事実に、私は思わず義兄に詰め寄りました。


「っ、どういうことですか!まさか…」


ミハエル殿下に?という言葉は、さすがに声に出すことは憚られました。


ついそう考えてしまったのは、ジョシュエル殿下は健康そのもので、特に持病はお持ちではなかったからです。

病気でないのなら、事故か他殺―――自殺は考えにくいでしょう。

そして事故なら事故と、兄様は告げたはずです。


第一王子の派閥が暴挙に出た、ということはないでしょう。そもそも表立っての派閥はなかったんですから。

王子たちは皆正妃の御子で、ミハエル殿下が長子とは言え、ジョシュエル殿下は双子。

そして争う程、ミハエル殿下に人望はありません。

王にするなら、御し易いミハエル殿下の方が都合がいい貴族も中にはいるかと思いますが、選定侯が否と言った以上、彼の継ぐ可能性はゼロに等しいことは誰もが知るところ。

リスクを犯しても、望みがないなら実行する者はいないでしょう。


王位継承権を失ったミハエル殿下が、嫉妬してジョシュエル殿下を殺害した。

計画的なものではなく、カッとなって勢いで殺したと言われれば納得していまいます。

あの時卒業パーティーで、怒り狂っていたミハエル殿下の姿が甦ります。


「―――詳しい話は馬車の中でする。急ぎ、俺と一緒に登城してほしい」


ルビウス兄様の顔には、疲労の色が濃く出ていました。

ここで埒もないやり取りで煩わせるわけにはいかないと、私は即決しました。


「わかりました。すぐに用意をします。その間だけでも兄様は休んでいてください」


側にいたメイドに兄様のお茶をお願いし、私は自分の部屋へと踵を返しました。

急ぎとは言え、室内用のドレスで王宮に向かうわけにはいかないので、着替えの為です。

高確率で陛下にもお会いすることになるでしょうから、正装することになります。お風呂を済ませておいて良かった。


何を呑気な、と思うかもしれませんが、危篤というならともかく、ジョシュエル殿下がすでに亡くなられたのが事実なら、急いだところで事態が動くわけではありません。

むしろ王宮は今、蜂の巣をつついたような騒ぎに陥っているでしょう。

いえ、もしかしたら箝口令が敷かれて、一部のみの混乱かもしれませんが。


まだ喪服を着るわけにはいかないので、紺色の落ち着いたデザインのドレスを選びます。

王宮に急遽登城することを告げれば、私の専属メイドは余計な口を挟むことなく、化粧を施し髪を整えてくれました。紛うことなきプロですね!


危急の要件なので、ドレスの裾を持ち上げて、廊下もほぼ走っているのと変わらない速度で進みます。

淑女としては失格ですけど、今だけは見逃してもらいましょう。

こういう時、ドレスってほんと不便です。重いし足に絡まるし。


ダンス以外では、ろくな運動もしないのが貴族令嬢です。

走っただけで息が切れます。そしてヒールで走るのは無謀でした。

かくっとバランスを崩し、私は「あっ」と叫んでスッ転び―――ボフンと何か固いものに顔を打ち付けました。


「何をやっているんだ」


呆れたような声音が上から降ってきて、馴染みのある兄様の香りに包まれていることに気がつきました。


「危ないだろう。いくら急いでいるとは言え、そんな靴で走るな」

「兄様」


抱き止めてくれたのは有難いですが、打ったおでこと鼻が痛いです。ちょっと涙目になりつつ、兄様を見上げました。


兄様はぐっと眉間に皺を寄せると、おでこを軽く撫でてくれました。

赤くなってしまったのは、兄様にぶつかったからです。耳まで熱く感じましたが、走って体温が上がったせいですよね!


「怪我は?」

「大丈夫です」

「なら行くぞ」


ぶっきらぼうに聞こえる口調と不機嫌そうな表情は、顔立ちが整っている分、知らない人が見たら怒っていると勘違いしそうです。

でもこれは、心配してくれている顔なんですよね。

今も手を添えて、ちゃんとエスコートしてくれてます。


こうやってエスコートしてもらうのはいつ振りでしょう。

私は生まれてすぐにミハエル殿下との婚約が決まってしまったので、兄様にエスコートしてもらう機会はそう多くはありませんでした。


十歳上なので、兄様は二十八歳です。

剣も騎士並みの腕前で、細腰ですが胸板は厚い細マッチョタイプ。背中まである真っ直ぐな髪は深い藍色で、冷悧で静謐な佇まいから夜の精霊のようだと令嬢たちにも評判の美丈夫です。


サーリエル侯爵の家業のため、婚姻は慎重を期す必要がありますが、引く手数多な兄様が、未だ未婚なのは、やっぱり前の婚約者のことが忘れられないという話は本当のことなのでしょう。


だったらちゃんと、前の婚約者の方を繋ぎ止めておけば良かったのに。


――――義理の妹に、一縷の望みなんてないんですから。


兄様に対して恨めしい気持ちが湧いてきます。

兄様の元婚約者アナベル様は、とても綺麗な金髪で、華やかで愛らしい顔立ちの優しげなご令嬢でした。

どちらかと言うと、私とは真逆のタイプです。

私の髪は兄様と似た藍色で、そのことは嬉しいんですが、華やかさは皆無です。ミハエル殿下にも地味だと馬鹿にされましたし。


顔も前世に比べたら、アイドルを目指せるくらいには美少女寄りだと自分では思うんですけど、貴族社会は顔面偏差値が高過ぎです。

十分整っているのに、私程度では十人並みレベルに見なされるんですから。



私が七歳の時に二人の婚約が整って、卒業後に結婚をする予定だったようですが、仕事の都合で延期になり。

仕事人間の義兄は、仕事優先でろくに会うことも手紙を書くこともせず、やがて蔑ろにされたアナベル様の怒りを買って破談になりました。


家族にはマメなのに、なんで婚約者にはあんな御座なりな対応をしたんですか。

好きな子ほど、どう接していいかわからなかったパターンでしょうか?


私にお菓子や小物を買ってくるなら、婚約者にも贈り物は出来たでしょうに。

たまにカフェなんかに連れて行ってくれたりもしましたが、そんな時間があるなら、彼女に対する時間を設ければ良かったのにと思ってしまいます。


でも……婚約者よりも優先してくれる。そのことを喜んでいる自分の気持ちには、気がついていました。

だから口では「婚約者なんだから大切にしてあげてください」と言いながら、兄様の誘いを断ることはしませんでした。


……うぅ、浅ましいのは自覚してましたが、兄様を独り占め出来るのは結婚するまでとわかっていたので、つい誘惑に負け…。

私の配慮も足りなかったと、今は反省してます。



兄様の手を取って、馬車へと乗り込み隣に座った義兄の顔を見上げると、冴え冴えとした美貌がこちらを向きました。


「――――ジョシュエル殿下の件だが」


事情説明を催促したと取られたみたいです。

馬車の御者は兄様の部下なので、聞かれても問題ないのでしょう。

事態が事態なので、私の気持ちも一旦蓋をし、意識を切り替えなければ。

走り出した馬車の中、空気が少し重くなった気がします。


「死因は即効性の毒だと思われる。なんの毒かは調査中だが、外傷はなかった」

「それは食事中に…?」


王家の方々が、家族揃って食事をしているかはわかりませんが、兄様の口振りだと目撃者がいないような感じに取れました。


「いや、恐らく寝る前に口にしたんだと思う。夕食は部屋で一人でとられたようだが、その時に異変はなかったと、給仕をした侍女が証言しているし、その後湯浴みを手伝った侍従も同様の証言だった」

「じゃあ、その後何か食べるか飲むかしたと」

「酒の用意をして、侍女も侍従も下がったらしい。その時に殿下の声は、廊下にいた護衛が確認している。―――だが、グラスからもボトルからも、毒物の痕跡はなかったそうだ。侍従も侍女も容疑を否認している」


それは犯人でも犯人じゃなくても否定するのでは?


「それにしばらくしてから、中から内鍵を掛ける音がして、朝に侍従が鍵を開けるまで人の出入りはなかったと、護衛も証言している」


うわあ。うわあああ、これは…!

まさかの推理もの!?そして密室殺人!?


「ちょっと!ジャンル違う!これ異世界【恋愛】だから!」


思わず吠えた私に、兄様の怪訝な視線が突き刺さります。

でもだって!

せっかく私が恋愛ジャンルを頑張って意識したのに、第二第三の殺人が起こったらどうしてくれるんですか!

じっちゃんの名に懸けて真実は一つなんですよ!(混乱中)

婚約者とは世を忍ぶ仮初めの姿!しかしその実態は名探偵―――じゃないんです!ただの選定侯なんです!


「説明の続きをしていいか?」


はっ、錯乱してました。私は慌てて頷きます。


「どうぞ!」


兄様は訝し気ながら、それどころではないので説明を再開しました。


「殿下の枕元で、毒薬の入っていたと思われる小瓶が発見されている。そして室内を改めた所、ベッドの下から遺書も見つかった」

「自殺じゃないですか!それを早く言ってください!」


誰だ!自殺は考えにくいなんて言ったの!―――私ですね!

脳内でセルフツッコミをしつつ、首を傾げます。

なんでベッドの下から?エロ本じゃないんだから、そんなとこに重要なものを隠さないでくださいよ。


私の疑問を察したのでしょう。

兄様は捕捉してくれました。


「元はベッドの枕元にあって、何かの拍子に落ちたんだと思う。そして起こしに来た侍従が気が付かずに、足に当たってベッドの下に入った可能性が高い。それに関しては、紙の鳴る音を聞いた気がすると侍従が言っていた。だが、様子のおかしい殿下に気が動転して、医師を呼びに行っている内に忘れていたそうだ」


まあ紙の音より、目の前の殿下の異常に気をとられるのは当たり前ですね。むしろ主の異変より、呑気に音の出所を優先させる人が侍従では困りますし。


と言うか、自殺なら犯人探しは必要ないですよね?

自殺の理由は気になりますし、それらしい兆候は卒業パーティーの時には感じられませんでした。それに自殺をするようなタイプにも見えなかったので、もやもやはしますけど。


私が呼ばれたのは、王太子第一候補が亡くなられたから、次の継承者の選定に関して意見を聞きたかっただけでしょうか?


そもそも王宮内の、それも王子に関わる事件なら、警備を担う第一師団の管轄です。

諜報部の兄様が出張る場面ではないと思うんですけど?


それも疑問が顔に出ていたのか、兄様は懐から何かの書類を取り出しました。

差し出されたので反射的に受け取って、目を通します。

ジョシュエル殿下の遺書かと一瞬思いましたが、それは調査報告書でした。


「――――これは……」




†††




この国には、三人の王子がいらっしゃいます。

十八歳の第一王子のミハエル様。その双子の弟で第二王子の(故)ジョシュエル様。

そして二歳年下のサミュエル様。


王位継承権は順当に与えられており、覆るとすれば、第二王位継承者であるジョシュエル殿下が一位になることだろうと、大抵の貴族たちは思っていたでしょう。

実際、それはその通りになったはずでした。

けれど……。


ジョシュエル殿下が亡くなられた以上、次の王太子有力候補は第三王子のサミュエル殿下です。

サミュエル殿下は、明るく前向きで素直な性格をしていて、本を読むより剣の訓練を好む所謂脳筋タイプ。

特に王位に興味はなく、兄弟仲は良かったように思います。

国民人気も高いので、これまで以上にがっつり教育を施し、優秀で感情に左右されない側近を相談役に据えれば、国王になることは可能でしょう。

周りの諫言には、素直に耳を傾ける性質なので。


ただ一つだけ問題があります。




その問題とは……彼が王の血を引いていないということなんですよね!


超・大・問・題!


陛下も世間も、そのこと知らないんですよおおおっ。


なんで私が知っているかと言うと、選定侯としての能力(チート)のおかげです。

王家の血を受け継いでいるかどうか、見たらわかるんですよね。

神の恩寵は、王家の血に宿りますから。

王としての資質もそうですが、王位を継ぐには王の血を引いていることが大前提なので。


どうするんですか、この状況……。


初めてお会いした時に、一目見てサミュエル殿下が陛下の血を引いていないことは察してしまいましたが、私は誰にも話してません。勿論陛下にも。

だって、仕方ないじゃないですか!陛下は末っ子のサミュエル殿下を可愛がっていましたし、王妃様との仲も悪いわけではないのに、家庭内不和一直線の爆弾投下なんて出来ませんよ!


まさかジョシュエル殿下が亡くなられるとは考えてなかったので、サミュエル殿下が継承権一位に台頭してくるとは思ってなかったんです。


現状、一番穏便な方法としては、サミュエル殿下に、王家の血を引く公爵家の令嬢と結婚してもらい、間に生まれた男子を後継者として育てる案。

もしくは現国王に頑張ってもらって、もう一人二人御子を作ってもらう案。


……どちらにしても、陛下にはサミュエル殿下と血が繋がっていないことを説明しなければならないことに変わりはありません。


あああ……ただでさえジョシュエル殿下の件で心痛を抱えているでしょうに。追い討ちをかけることなどしたくはないですが……。


王位継承に関わることなのに、報告を怠った私の落ち度です。

王妃様から陛下に話してもらうべき事柄な気もしますが、聞けばジョシュエル殿下が亡くなられたショックで、王妃様は倒れてしまったそうです。

今も臥せっているらしく「選定侯の力で証拠は上がってるんで、陛下に貴女の浮気をぶっちゃけてください」とは、とてもではありませんが言えません。

実際に頼むとしても、もっと五重くらいオブラートに包みますけどね!


……倒れた理由って、ミハエル殿下もジョシュエル殿下も王位継承から外れてしまい、王の血を引かない我が子が玉座に就いてしまうかもしれない罪の意識からだったりして?

隠し通したとしても、神をも欺くことになるんですから、下手したら神罰が下る可能性も考えられるでしょう。

しかもよりによって、選定侯(わたし)が存在し、王位継承に目を光らせているわけで。

不貞が露見するかもしれないと、多大なストレスを感じているのかもしれません。

自業自得ですけどね。


そして私の胃が痛いのも自業自得です。

こんなことなら、さっさと暴露しておけば良かったと後悔してます。

王妃様の不貞、陛下に言わないわけにはいかないんですから。




謁見を申し込むと、陛下の執務室へと通されました。ほとんど待たされなかったのは、私が選定侯だからでしょう。


世継ぎの君の突然死。

王には悲嘆に暮れる時間すらありません。早急に方針を決めないと、政が滞ってしまいますから。


この場は人払いがされていて、陛下と宰相、護衛として近衛騎士団長。私と兄様の計五人だけです。

陛下と宰相には、私が馬車で読んだ調査書を渡して目を通してもらっています。

そちらの内容を知っているだけに、書類を捲る音すら重苦しく感じられます。


無情ですが、次の跡継ぎを決めなければなりません。……サミュエル殿下の件を、告げなければ。


そう思いつつ、私は今陛下の向かいの椅子に座り、ジョシュエル殿下の遺書へと目を走らせています。

現実逃避じゃないです!これも必要なことですからね?!



ジョシュエル殿下の遺書の内容は、まずご両親である両陛下に対する謝罪から始まりました。


そして、これまでミハエル殿下の補佐をすることを指針に学んできたところで、突然の王位の指名に対する戸惑い。


隠れて付き合っていた女性がいたけれど、正妃に迎えられる家柄ではなく、臣下に降ればまだ望みはあったのに、結婚の夢が断たれたこと。

駆け落ちも考えたけれど、選定侯―――ひいては神の意向に逆らうことは畏れ多く、国にもどんな影響が出るかわからなかった為、断念したこと。

けれど、如何に彼女と愛し合っていたかも切々と語られていました。


しかし次期国王になる以上、結ばれることはないと絶望したその女性は、昨日城の寮で自殺を図ったこと。

彼女を失い、いずれ別の女性を娶らなければならない現実に耐えきれないと、彼女を追って死を決意したことが綴られていました。


「…………………」


一度瞼を伏せ、ため息を堪えました。


行きの馬車で兄様に見せてもらった報告書には、突然自殺した侍女のことにも触れていました。

子爵家の令嬢で、経済的に貧しく、良縁を求めて王宮で侍女をしていた女性です。

働きぶりが認められて、ジョシュエル殿下付きの侍女に抜擢されたのは去年のこと。


周囲には、ジョシュエル殿下のお気に入りの侍女程度の認識しかなく、付き合っていたことは知られていませんでした。


畳んだ遺書を、そっとテーブルの上に置くと陛下がこちらを見たので、視線を遺書に向けたまま私は告げました。


「……この遺書は、ジョシュエル殿下自筆のもので間違いございません」

「…それも選定侯の力なのか?」


沈んだ眼差しと口調は、いつもの陛下と違って覇気のないものでした。

ジョシュエル殿下の死が、かなり堪えているのでしょう。陛下にとって、自慢の息子だったんですから当然のことだと思います。

そんな陛下に真実を告げなければなりません。真実はいつも一つ!とかって、ふざけている場合ではありませんね。


「はい。王家に関して、真贋を見極めることが可能です」

「そうか…」

「あの、陛下―――」


意を決して告げようと口を開いた時。

ノックもなしにバン!と騒々しい音とともに駆け込んできたのはサミュエル殿下でした。


ふわふわの金の髪に、王妃様に似た天使のごとき容貌で、口を開かなければ脳筋にはとても見えません。

そちらに全員の視線が集まり、その天使様は、扉をぶち開けたと同時におっしゃいました。


「父上!僕は父上の子ではないとは本当ですか!?」


脳筋天使が爆弾投下しやがった――――!


ちょっ…!なんでこのタイミングなんですか…!

口止めする余地もありませんでした!て言うかなんで知ってるんですか!


ああ!陛下が口を開けて固まっている!口から魂を吐いてそうです!

宰相も騎士団長も唖然としています。そりゃそうですよね!兄様も驚いていますが、ある意味一番驚いてるのは私かもしれません。


なんで!よりによって!今まさにそれを話そうとしていたのに!

私が言おうとした瞬間でも狙っていたんですか!コントか!


「な、どういうことだ。お前は私の子に決まっているだろう!」

「でもミハエル兄上に聞いたんです!」


犯人はあいつかー!じっちゃんの名に懸けて真実を暴いた気ですか!


「ミハエルに?一体何の冗談だ」

「――――冗談じゃありませんよ、父上」


サミュエル殿下の後ろから、悠々と姿を現したのはミハエル殿下でした。


――――ああ、なるほど……。


私は彼を見て、気がつきました。

兄様の調査書で知った事実から、ジョシュエル殿下の遺書を読んだ時の違和感は、そういうことでしたか。

ジョシュエル殿下の騒動も含めて、()()に繋げるためだったんでしょう。


「前にジョシュに聞いたんです。ジョシュは母上の浮気に気が付いて問い詰めたところ、サミュエルは父上の子ではないと白状したそうですよ」

「な………」


普段は泰然としている陛下も、今は言葉を失っています。

宰相と騎士団長も平静ではないでしょうけど、今はもう表面上は動揺を見せたりはしません。さすがですね。

宰相閣下は「取り敢えず中にお入りください」と冷静に二人を促しました。


兄様は、ミハエル殿下を視線で射殺しそうな顔で睨んでいます。

あ、しまった。そういえば兄様って、いつも暗器を持ち歩いてますね。竿をちょんぎるのは待って下さい。


「サミュエルは母上似ですからね。運良くバレなかったようですが、お疑いなら母上に聞いたらいいでしょう」


()()が狙われているとも知らず、ミハエル殿下は自信満々で喋っています。

兄様、竿を切る方向ではなく、口を針と糸で縫う方向にしませんか?

余計な真似をしくさりよってからに。


「サミュエルには、王位継承者としての資格はありません」

「父上……僕が父上の子ではない以上…このまま城にいることは出来ません…」

「サミュエル!何を言う!」


拳をぎゅっと握りしめ、俯くサミュエル殿下に陛下は悲痛な叫びを上げ、息子を見つめました。

ミハエル殿下が、慰めるようにサミュエル殿下の肩を叩きますが、お前が元凶だろうが。一番の元凶は王妃様ですけども!


サミュエル殿下は決然と顔を上げ、


「だから僕は冒険者になって良いってことですよね!王子じゃないんだから!」


嬉々として出生を受け入れてます、この人。


「ちょっと待てー!」

「大丈夫です、父上!僕はちゃんと父親として父上を愛していますし、なんの問題もありません!父上の子ではないことは悲しいですが、王位に興味もないですから!」

「問題ないわけあるかー!」

「落ち着いて下さい、陛下!」


阿鼻叫喚です。

そしてサミュエル殿下、メンタル鬼強え。陛下が憐れですね。


「ルビアナ」


そんな中、ミハエル殿下が私の方に歩み寄ってきました。

それ以上近付くと、兄様の暗器が飛ぶ気がするんで止まった方がいいと思います。


「聞いての通り、サミュエルは王位を継ぐことが出来ない。ジョシュも……亡くなってしまった…」


ミハエル殿下は唇を噛み締めて、辛そうに顔を歪めています。

私は真っ直ぐに彼と相対し、ひとまずその言葉に耳を傾けることにしました。


「俺に、もう一度だけチャンスをくれないか?ジョシュを…半身を失ったのは俺が不甲斐なかったからだ。ジョシュの為にもやり直したいんだ。一年、いや半年でもいい!王の資質を示してみせるから……!」


そう言って、さらにこちらに踏み込み、私へと手を伸ばし、腕を掴もうとしたのかもしれません。

半身を失い、さらに下半身も失いますよ?


しかしそれは杞憂だったようで、藍色が私の視界を埋めました。

兄様が私を背に庇い、ミハエル殿下を阻んでくれていました。

ちょんぎるのは保留みたいで、私は胸を撫で下ろします。


「サーリエル卿、なんの真似だ」

「ルビアナはもう貴殿の婚約者ではない。無闇に触れないでもらおうか」


わあ、兄様。ひと欠片の敬意もない言い種ですね!敬語すらありません。


「まだ正式に書面で破棄はされてない以上、ルビアナとは婚約者だ。ルビアナ、あの時のことは悪かったと思っている。彼女たちとは別れたんだ。これからは、愛するのはお前一人と誓う!だから俺ともう一度やり直して欲しい」


なるほど。そう言う魂胆ですか。

もういいですね。


「ルビアナ、俺はお前を愛し」

「陛下」


皆まで聞かず、私は陛下へと視線を移し呼び掛けました。が、聞いてない。

サミュエル殿下とわちゃわちゃしてますね。


「ナイジェル陛下!」


さらに大きな声で呼ぶと、ようやくこちらを見てくれました。


「わたくしがこれから話すことは、選定侯としての言葉です。嘘偽りはないと宣言いたします」


選定侯にも制約があります。

それは、選定侯として王に接する時、嘘がつけないというのも、その一つです。


そのことは陛下はすでにご存知ですが、他の人もいますし、陛下も平静ではありませんから、改めて口にしました。


「ミハエル殿下」

「な、なんだ」


兄様の後ろに隠れたままでは、さすがに様にならないので、私は改めてもう一度ミハエル殿下の前にと立ちました。


「そうお呼びするのは間違っておりますね。失礼しました」

「は?」


怪訝そうな表情にも見えますが、眼差しが一瞬不安に揺れるのがわかりました。

()は選定侯の力を侮っていたのでしょうか?

<真実の眼>が、お伽噺に過ぎないとでも?

選定侯に()()()()()()と、本気で思っていたのなら、甘く見られたものですね。


()()()()()()殿()()、ミハエル殿下の真似はもう結構です」


私がキッパリと言い切ると、あちこちから息を飲む音がしました。


ミハエル殿下と同じ髪型にしたジョシュエル殿下は、目を見開いた後、引きつった笑みを浮かべました。


「ルビアナ、何を言っているんだ。さすがにその冗談は…」


先程、ミハエル殿下が部屋に入ってきた時に気が付きました。

彼はミハエル殿下ではなく、亡くなったはずのジョシュエル殿下だと。


<真実の眼>は便利ですね。

例え瓜二つの双子であろうと、私には区別がつくんですから。王族限定ですけどね。

この力にも制約がありますから。私の選定侯の力は、本当に王位選定に関すること限定なんですよ。

その能力の全容は、国王も知らないこともあり、王にならないと知らされない力もあります。

仕える身ではありますが、選定される側に、全ての手の内を見せる必要はないと言うことです。


「選定侯として、嘘偽りなく申し上げると宣誓致しました。貴方は第二王子のジョシュエル殿下です」

「え?ええ!?ミハエル兄上じゃなくて、ジョシュエル兄上なんですか!?」


もう一度言い切って、ジョシュエル殿下を真正面から見つめます。

動揺を隠そうとしても隠しきれていません。

そういうところも、まだ甘いですね。


サミュエル殿下はあからさまな驚きっぷりです。

ジョシュエル殿下がミハエル殿下として偽っていた。この場でその意味に気付いていないのは彼だけでしょう。


「ジョシュエル殿下、貴方には、ミハエル殿下と侍女の子爵令嬢を自殺に見せ掛けて殺害した容疑、及び国家機密漏洩の容疑が浮上しました。よって身柄を拘束させて頂きます」

「なっ―――」

「兄上が!?」


ちら、と騎士団長に視線で促すと、戸惑いながらジョシュエル殿下へと近付きます。

しかしそれよりも早く。


私を人質にでもしようとしたのか、ジョシュエル殿下が、こちらへと素早く手を伸ばしてきました。

右手にはいつ取り出したのか。一振りのナイフが握られているのが目に入りました。


とっさに身をかわせる程、私の運動神経は発達していません。

ただ体を強ばらせ、その場から動くことも出来ませんでした。


けれど。


「うわぁっ」


ドサッと大きな音と共に、ジョシュエル殿下が

床に投げ出され、そのまま兄様によって腕を捻り上げられます。


「往生際の悪い」

「くそっ、離せ!離せよ!」


兄様が私の隣にいて、私が害されるなどありえません。

そして離せと言われて、暴漢を離す馬鹿はいませんよ。


兄様が容赦なく、暴れるジョシュエル殿下の首筋に手刀を打ち込むと、あっさりと彼は意識を失いました。


「選定侯への傷害未遂も追加だな」

「兄様、ありがとうございます。おかげで怪我をしなくてすみました」


選定侯を殺した場合は道連れにしてやれますが、怪我は違うんですよね。単なる怪我損です。だからって、殺されるのもごめんこうむりますがね。


「いくら相手が王子だったとは言え、何のための護衛だ?反応が鈍すぎる。それで団長とはな」


対応が間に合わなかった騎士団長に、兄様は冷たい眼と口調を向け、ジョシュエル殿下を足蹴にして、そちらへと寄せました。って、扱いが雑すぎる!陛下の前ですよ!


「ちょっ、兄様さすがに不味いかと」

「構わんだろう。王家の不始末に比べれば。そうですね、陛下?」


わあ不遜。兄様通常運転ですね!


「……ああ、構わぬ。ルビアナ侯、ジョシュエルもミハエルの件も改めて謝罪する。息子どもの愚行を止めれず申し訳ない」

「陛下、お顔をお上げください。両殿下の行動は、わたくしの方にも責任の一端はありますので。今の義兄の行動に目を瞑ってくださるなら、それで結構です」


今の兄様の行動、本気でまずいことですからね!

ジョシュエル殿下のやらかしも大概ですが、罪人とは言え、まだ具体的な罪状が確定してませんし、現段階で王子であることに変わりはないので。



結局この日は、新しい次期後継者の話は出来ず仕舞いでした。

ジョシュエル殿下の自殺(正確にはミハエル殿下の他殺)の再捜査の指示や、王妃様への詰問やら、話し合いができる状況ではなくなってしまったので、後日となりました。




そしてジョシュエル殿下の尋問は、私も立ち会うことになりました。選定侯の力で嘘が見破れるので。

心配した兄様も同席してくれています。

あ、尋問官は当然別にいます。殆どのやり取りは、尋問官の担当です。

私は嘘発見器の役割ですね。


ジョシュエル殿下は、最初の内はのらりくらりと話を躱すような会話しかしませんでしたが、兄様の脅迫……もとい、ちょっと強い言動に加え、大事に大事に育てられてきた王子様が味方もおらず、過酷な取り調べを受ける状況に長く耐えられるはずもなく。


容赦のない連日の詰問に、日に日にジョシュエル殿下の目から覇気が消え、疲労が濃くなっていき、七日目にゲロりました。


根性のなさは、ミハエル殿下とさすが双子ですね。

結局のところジョシュエル殿下も、出来が良かった分、挫折や苦労を知らないお坊っちゃまなんですよねえ。

もちろん、努力や苦労をしてこなかったわけではありませんが、理不尽な目に合ったり(ミハエル殿下による理不尽はあり)、暴言を吐かれたり(ミハエル殿下による暴言はあり)といった経験は圧倒的に少ないわけで。


そつなく如才良く生きてきたジョシュエル殿下は、親にも教師にも強く怒られるという行為すら、ほとんどされたことがないんです。

だから、ジョシュエル殿下はメンタルが強いわけではなかったんですよね。


ジョシュエル殿下は、尋問でボッキボキに心を折られ、半泣きで自供しました。

『良い子』の仮面が剥がれたジョシュエル殿下は、まあミハエル殿下とよく似た内面をお持ちでした。


「いつまで経っても父上は僕を王太子に指名してくれないし、ミハエルは馬鹿のままだし!僕の方が勉強も馬術も優秀で、誰が見たって王に相応しいのは僕だろう!?」


陛下が王太子を決めなかったのは、選定侯(わたし)が選定期間を卒業までと定めたからなんですけどねー。

こちらに恨みを向けられても嫌なので、言いませんけど。

ついでに突っ込んでおきますが、馬術は王の資質に関係ありませんよ。


ジョシュエル殿下の自供は、ミハエル殿下への盛大な愚痴と、王位継承権第二位という立ち位置への不満と共に語られました。

あと陛下への不平不満、恨みつらみ等も。


国家機密の漏洩の件は、他国の間者に脅されてとのことでした。

でも、その発端となったのがですね。

ミハエル殿下に化けて、女遊びをしていたのがバレたためだそうで。


例の子爵令嬢だった侍女の他にも手を出していて、()()()()()()() は、全てミハエル殿下の振りでやっていたそうです。

単純に性欲の発散だけでなく、ミハエル殿下の評価を下げ、自分の名誉が守られるので一石二鳥と調子に乗ったようですね。

いずれ王太子に指名されるために、ミハエル殿下の振りをして失脚を狙ったそうですが、例の侍女は、側にいる内に髪型以外でも双子の見分けがつくようになってしまい、まず彼女にバレたんだそうです。


上手く宥めすかして、隠れて付き合っていましたが、段々目に余る行動を取るように。


やがて口論をしている時にミハエル殿下の振りをしていたことを詰られ、タイミング悪く王宮に潜り込んでいた間者に聞かれて、ばらされたくなければ機密を渡せと脅され、ジョシュエル殿下は従ってしまったんですね。


残念です。

何が残念て、女遊びもミハエル殿下の振りも、正直どうでもいいんです。

その程度、と言ってはなんですが、それくらいでは別に王の資質なしとは見なしません。


なぜなら、清廉潔白な人物が、運良く王家の男児に生まれつくなんてほぼないんですから。

そんな人しか王位を継げないなら、王家はとっくに断絶してますよ。


人格形成には教育と躾、環境や周りの人物による影響も大きいですが、人間の資質は生まれもった部分にも左右されます。


こう言ったら見も蓋もありませんが、取り繕うだけの頭と面の皮の厚さがあればいいんです。

私利私欲であろうと、それが国にプラスに働くことなら問題ありませんし、女を囲もうが、世継ぎをもうけてくれれば文句は言いません。

むしろ清濁併せ持つ人物の方が、よっぽど王には向いているんですから。


ジョシュエル殿下の過ちは、安易な殺人もそうですが、王位継承者として最もしてはならなかったこととは―――国家機密の漏洩です。

国を売る行為を、王だけはしてはいけない。

バレては王になれないと思ったんでしょうけど、王になれない道を選んだのはジョシュエル殿下本人です。


で、なぜ念願の第一王位継承者になれたのに、偽装自殺をして自分が死んだことにしたかと言うと。

国家機密漏洩の件が、諜報部にバレて捜査が及びそうになったのを察知したからです。


兄様が卒業式の前後に忙殺されていたのは、この件のせいですね。

間者は、兄様の部下が別件で確保したそうです。おかげで機密が他国に流れることも阻止されました。

そして事態が発覚したわけです。


ジョシュエル殿下は、漏洩の罪もミハエル殿下のせいにしようとしたのに工作が上手くいかず、このままでは自分も継承権を取り上げられてしまうと焦りました。


そして考えたジョシュエル殿下は、ミハエル殿下に入れ替わりを持ちかけたのです。

「ミハエルこそ王に相応しい。僕の代わりになって王位に就き、父上やルビアナを見返してやればいい」と囁いて。


単純なミハエル殿下はその案に乗り、髪を切ってジョシュエル殿下と入れ替わり、彼の振りをしてジョシュエル殿下の部屋で過ごしていたそうです。

ちなみにジョシュエル殿下は鬘をかぶってました。


ここで邪魔になるのが、双子の見分けがつく侍女の存在です。

死人に口なし。それを実行したんですね。


ジョシュエル殿下は、侍女を縄で絞殺し、首吊り自殺を偽装。

そして彼女の死は、『ジョシュエル殿下』が自殺する口実にも使えたわけです。

遺書を書き、ミハエル殿下が寝入った時間を見計らって、王族のみが知る隠し通路を使って自室に入り込み、ミハエル殿下に毒を含ませ殺害。

ある意味密室殺人だったわけですね。

トリックなしかよ!って、ミステリー好きの人からのツッコミが聞こえてきそうですが。


こうして、サミュエル殿下が国王の血を継いでいないことを知っていたジョシュエル殿下は、ミハエル殿下に成り代わって、心を入れ替えた体で誠実さと優秀さをアピールすれば、復権も可能だと画策したのです。


もし自分(ミハエル)が王位に就けなくても、公爵位を賜って、自分の子供が王になれる可能性が高いという目算もあったのでしょう。


あの時―――ミハエル殿下の振りをしている時に、やり直そうなどと言って、私に粉をかけてきたのは、選定侯を抱き込もうという魂胆だったのは見え見えでした。

籠絡しようとしたのでしょうね。より王位を確たるものにするために。



これが、今回の事件の顛末です。


……言っちゃあなんですが、他にも双子を見分けられる人、いると思いますよ?私みたいなチートがなくても。


陛下は騙されてましたけどね!

まあ、入れ替わってから期間が短かったですし、すぐに自殺騒動を起こしたと推察すれば、陛下は目の回る忙しさで、ろくな会話もしてなかったことでしょう。

情状酌量の余地はあったことにしておきます。



ジョシュエル殿下の王位継承権は、当然剥奪されました。

事が大きすぎるので、まだ死刑は執行されてませんが、いずれ斬首刑か絞首刑どちらかになるようです。


王妃様の不貞も明るみになり、今後は離宮で蟄居とし、表舞台に出てくることはもうないでしょう。

サミュエル殿下は王族から除籍され、念願の冒険者を目指そうとウキウキしてます。


当然のことながら、王家の信用はがた落ちです。




そして、なぜか。


私は今、旅の空の下にいます。


私が思い描いていたのは、サミュエル殿下と公爵令嬢との婚姻で生まれた子供を次期後継者に、だったんですけどね。

サミュエル殿下は除籍されてしまいましたし、それに公爵令嬢の方もですね…ちょっと問題があったようで。


彼女の名誉のため周囲には伏せてはいますが、子供が生めない身体だそうです…。

十九歳になっても、初潮がきていないらしく。

また、その弟君も精通が来ていないということなので、たぶん遺伝子異常なんでしょう。

この世界にそんな言葉はありませんが、これでは世継ぎが望めません。

あ、公爵家のお二人は、表向きには病弱ということになっています。


公爵家に降嫁したのは、現国王の妹君で、当然直系の血を持つのも彼女です。

遺伝子異常が夫側の問題なら、王妹である夫人に別の男性の子供を生んでもらい、王家に養子に出してもらう、という道徳観度外視な手も使えなくはないですが、もし原因が母体側なのであれば、公爵(旦那)以外の男性の子種をもらっても意味がありません。

そして異常がわかるのは十年以上先になってしまいます。さすがに<真実の眼>でも、そこまでは見通せません!


あと、公爵は愛妻家なので、もしその手を強行すれば、禍根を残すこと間違いなしです!

内乱はまずいんです。他国の軍にしか、神の威容は発揮されませんので。

一番阻止しないといけないパターンですね!なので、この案は却下されました。


陛下に子作りしてもらおうにも、今回の件で王妃様と仲違いしてしまいましたし、新たに妃を迎えるにしても、問題を起こした王子たちの父親、というレッテルを貼られてしまっているわけで、あまり民衆受けが良くないんですよね…。


そんなわけで、私が旅に出ることになりました。



いやなんでや、と思うでしょう。

これには当然訳がありまして。

先代陛下、つまり現国王の父親ですね。その方の落とし胤が存在するんですよ。

陛下とは腹違いの弟ということです。現在二十六歳になられます。


良くある話で、先代が在位中に侍女に手をつけ、妾にも出来ない身分(平民)だったため、生まれた子は王子とは認められず、辺境伯の下にこっそりと養子に出されたわけです。

表向きは辺境伯の妾の子で、次男扱いになっています。


今さら王家の都合で迎えようなどと、それこそ都合が良すぎますが、他に方法がなく、その方に白羽の矢が立ってしまいました。


ですが、王の血を引くだけでは王位は譲れません。

そこで選定侯の私が派遣されたわけです。

王に相応しいと判断出来れば、そのお方を説得し、是を引き出し王都へお連れする。

まあ、すんなり頷いてくれたとしても、仕事の引き継ぎとかあるでしょうから、私だけ先に帰って陛下に報告という形になるでしょうけど。



今回の訪問は、辺境伯には私が訪ねることを知らせていません。

領地に着いてから、先触れを出す予定です。


ないとは思いますが、養い子(もうすでにいい歳ですが)を王家に渡したくないと、刺客を送られても困りますからね。

理由を伏せたとして、王都から何の所縁もない貴族が訪ねてくるとか、勘繰らない方がおかしいです。

王位継承者が三人ともいなくなり、辺境伯の手元には王家直系の御子がいる。

そこへ、侯爵家の人間が訪ねてくれば、ねえ。


いくら辺境領が遠いとはいえ、私達が到着する頃には、あちらの領地内にも王子たちの顛末話は広がっているでしょう。


そんなわけで、旅の理由が心浮き立つものではないのは確かです。

ですが、私が不機嫌なのには、別の理由があります。


「……ルビアナ、いい加減機嫌を直してくれないか。せめて理由を言ってくれ」


ガタガタと揺れる馬車の中。ぶすっとする私の横には兄様の姿があります。


兄様は、辺境領へ赴く私の護衛を買って出てくれました。

でも侯爵家(うち)にだって、護衛の騎士くらいいます。兄様が付いてくる必要はないんです。実際他に数人騎士は同行してますし。


私が不機嫌な理由?

兄様に言えるわけないじゃないですか!


――――辺境伯の奥方は、兄様の元婚約者のアナベル様なんです。

兄様が旅に付いてきたのは、あの人に会えるからでしょう!


辺境伯は、他国では重要な地位として、通常の伯爵よりも上位に位置する高位貴族ですが、我が国の場合、国境を侵す軍は神の加護で撃退できるので、あまり重要視されていないのが現状です。


生まれ育った王都からも遠く、社交界に顔を出すことも儘ならない田舎で、富も権勢もなく権力にも興味のない当主の下へと嫁いだアナベル様。

そこへかつての婚約者が会いに来たら、焼けぼっくいに火が、ってことだってあるかもしれません。

私はお役目で行くのに。兄様には行く義務なんてないのに。

仕事人間の兄様が、長期休暇を取ってまで辺境くんだりまで出向くなんて、青天の霹靂ですよ。


あ、兄様の場合、一応知人を訪ねるという名目は立ちますけども。元婚約者なんて、修羅場の予感でしかない。

辺境伯も歓迎したくないでしょう。

ちなみに現在の辺境伯は、長男が継ぎましたので、戸籍上、王弟殿下は領主の弟という立場ですね。


「……別に不機嫌なわけじゃありません。疲れてるだけです。寝るので声を掛けないでください」


我ながら素っ気ない態度を貫き、外套のフードを被って視界から兄様をシャットアウトします。

今は兄様と口を利きたくありません。


今回、ジェーンもこの旅に同行してくれていますが、私の専属メイドのキャシーと、兄様の執事と一緒に別の馬車に乗っています。

つまり、今この馬車の中で、私は兄様と二人きりということです。

嬉しいのに嬉しくありません。


急務が入って、兄様だけ引き返したりする展開にならないでしょうか?

……父様が代理として屋敷にいるので、それはほぼないですね。

自分で自分の意見を否定します。

辺境伯領まで移動に半月はかかります。その間ずっと兄様と喋らないでいるとか、不機嫌でいるのは不毛です。

でも理性では儘ならないのが恋情なんです!でなければ、とっくにこんな報われない恋心なんて捨ててます。


………はあ、疲れがあるのも本当なので、本気で一眠りしましょうか。


ここのところ、あの事件に関する会議や後継者の選定をどうするかの会議が連日あったり、選定侯であることがバレたので、ひっきりなしにお茶会へのお誘いや面会依頼が殺到したりで、息をつく暇もなかったので、疲労はかなり溜まっています。


瞼を閉じれば、あっさりと眠気はやってきました。

少しくらい休んだって罰は当たらないですよね………



………………

………………………………


眠りに身を委ね、どのくらい経ったのか。

ぼんやりとした意識の中、頭を優しく撫でられて、気持ち良さにうっとりしながら幸せな気分に浸っていると、「ふっ…」と上から吐息のような笑い声が降ってきて。


それにより、急速に意識がはっきりした私はパチリと目を開きました。


「っ!?!?」


枕が硬いなと思ったら、兄様の膝枕でした!

反射的に飛び起きようとしたら、兄様に肩を押さえられて止められました。


「危ないからいきなり起きるな。落ちるぞ」


そういえば、ここはまだ馬車の中です。

危うく座席から転げ落ちるところでした。

いや、それにしたってなんでこの体勢!?

座って寝てる時に、隣の人の肩を枕にしちゃうパターンは、前世の時に電車でたまに見掛けたけど、膝枕までいってるパターンはまずない!気づけ自分!


慌てて起き上がると、肩から兄様の上着が落ちました。重ね重ねすみまっせん!


「ああああのっ、ごめんなさい兄様。私、兄様を枕に」

「問題ない。俺が抱き寄せただけだ」


…………はあっ!?今この人なんて言いました!?


「髪が崩れてしまったな」


そして追撃入りました!

兄様はそう言って、私の後れ毛に触れてきました。

兄様に他意なんてないんでしょうけど、私は自分の頬が熱くなるのを止められませんでした。

体温コントロールとか無理だから!


「見苦しくてすみません!あ、あとでキャシーに直してもらいます!」


髪に神経なんてないのに、兄様が触れているそこに感覚が集中しているような錯覚に陥ります。

義理の妹相手に、色気を振り撒かないでください!心臓が破裂したらどうしてくれるんですか!

こっちは異性に免疫ないんですよ!

前世今世含めて悲しいことに!


私が挙動不審なのに、兄様は眼を細め、どこか嬉しそうです。


「……ようやく目を合わせてくれたな」


はっ!しまった!私は不機嫌なんでした!

寝ぼけてつい、いつもの対応に!

でもこの状況で、兄様に塩対応は無理です。兄様の嬉しそうな顔を見ると、反抗心も湧いてきません。

むぐぐと唇を噛み締め悔しさを堪えていると、兄様が眉を寄せ「唇が切れるぞ」と言って、私の唇に触りました。なにやってんですか、この人ー!


「そっ、そういうことは!妹じゃなく恋人にしてください!」


思わず車窓に張り付き、兄様から距離を取ります。

が、なぜか隙間を詰めてくる兄様。へ?なんで?


「に、兄様?」

「兄様ではなくルビウスと呼べ」

「はい?」

「もうお前はミハエル王子の婚約者じゃない。ようやく結婚を申し込める」

「はい?」


壊れた人形のように、私は同じ反応しか示せません。

窓にしがみついていた手をべりっと剥がされ、指先に兄様の唇が寄せられます。って、はい?


「ルビアナ、俺と結婚してほしい」


はい?すら言えず、私は息を飲んで硬直しました。


そしてじわじわと、兄様の台詞が脳に浸透して言われた内容が理解出来たと同時に胸が痛みました。


それは、つまり……。


「わ、わたしが選定侯だからですか…」


今、サーリエル侯爵家には、私宛の釣書がたくさん届いています。

どの家も、王家への切り札的存在の私を――――ルビアナではなく、サーリエル侯爵令嬢でもなく、選定侯を欲して縁談を申し込んできました。


ミハエル殿下との婚約がなくなり、いずれどこかの家へ嫁ぐことはわかっていますが、『私』という存在は希薄になってしまったかのようにすら感じられます。


昔から、兄様は私を守ってくれていました。でもそれは、私が選定侯だという前提があってのこと。

このプロポーズだって、私が他の貴族から利用されないようにということなんでしょう?


好きな人にプロポーズされて、嬉しくないなんて。


「だからですかっ?結婚、する前に、アナベル様に会いに…っ」

「は?なんでそこでアナベルの名前が出てくるんだ?」


アナベルと、いまだに気安い呼び方に、胸を針で刺されたような心地になりました。


「だって兄様が好きなのはアナベル様でしょう!?それなのに、なんで私に求婚するんですか!」


ついに禁句を口にしてしまいました。

でも兄様が悪いんです!あんなに他の縁談を蹴って、ずっと独身を貫いていたのに。アナベル様に心を残したままなら、これからもそうすればいいのに。


「待て、何か誤解が」


兄様が焦った様子で言ってきますが、こっちも気が昂って、今まで我慢していた分、もう抑えることが出来ません。


「自己犠牲精神で結婚を申し込まれても嬉しくもなんともないんですよ!」


言ってる内に、どんどん悲しくなってきて惨めで、とうとう涙が溢れてしまいました。


「違う!どうしてそういう解釈になるんだ!」

「だって、だってアナベル様と…」

「だから、まずそこから違う!」


ひぐひぐと子供のようにしゃくり上げ、涙が止まらない私を、兄様は壊れ物のように柔らかく抱き締めてくれました。


「俺が愛しているのはお前だ。お前を守ってきたのは、選定侯だからじゃない。ルビアナだからだ」


ずっと欲しかった言葉が与えられ、歓喜に胸がいっぱいで、今度は嬉し涙が溢れてきました。


「兄様……本当に?」

「本当だ。俺の言葉を疑うのか」


少しだけ身体が離れて、鼻がつきそうな距離で兄様に覗き込まれます。

真剣な眼差しに、確かな熱が宿っていて、どこか必死な表情をしています。


「―――信じます。だから、もう一度言って…?」


甘い空気に酔ったように、素面では言えない恥ずかしい台詞を言ってしまいました。

自分の声さえ甘さを含んだようで、頭がふわふわします。


「…ルビアナ、口付けしてもいいか?」


申告制!?そしてもう一度言ってくれないんですか!?

こういうのって、なんていうかこう、空気を読んでというか、流れでしちゃいませんか!?

聞かれる方が恥ずかしいんですよ!?これ返事しなきゃならないんですよね!?そして兄様さっきのもう一度言ってくれないんですか!?


内心テンパりながら言葉に詰まっていると、兄様が「嫌か?」と眉を寄せ苦悶の表情に。


「ずるいです、兄様。い、嫌なわけ…ないです」

「ルビアナ…」


きっと頬と言わず、全身が真っ赤になっていると思います。

それでも恥ずかしいのを我慢して答えると、兄様はすごく嬉しそうな、ほっとしたような笑みを浮かべて唇を寄せてきました。


「ルビアナ、これからも傍にいて欲しい―――愛してる」


唇同士が触れる寸前、そう囁いた兄様に柔らかく唇を塞がれました。


こちらの反応を伺うように、最初はそっと。

大人しくしていると、角度を変えてもう一度。今度はなんだか長く合わせて、鼻で息をするのも辛くなってきた頃に、ようやく離されました。


思わず、ぷはっと大きく息をすると、兄様に可笑しそうに笑われました。



この後、私は兄様がこの旅に付いてきた理由を知りました。


理由の半分は、私が貴族の間で選定侯と知られてしまったため、もしかすると道中偶然を装って、接近しようと目論む連中がいるかもしれないと危惧したこと。

武力でくれば護衛でも対処は可能ですが、相手が高位貴族で、食事に招待とかになると無下に断れません。

下手をすると護衛の同行を制限されるかも。

実際、私を取り込もうと、色んな貴族たちからのお誘いがありましたしね。


そしてもう半分の理由ですが。

それは護衛とは言え、男所帯と行動を共にして、私に悪い虫がつかないか不安だったからだそうです。

護衛たちに言い含めたところで、私が誰かに心を寄せないとも限らないから、目の届くところにいたかったのだと。



そしてアナベル様の件も聞きました。

なんと二人は偽装婚約だったそうです。契約婚約と言ってもいいかもしれません。


アナベル様には同じ学園に想い人がいて―――現在の旦那様である辺境伯です―――片思いの上、権勢のない僻地ということで、当時親には言えず。

兄様も、父様から婚約者を決めろとせっつかれ、時間稼ぎのためにアナベル様と婚約したのだとか。


アナベル様と辺境伯(当時は令息ですが)の仲を取り持ち、いずれ婚約を解消することで、最初から話がついていたそうです。


なぜそんな事をしたかと言うと……その頃からですね、兄様は私のことを想っていてくれたそうで……って、当時私は七歳くらいですけど!?


驚愕の事実です。兄様ロリコンですか!?って叫んだら、メチャクチャ渋い顔をされました。ごめんなさい。


まあ、世間的にもアウトです。父様に私との婚約を願い出たところで却下されてたことでしょう。

当時はまだ私もミハエル殿下の婚約者でしたしね。


でもそれで婚約者時代、アナベル様にほとんど会わなかったんですね。

仕事を理由に結婚を延ばしたり、婚約者を蔑ろにする演技をして、婚約を破談に持ち込む、そのために。


「あいつらの仲を進展させるのは、どんな任務よりも難題だった…マークスは鈍いし、アナベルは奥手で、まともに挨拶を交わすだけの間柄になるのに二ヶ月だぞ」

「うわあ…」

「そのせいで、卒業するまでに間に合わなくてな…」


お疲れ様です。

でもすぐにアナベル様との婚約がなくなっていたら、兄様が困っていたのでは?時間稼ぎできないですよね?

と、思いましたが、例のあれです。他の縁談を断っていた表向きの理由。

アナベル様のことが忘れられなくてってことにして、断ればいいと考えていたそうです。


そのせいで、私はずっと勘違いして、もやもやを抱え続けてきたんですけどね。

でも正直、七歳の時に兄様に告白されても、本気とは取らなかったでしょう。

頭でも打ったのかな?とか思ったはずです。



で、まあ、紆余曲折はあったものの、めでたく二人は両思いになり、辺境伯領には新たな産業を起こして、アナベル様の実家と提携する形に持っていき。

アナベル様はご両親に、兄様と上手くいっていないことを相談し婚約を解消しました。

そうして後釜に辺境伯家のマークス様が納まって、無事にハッピーエンドになりましたとさ。ということらしいです。


ちなみに新しい産業は、辺境領に咲くアキーリアという花を使った染め物です。

アナベル様のご実家のサーニッド伯爵領は、元々織物が盛んな地域で、糸や絹織物をアキーリアで染め、特産品として売り出してるそうです。

今では辺境領のある一帯がアキーリアの花で埋め尽くされて、新しい観光名所にまでなってるらしく、外貨も稼げているんですって。


前世のネモフィラ畑とかラベンダー畑みたいなものでしょうか。

辺境伯領は富も権勢もない、というのはその産業が成功する前の古い情報でした。

認知度が上がってきたのも、ここ二、三年ということでしたので、ネットがない世界では情報の更新が口伝てなので、仕方ないとは言え、私の見識不足でした。



「ところでルビアナ」

「はい?」

「名前では呼んでくれないのか?あとお前の気持ちを聞いていない」


キスを受け入れた私に、それ聞きますか!?

プロポーズされて癇癪起こした私の態度でわかるでしょうに…!

って、そういえばプロポーズの返事もしてませんね!


「ルビアナ」


切なげな眼で見つめられ、うぐっと乙女らしからぬ呻きが漏れそうになりました。

この人、自分の顔の良さわかってやってますよね!


「わ、私も……兄さ、ルビウスが、好き…です」


羞恥に耐えながら、蚊の鳴くような声で告げると兄様に再び抱き締められました。

そして唇が腫れるほど長い口付けは、宿に到着するまで続いたのでした…。


結局プロポーズの返事は出来ず仕舞いです。でもこれは兄様…ルビウスのせいでもあると思います!

こうなったら、プロポーズもリテイク要求してやります!


そう内心で息巻いてましたが。

……自分の首を絞めたことに気付いたのは、それをルビウスに突きつけた後のことでした……。




ルビウスにどっぷり甘やかされながら、羞恥に悶絶した旅路は、約半月の行程を経て、辺境伯のお屋敷に到着しました。

王弟殿下にお会いしたはいいものの、私が口説かれたり兄様がそれで怒髪天になったり。

数ヶ月の滞在の果て、王の資質ありと判断出来たはいいものの、次期後継者として王都へ移るよう説得したら、私が妃になるなら王位を継いでもいいとか言われたり。

まあ、すったもんだがありましたが、それはまた別のお話です。



途中(卒業パーティー後のお茶の席)まで、ルビアナのお相手がジョシュエル王子だと思ってた人は挙手( ・∀・)ノ

それではありがち過ぎるので、捻ったらこうなりました。結局未来の王太子は出番なし(笑)しかも名前すら出ませんでした。


でも最後はちゃんと異世界【恋愛】になれましたよね!


補足

この国の法律で、王位継承者に該当するのは、現在の国王から見て三等親までです(甥っ子までOK)。

一応過去に臣籍に降りた王子王女は何人もいますが、何世代も前まで遡るときりがないので、そういう法になっています。

王女は王位に就けません。

が、今回のように他に継承者がいない場合、その王女の子が男児なら、王の養子として継承権が与えられる特例はあり。

公爵子息(未精通童貞)くんは、精通が来れば王位継承者になれる可能性があります。



ここまでお付き合いくださり、ありがとうございましたm(__)m。

広告下のいいねボタンや評価の★を押していただけると、作者が調子にのってヒーロー視点の後日談を書くかもしれません。


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