第534話 よどんだ空気と時間の中で’ at 2021/03/30
「……もうこんな時間か」
いつものように、照明もつけず、分厚い遮光カーテンを閉め切ったままの薄暗い部屋の中で俺は目を覚ました。ひどくけだるく、油断すれば再び夢の世界へとひきずりこまれそうになる。
すぐ手元に転がっていた古ぼけたスマホのホームボタンを押し、反射的にメールの件数をチェックしてから後悔する――五十四件。
俺は気づかなかったふりをして電子タバコのスイッチを押した。無性に吸いたい気分だったのだ。軽い振動とともにLEDが点滅するのを見つめる。
ヴーッ。ヴーッ。ヴーッ。
と、前触れもなく震えはじめたスマホに溜息をつく。ひさしぶりのタバコの味にむせながらスクリーンを見ると、そこに表示されていたのはなんだか懐かしさを覚える名前だった。
「……もしもし?」
「もしもし、モリケン? 僕だよ、僕。渋田。元気?」
「シブチンか? なんだか………………あれ? なんだか妙にひさしぶりって気がするな?」
「なんかね……。僕もさ、何か急に話したくちゃって。……今、話してて大丈夫?」
「大丈夫。ちょうど休憩の時間だったから――」
言葉少なに応じ、手の届く位置にあったペットボトルのお茶を、ぐびり、と飲む――空だ。
「こっちは仕事で忙しくってさ。お前は天下の三石の、花形部門のエリート様だったっけか?」
「……あ、あれ、前に言ったっけ? そうなんだ、三石商事宇宙開発部門の、部門長ってヤツ」
「おい、お前。あいかわらずあの部屋の窓から運動部の着替えとか覗いてるんじゃないのか?」
「な――ないないない! 古ノ森が融資してくれた高性能望遠鏡なら、今は息子のオモチャさ」
受話器を肩で挟み、電気ケトルに水を注いでいると、渋田は俺に、こう尋ねてきた。
「そういやさ。届いてたでしょ? 中学二年の時の、二年十一組の同窓会。今年は来るよね?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
実家に辿り着いた俺を待っていたのは、渋田が言っていたとおりの同窓会の案内状だった。ジャケットの内ポケットに忍ばせておいたそれを取り出し、文面に目を通す。会場は――。
「ホテルラポール千寿閣……ははっ、やっぱりここだよな」
ヴーッ。ヴーッ。ヴーッ。
「……もしもし?」
「モリケン? 今どこ?」
「まだ、バスの中だ。ちゃんと来たから安心しろ。……切るぞ?」
「よかった。ほら、ウチの奥さんも会いたがってるからさ。最近、ずっと会ってないでしょ?」
「……実をいうと、結構イベント会場で顔合わせたりしてるけどな。大人気の男装レイヤー様」
「だ、男装……? いやいやいや、してないと思うけど? だって、この前のイベントも――」
ヴーッ。
「……ん? ちょっと待ってくれ。……なんだ、これ。リマインダー? ……悪い、切るぞ?」
なんだか妙なリマインダーだった。
『――今すぐメモを見ろ』
それだけが書いてある。
妙な胸騒ぎがして、まだ駅まで遠い停留所で降車ボタンを押した。
「す、すいませ――」
他の乗客の間をすり抜けて、俺は転げるようにバスを降りた。そして、ベンチに腰掛けると、スマートフォンの初期アプリ『メモ』を開く。大したものはない。なかったのだが――。
「ああ……! くそ……っ! そうだ……そうだったよな……! なんで忘れてたんだ……!」
俺は、そのメモを目で追いながらようやく『あの頃』を思い出し、ひたすら泣きじゃくった。





