第361話 ち、ち、ち、と鳴くのは秋の虫 at 1995/12/1
「だーかーらー! 無理なモンは無理なんだって……こんなんで、出てくるわけないだろ?」
「やかましいっ! やる前からあきらめておる奴には、しょせん何ひとつできはせぬわい!」
僕はげんなりしつつぼやき、コトセは腑抜けたそんな僕を一喝した。
正直に言って、あまりこんなところで騒ぎ立てたくはない。なにせ今いるのが、僕とロコの家があるホー1号棟の前だからだ。大声を出せば、北側の土手の上に建つホー4号棟との間で幾度も反射して、うわんうわんと響き渡るだろう。親しかろうが親しくなかろうが、狭い団地住まい、嫌でも一方的な顔見知りが多い。見ている人は見ているものなのである。
「大体だな……?」
がら、とベランダ側のガラス戸がイキオイよく閉められた音に思わず首をすくめつつ続ける。普段は気にしない他の住人の動作ひとつにも敏感になってしまうのは、きっと夜のせいなのだ。
「こんな夜中に押しかけてロコを夜遊びに引きずり出す友だちに、ロクな奴はいないだろうが」
「事は急を要する事態なのだぞ? 悠長なことを言っている場合か!」
「それが大袈裟だって言ってるんだ。現時点じゃ、ウワサがひとり歩きしてるだけじゃないか」
「それを信じる奴だっているのだぞ? いくら荒唐無稽で、作り話めいたモノであってもな!」
「それは……そう……なんだけどさ……」
つい自分のテリトリーの中で悪目立ちしたくない一心で、消極的になっていた自分に気づく。
「……いや、ごめん。コトセの言うとおりだ。僕も、ロコときちんと話すよう言われてたっけ」
「ほらみろ。……じゃあ、頼むぞ」
「って言われてもなぁ……」
いきなり玄関口でピンポン押すわけにはいかないし、二階にあるロコの家へ呼び声をかけたところでそれこそ近所迷惑でしかない。現在時刻は夜の一〇時。キッチンの窓も、その隣にある浴室の小さな内倒し窓も、どちらも真っ暗だ。
ということは――ああ、それならば。
「反対側の、ベランダ側からなら呼び出せるかもしれない。行こう!」
「ははぁン。何か思いついたのだな? では、参ろうか」
――チッ、チッ。
ロコの家のある二階に向けて、ベランダ側の芝生の上から舌打ちに似た音を出す。そう、いつぞやの夜に、ロコが僕を呼び出した時と同じ手を使ってみたのだ。幸いにも、ロコの家の下、一階の住人は不在らしい。カーテンすら見えないところをみると、空き家なのかもしれない。
しばらくはなんの反応もなかった。
だがやがて、ロコの部屋である四畳半側の灯りがゆらめき、人影が躍った。
――がらり。
「………………なんの用なの?」
部屋の灯りで逆光になってよく見えないが、確かにロコの声だ。不機嫌そうで、ぶっきらぼうで、それでもちょっと居心地悪そうで気まずそうな響きのするロコの声だった。
「ロコ、話がしたいんだ。君と」
「………………スミにそう言われたの?」
「言われた。……でも、だから来たわけじゃない。僕が、ロコと話したかったから来たんだ」
「………………ずるいよ」
「なんだって?」
「……なんでもない。支度したら行く。ママにも言わないとだし」
「わかった。待ってる」
案外すんなりと説得できてホッとしていると、隣でにやにやとコトセが笑っていた。
「……なんだよ、その顔。っていうか、お前も黙ってないでなんか言えって。共犯なんだから」
「いやいやいや。ここで部外者の私が口を出すのはいささか不粋かな、と思ってな。にやにや」
「擬態語をわざと声に出すのって、かなりオタク臭いぜ。やっと友だちできはじめたんだろ?」
「ククク……実に余計なお世話だ、古ノ森健太。第一、オタクにオタクと呼ばれたくはないね」
「……確かに。それに、お前と僕とじゃ、かなり系統が違うもんな。お前と一緒くたは嫌だな」
割と皮肉を込めたひとことのつもりだったのだが、コトセのにやにや笑いは消えなかった――まったく。





