第260話 波乱ぶくみの運動会(6) at 1995/10/10
「徒競走の順番も終わった頃だし……このへんにいるはずなんだけどな。……っと!」
――見つけた。
僕の視線の先には五十嵐君がいて、見知らぬ誰かと熱心に話しこんでいた。確か、このあたりは同じ二年の二組の席だったと思う。あまり見知りがいない僕だが、プログラムに書かれていた配置図だけは事前に頭に入れておいたのだ。
(二年二組ということは……この前の『西中まつり』の時の、向井さんたちがいるクラスだな)
まさかとは思うが、あの水無月さんの一件に関するハナシをしているのだろうか。
いや、それは少し考えにくい。
少なくとも僕らの知るあの五十嵐君が、という前提に立って考えれば、かなり違和感がある。
(だいたい、あの時見た女子二人の姿は見えないしな……。今、話しているのも男子生徒だし)
校庭の隅に追いやられたサッカーゴールの柱という頼りない遮蔽物に身を隠しながら――少なくとも本人の僕は隠れているつもりだ――観察する限り、極めて友好的に会話が進行しているようである。
横顔だけ見えている五十嵐君の表情は――ま、まあ、いつもどおりだったけれど、会話相手の浮かべている屈託のない笑顔を見る限りは、嫌な内容のトークをしているようには見えない。
――と。
(……んんっ!? ちょ――!!)
どうやら会話が終わり、ていねいに一礼したかと思うと、五十嵐君は迷うことなくまっすぐ僕の方を目指して歩いてきたのであった。これには慌てた。なんとかゴールポストに身を隠そうと必死に足掻いてみたものの、12センチしかない幅ではいくらスリム化した僕でも無理だ。
「……おや? おやおや。そんなところで何をなさっているのでしょうか、古ノ森リーダー?」
「そんな意地悪いこと言わないでよ、ハカセ。もしかして……とっくに気づいていた、とか?」
「いつかの意趣返しですよ。ふふふ」
五十嵐君は、くい、と丸眼鏡の位置を整えながら微笑んで見せると、言葉を続けた。
「プログラムの順番が来たのでも競技の帰りでもないのに、自由気ままに動いている生徒なぞほとんどおりませんからね。嫌でも目立ちます。そして立場上、周囲の確認は常にしますから」
「さ、さすがだな、ハカセは」
あいかわらずの分析力と冷静さだ。それに、世界的大企業の次期後継者候補でもあるんだっけ。最近はいろいろといい方向に変化してきたこともあって、そんなことなんて忘れてた。
「じゃあ、バレたついでに単刀直入に聞いちゃうけど、一体なんのハナシをしてたんだい?」
「いうなれば『折衝』というところでしょうか。うまくは行きませんでしたが」
「せ、折衝……?」
とっさに言葉で伝えられて、ズバリその単語が浮かぶ中学生がどのくらいいるんだろうか。
僕はふと脳裏に浮かんだままを言葉に変換して口に出す。
「それって……取引を持ち掛けた、ってこと? それって、もしかして騎馬戦のことで?」
「ええ」
「ええ、って……。あのさ、ハカセ――」
僕はセリフを続けることができなかった。
素早く五十嵐君は遮って僕の言葉を代弁する。
「もちろん、理解していますよ。せっかく研鑽を積んできた仲間の決意や意思を踏みにじるような行為であろうということは。ですが、もうすでにご存じでしょう? ハカセと呼ばれるこの僕は、戦略や戦術のため、その先にある勝利のためならば、ありとあらゆる手を尽くします」
「……だったよね。うん、別に嫌じゃないし、それも勝ち方の一つだ」
「でも――とおっしゃりたいのもわかっています。今の僕であれば、わかるようになりました」
五十嵐君は、まるでウインクでもするかのように芝居がかった仕草で片眉を跳ね上げてみせる。
「されど、です。不可能を可能にし、奇跡を顕現させるには、ありとあらゆる備えが必要なのですよ。それが――たとえ神であろうとも、ね」





