第103話 そして、最後の一人が。 at 1995/7/5
「なるほどね……。いや、結構プライベートなことまで話してくれてありがとう。助かるよ」
ひとしきり話が終わった頃合いを見計らって、僕は一つうなずいて笑顔とともにそう告げた。『電算論理研究部』の部室に集まった面々もまた、今まで止めていたことを忘れていたかのように、ふぅ、と息を吐き出す。
一旦は落ち着いたとはいえ、水無月さんの口はさほど軽くなったわけでもなくって、壁掛け時計に目をやると、ここに集まってからすでに二時間近く経っていたようだ。それでも僕らは水無月さんのペースに合わせ、急かすことも横槍を入れることもなく、ただ黙って聞いていた。
水無月さんは、小学校の高学年になった頃から体調を崩してしまった。
それまでは周りの子どもたちとさほど変わらなかったが、二次性徴期のおとずれとともにそれははじまった――カラダのだるさ、微熱、体重の減少――といった形で。複数の病院で診察を受けたものの、原因と病名は一向にわからず、やがてそれらは水無月さんの日常とすり替わっていった。慢性的な症状と化して彼女を苦しめ弱らせ、外界から切り離し遠ざけて、閉じ込めてしまったのだった。
なにも小山田や吉川が特別だというわけではなく、似たような鋭利な言葉の槍が水無月さんの心を幾度も傷つけてきた。それを耳にして憤った僕たちに、水無月さんが苦々しい顔でこう言う――『あ、あたしだって、逆の立場ならそうした……かもしれません……から』。
今の姿が、不格好で、不気味で、気色悪いことくらいは自分でもわかっている。
でも、変わりたくっても変えたくっても、肝心な『変わり方』がわからない。
ずっと暗いシェルターのような部屋の中にこもりきりだった。だから、他人との距離がわからない。何を話せばいいのかわからない。伸びっぱなしの幽霊のような長い髪もどう切ったらまともに見えるのかわからない。もう何年も切っていなかった。やせ細った貧相なカラダに何を纏えば女の子らしく見えるのかわからない。白く不健康なカラダには原因不明の青痣がいくつもあって鏡を見るのも嫌になっていた。友達? もうそう呼べる人なんてどこにもいない。
そう、水無月さんには何もなかったのだった。
「……」
僕らは、水無月さんの話が終わってからもしばらく黙ったままだった。
今『電算論理研究部』の部室にいるのは、僕を含めた正部員の四名、そして、純美子と咲都子とロコの女子三人だ。どうしてこんな面子なのかというと、前回同様、勉強会参加者全員で再集合し、答え合わせとわからなかった問題のおさらいをすることになっていたからだった。
「で……どうする気なの、ケンタ?」
「うん。とりあえずなんだけど、水無月さんにはウチの部に入ってもらおうと思ってる」
「はぁ? こんな機械オタクだらけの地味部に?」
「地味ってのは大きなお世話だよ、ロコ。そ、そりゃ否定はできないけど……」
ロコのからかい混じりのセリフに少しむっとする。しかし、ようやく部屋の中を見回す余裕ができたらしい水無月さんは、何かに気がついたらしく、あっ、と小さな叫びを漏らした。
「あ……あれ……? も、もしかしてあそこに置いてあるのって、キューハチ……ですか?」
「そうだけど……って、水無月さん、『キューハチ』がなんだかわかるの!?」
「わ……わかります。ウ……ウチにもあります……から……」
僕たち男四人の正部員は思わず顔を見合わせる。その中でただひとり、五十嵐君だけはうっすらと笑みを浮かべていることに僕は気づいた。
「ひょっとして……ハカセ、何か知ってたんじゃないの? こうなるってことを、さ?」
「ハハハ。さて、どうでしょうね」
ハハハ、じゃないってば、五十嵐君。
あいかわらず掴みどころのない奴だ。
意外と、五十嵐君が『時巫女・セツナ』の正体だったりするんじゃないの? 変声機程度なら作れそうなくらいには十分怪しい『ハカセ』キャラだし。
僕は再び水無月さんの方へ顔を向け、たちまち落ち着かなげになった彼女に尋ねてみた。
「もしかして……プログラムの知識、あったりする?」
「プ……プログラム、ですか……? えっと……N88-日本語BASIC(86)なら少し」
「あははは! その名称フルで言えるだけで、もう十分すぎるほどくわしいんだってわかるよ」
「つまり……どういうこと、モリケン?」
「つまりだ」
僕は大きくうなずくと水無月さんの手を握る。
「彼女が僕たちの五人目の仲間さ」