7 星集め 『虎と少年』
「銀星ぇ~スターライトォー!!」
恭介の咆哮が響き渡った。銀星を纏った右腕が拳を握りこみながら直線を描く。目標に向かって放たれた最強の鎚は、恭介に飛びかかる銀色の爪を持った虎の額を打ち抜いた。大気と光が肘から排出される。
放たれた衝撃に、虎は放物線を描いてアスファルトの地面に叩きつけられその動きを止める。それを見据えた恭介は満足そうに鼻を鳴らした。
『何だ、今の掛け声は』
虎に寄生した“銀星であった者”を融合すべく歩み寄る恭介に、銀星の淡々とした口調が水をさす。それを受け流す様に笑った恭介は「必殺技だよ」と右腕に力瘤を作って見せた。見せる相手はその右腕なのだか、それを指摘する者は誰もいない。
彼らは今、隣町にある小さな動物園にいる。アスファルトで地面が塗り固められた園内に、規則正しく植えられた植物。公園の様に芝生が未だ萌える公園も含み、緑を強調した作りとなっていた。そこで、行動展示ではなく、ただの展示を目的とした鉄製の檻が無機質なコンクリートと金属で動物たちを囲っている。休日には小さな子供連れで賑わう、隣町の人気スポットの動物園に、銀星の能力によって導き出された近場の“銀星であった者”を求め、恭介たちはここに来ていた。例えで“小さな”といっていても、全国規模で宣伝されている動物園と比べ、何の遜色もない充実した内容を誇るこの場所で“銀星であった者”は一頭の虎に寄生した。そして、鉄の檻を破壊し園内を血で染め上げたのだ。
麻酔銃で応戦しようとした飼育員。他の檻で飼われていた動物。それらが食物連鎖の上位に位置する虎の胃袋の中へと消えた。
増幅されたのは食欲だった。
不細工なまでに膨れ上がった腹部を引きずりながら俊敏な動きを見せる虎に、誰も手出しができず、園外に出さない様バリケードを作る事だけで精一杯。そこに恭介たちが出くわし、周りの制止を振り切ると、単身虎に立ち向かったのだ。
園内の惨劇を目の当たりにした恭介は吐き気を催したが、それを味わう事もなく虎との戦闘が始まった。
恨みも憎しみもない。ただ、貪欲に求めた本能がこの惨劇を生んだのかと、眉をひそめながら一撃必殺を誇る拳を繰り出す。その後銀星に見せようとした力瘤も、どこか割り切った考え方が生み出したのかもしれない。それとも、牡鹿の時と同様、個々が持つエゴの衝突を思い浮かべていたのかもしれない。が、そのどちらにしろ、恭介の心の中には虎に対する怒りがなかった。亡くなった人間に同情はする。しかし、運が悪かった。そう思うだけだ。
ここがもし人が作った空間ではなく自然の中だったら、仕方がない事だ。人の尺度で測ろうとするから、人を殺した虎に怒りや恨みを抱くのだろう。
もう一つ言葉を重ねるならば、動物園自体がエゴの塊だったのだ。故に、人のエゴがこの惨劇を生んだと言っても過言ではない。同じ動物を檻で囲い、餌を与え、見せ物にする。一種の優越感というものがこういった仕組みを作り上げたのかもしれない。違う者ならば、好奇心が、優しさが、夢が、この中に詰まっているという言い分を主張するだろう。しかし、その者はやはりエゴに縛られた人間なのだ。
何が悪いのか。どうしていれば良かったのか。そんな事を考えていても、今の状態がどうにかなるわけではない。この虎を殺したとしても殺された人たちが生き返りはしない。
銀星がこの星にやってこなければ、虎に寄生しなければ、そんな事を考えたところで誰にも責任を転嫁する権限はない。
だから、悪いのは“運”なのだろう。
『待たせたな。融合は完了した』
銀星の声が聞こえる。また少し重さが増した右腕を握りしめ恭介は立ち上がった。自分ができるのはここまでだ。後は、他の人間に任せよう。どうするのかは火を見るより明らかだろうが、虎に対してそこまでの義理はない。そう溜め息を吐き出すと、目線を正面に移す。
すると、場違いな人影が恭介の視界に映り込んだ。それに目を凝らす恭介に、その人影は口角を吊り上げる。
誰もいないはずの園内。どす黒く変色しアスファルトにその後を残す血だまりの真中に、線の細い輪郭の少年が子供っぽい笑顔を浮かべながら立っていた。少し離れているにも関わらず少し目線を下げなければ顔が見れない。中学生。いや、小学生か。上下を紺で統一した上品なスーツとも取れる服装に包まれるその少年は、どう考えても迷い込んで来た様子には見えない。恭介が訝しむ目をさらに細めると、少年の薄い茶髪は血なまぐさい風を孕みふわりとその姿を変えた。
「あ~あ、先こされちゃった」
中性的な声。いや、どちらかと言えば女性寄り。しかし、悪戯っぽいその口調は小学生男子そのものだった。彼の名は白木一色。
「あ? 誰だてめぇは?」
威嚇とも取れる鋭い視線を向けられた一色は一瞬脅えを見せるが、不敵な笑みを浮かべながら恭介を見返した。瞬間、右腕の袖口から鋭い銀色の刃がその姿を現す。アスファルトに切っ先を突き刺した刃を、見せつける様に地面を削り取りながら前へと突き出すと薄い唇が恭介に向けられた。
「おじさんと一緒。僕は選ばれたものなんだ」
「お、おじ……て、てめぇ俺はまだティーンエイジャーだぞ!」
戸惑いの中飛び出した恭介の主張に、一色は意地悪な笑みを浮かべる。
「僕から見たらおじさん。でしょ」
見た目が少し老けて見える。それは恭介が気にしている事だった。子供っぽくありたいと思う訳ではないが、必要以上に老けて見られるのは嫌だった。年相応。それが一番なのだろうが、世の中そうはいかないものだ。だが、恭介の見た目に問題があるのも事実。だらしなく纏ったオレンジのラインを含む群青色ジャージがそうさせているのだろう。
しかし、それは今関係ないだろうと横から銀星が釘をさす。
『恭介。あの地球人も宿主だ』
「ああん?」
話がどこかへ行ってしまう事を懸念した銀星の言葉に、恭介は一色の突き出す銀の刃へ視線を移した。見えているだけで刃渡りが一メートルを超える両刃。そのディテールはゲームやファンタジー小説に登場する“剣”。小学生がそれを持つ事など、この国の法律では許されていない。それどころか彼の細腕でそれを見せつける事など不可能だ。導き出された答えに、恭介は眉をひそめる。
「俺と同じって事か……」
「そうだよ。おじさん。僕たちは勇者なんだ。モンスターを倒して強くなる勇者なんだ」
動かない虎に切っ先を向けながら一色が笑う。もう、“おじさん”と言われても反応しない。恭介は奥歯をギリリと噛み鳴らすと、一瞥を向けた虎に同情を示す。
(お前は、モンスターじゃねぇ。ただ、力を暴走させた野生の虎だ)
同族嫌悪。それが芽生えていたのだろうか、本心として言葉を紡ぎ出してくる一色に恭介は嫌悪感を抱く。しかし、目の前の少年とは根本的な部分が違う。信念がそう拒絶した。
「いや、違うな。俺とお前は違う」
「違わないよ。僕とおじさんは一緒なんだ。神様に選ばれた勇者なんだ。ここに来たのだって、ゲシュタルトに導かれたからでしょ。“敵”を倒せって。強くなれって」
言葉の端々に歪な信念が見え隠れする。それはやはり、恭介とは違うものだった。子供じみた言動を恭介は軽く鼻で笑い飛ばす。しかし、この人間にこの力は危険だ。そんな予感が脳裏を過る。一瞬緩んだ表情を極端に険しく作り直した恭介は、一色の瞳を睨みつけた。
「坊主。てめぇにこの力は出来すぎたもんだ。火傷しない内に俺に渡せ」
差し出される銀色の右腕。そのゆっくりとした動きとは対照的な印象の低音が、一色の心を縮みあがらせる。瞳には明らかに見てとれる脅えがあった。経験しなくともわかるのだろう。この男は危険だと。
自分の力が及ばない。いや、揮える力は同等だ。しかし、まだ扱うものが未熟であれば経験値の差が絶対的な線を引く。弱肉強食。自然の摂理。平等なヒエラルキー。そういったものが一色の脳裏に警鐘を響かせた。
「いやだ! 僕は勇者なんだ。勇者になるんだ! ゲシュタルト!」
一色の叫びが園内に響き渡る。その瞬間、袖口から真っ直ぐ延びた両刃の剣が引っ込むと、変わりに航空機を思わせる翼が少年の背中に現れた。
「僕は強くなる。あんたに負けないぐらい強くなってやる。あんたは“敵”だ。だから、僕が倒す」
怒りとも憎しみとも取れる形相を恭介に向けた一色は、垂直に跳び上がった。攻撃が来るのかと身構えた恭介が相手を見据える。が、攻撃ではなかった。ゲシュタルトと呼ばれた一色に寄生する“銀星だった者”が数本のパイプを翼から突き出し、強烈な空気が押し出した。変則的なジェットを推進力に、この空域から離脱していく。
つまり、逃げたのだ。
小さくなって消えていく一色を呆然と見届けた恭介が、それに気がつくには少々の時間を必要とした。そして、ようやく脳内での処理を終えた状況が、恭介の口を開かせる。
「に、逃げやがった」
『その様だ』
一人取り残された恭介が、冷静に打たれた相槌に眉をひそめると、銀星が言葉を発する。
『どうする。追いかけるのか』
「当然。俺たちも飛ぶぞ」
『わかった。君が望めば翼となろう。イメージをくれ』
銀星の言葉に、恭介は翼を思い浮かべる。大空を自在に舞う姿。それに見合った大きな翼を。
次の瞬間、右腕にあった銀星が姿を変えた。恭介がイメージした翼を寸分たがわず形どる。両手を広げるより大きく、天使を思わせる銀色の翼が恭介の背中に具現化された。機械的な物ではなく、鳥類が持つその翼を得た恭介は、その翼を一杯に広げ大地を踏み切った。
頬に風が当たる。澄み渡る青空が少し近くなった気がした。……だけだった。翼は風を捉えることなく、重力に引かれた恭介は地面に着地する。
沈黙が世界を包み込んだ。状況が理解できない恭介は、自分にも問いかける様に気持ちを銀星に向けて吐き出す。
「なぜだ銀星。なぜ飛ばねぇ」
『これでどうやって飛べと……』
冷静な回答。悲しい風が、心の内を通り抜けた。