29 集いし三連星
――恭介――
――勝昭――
――真奈美――
声が聞こえた。それは懐かしい空気を持っていて、心の中で変換される。全てが全て変換されるわけではない。けれど、二人の声が、彼女の心に届いたのだ。彼女の名前は、南条真奈美。ルシフェルの宿主にして、二人の憧れ。それらの声が、彼女の意識を覚醒させていく。
『猪口才な奴らだ。だが、もうその時はすぐだ』
脳内に響いた悪魔の声。それで真奈美は瞼を開けた。世界が違う。今までの無機質な部屋ではなく、空があり、壁がなく、目下には燃え上がる荒野と、瓦礫の山。そして、蠢く金色の触手。そう、あの男を殺害した凶器が、誰かを狙って動きまわっている。
それを目の当たりにした真奈美は、絶叫とも呼べる声を放つ。
「止めてぇー!!」
その声が響いた瞬間、ルシフェルの動きが鈍くなった。わかっていた事だ。宿主がいる以上、その影響を受けずにはいられない。例え完全なる自我をもった存在であったとしてもだ。懸念していた事が現実に起こった。
『思ったより早い……』
舌打ちとも取れる言葉を零した魔物。それを更に抑え込むように真奈美は声を上げる。
「させないんだから。もう、誰も殺させない」
声が聞こえた。その声と共に動きが鈍る金色の触手。その意味を知った勝昭は、歓喜の声を上げた。
「生きてる。真奈美ちゃんは生きてる」
『気がついた様だな。これぞ神が与えた好機。心の準備は良いか勝昭』
「当然だ」
そう、最後に繰り出した拳で、触手を一つ破壊すると、ユニコーンは動きを止める。それはまるで、相手を挑発し、その先の事を望んでいるかの様だ。だが、今のルシフェルにはその先の事など読む余裕はない。これぞ好機とばかりに、触手を一本、二本と巻きつけていく。見る見るうちに、その触手の数が、数十本を超えた。巨大な力で締め上げられる勝昭の姿がもう確認する事ができない。まるで毬の様な紋様を見せるその球体の中で、ユニコーンの鎧が、音を立てて圧壊を始める。
『実にこの宿主というのは、生き方が下手だ』
「ああ? 誰の事を言ってんだユニコーン?」
『お前の事だよ。勝昭。お前が望めば、恭介がやろうとしている事は、お前だってできたはずだ。囚われのヒロインを助け出すヒーローなんぞ、そうできる事ではない。好きだったんだろう。ヒロインの事が。だったら、力ずくでも奪ってしまえば良かったのだ』
ユニコーンのユニコーンらしからぬ発言に、勝昭は鼻を鳴らした。それをする事はできたのかもしれない。だが、それが必要とは微塵も感じなかった。
「馬鹿だなユニコーン。お前は何も俺の事をわかっちゃいねぇ。仕方ねぇんだよ。だって俺は……」
そこまで言うと勝昭は瞼を閉じた。暗い世界に変わりはない。だが、その裏に浮かぶ、あの頃の二人の姿。自分に手を差し伸べてくれた、恭介と真奈美。その姿が、成長した二人に変わる。
――勝昭――
――カッちゃん――
その言葉と笑顔が、ぽっかりと空いた心を満たしてくれる。返す言葉は決まっている。あの時からずっと言い出せなかった言葉だ。
――二人ともごめん――
「恭介も真奈美も大好きなんだからな」
『ふん。それを言ったんだ。お前は生き方が下手だと』
「だったら、下手で良いんだよ。それよりも、スタートラインが引かれなきゃ、未来が始まらねぇだろう。だから良いんだ」
『ならば、勝昭しかできない。技を見せつけてやれ。でかい花火を打ち上げるぞ』
「言われなくてもわかってらぁ。準備は良いなユニコーン」
絞り出された言葉にユニコーンは心地良さまで感じる。やはり、この宿主についてきて良かった。自分はまだまだ強くなれる。その意気込みが心を通して繋がった。もう、誰も失いたくはない。
『当然だ!』
蠅を捉えた金色の毬を見下ろしながらルシフェルは笑う。完全に相手の動きを封殺した。ありったけの触手を使用したのだ。これを抜けだす事などできるはずがない。あと少し圧力を加えれば、その蠅すら握りつぶせる。だが、それを許さないと抵抗する宿主の心が邪魔をした。目覚めていなければ、もう蠅はつぶしていただろう。しかし、それもこれで終わりかと、宿主から絞り取った力を毬に向け流し込もうとした瞬間、その毬の中心が膨張している事に気がつく。
『ま、まさか……』
疑念が確信、いや、絶望に変わるには時間を要しなかった。閃光を放ちながら爆砕される金色の毬。その衝撃が同心円状に広がりながら次々と触手の根元までを破壊していった。いや、この表現は適正ではない。衝撃が向けられたのは金色に輝く物質にのみ。それだけを破壊する衝撃があの者から放たれたのだ。
ルシフェルが蠅と罵った相手。ユニコーンが放つ最強の一撃。その相手は余韻に浸るかの如く、閃光の中心でその姿を輝かせている。光の強さは一等星。姿はまるで白銀騎士ユニコーン。破邪の後光を纏う勇者の姿だ。
『ば、馬鹿な……』
驚愕に歪むルシフェルの感情。しかし、それをそれで終わらせない影が目前に降って湧く。鬼の仮面を携えた銀色の闘士。その姿が逆光と下方の炎で赤黒い紅蓮と呼べる姿に見える。そう、紅蓮闘士オーガが目前に現れたのだ。
それを、目の当たりにした真奈美が思わず声を上げた。
「ユニコーン! オーガ!」
そして、その姿が幼い頃の記憶と、先ほど聞いた声で補完される。導き出された答えは、もしかすれば違うかもしれない。希望が生み出しただけの、幻想なのかもしれない。しかし真奈美は、その結論を口に出さずにはいられなかった。
「カッちゃん! キョウちゃん!」
初めて見る成長した真奈美に、喜び嬉しさが込み上げてくる。震えた手の平。怯えた理性を感動が凌駕する。恭介は、抑えられない気持ちをそのままに、両腕で真奈美を抱きしめた。
「良かった。真奈美。助けに来たぜ」
優しく抱きとめられる感触に、真奈美の目には涙が浮かぶ。そして、その気持ちを吐き出す様に恭介へ両腕を回す。
「私、私、ずっと一人で寂しかった。怖かった。体も自由に動かないの。私の体じゃないみたい。それが、それが……」
震える腕が、真奈美の気持ちそのものだ。今までこの十一年間、ずっと一人ぼっちで泣いていたのだろう。訳のわからない環境でずっと理不尽な世界に翻弄されてきたのだ。だが、その悪夢はもう終わりだと、恭介は更に強く真奈美を抱きしめた。
「俺たちが来た。もう大丈夫。これからはずっと一緒だ」
「キョウ……ちゃん」
震える声。成長しているとはいえ、聞き間違える事はない。それは、どちらにとっても当然の事だった様だ。思い続けてきた相手なのだ。詮索すれば野暮になる。そう微笑む様な思考を巡らせた銀星が、素早く成すべき行動を静かに始めた。
これで、全ての運命が決まる。