21 輝くは金の星
ケビンは厳重に閉じられた銀色の扉を前に、映し出される自分の表情を確かめ、自嘲した。そこには、理想として描いていた自分の姿は存在しない。醜い感情に蝕まれて、歪に歪んだ顔があった。プライドで生きてきた者の顔。それが、地に堕ちた神であるとケビンは嘲笑う。
誰よりも、自分の事は知っている。父から学んだ帝王学。その中にあった精神学は、この上なく知的好奇心を満たす玩具だ。自らの感情を知り、他人の感情を知る。それを言葉で操って、我が道を成してきた。あの日本人の爺どもは、自分の事を挿げ変えられた飾りだけの頭だと思っている事だろう。しかし、それは違う。
全てケビンの技術によって組み伏せてきた結果が、今の地位だ。手段は選ばなかった。人には必ず弱みというものがある。金だったり、異性だったり、地位だったり。つまりは欲だ。その部分を財力や情報網でかき集め、自分を伸し上げる力とした。やって見れば簡単だ。人の感情とは実に脆く、揺らぎ易い。欲に目が眩み、忠誠の尻尾をパタパタと振る。それが、他の者に恐怖として伝染し、ケビンは今の役職に就いたのだ。世界の頂点。技術の頂点。体裁は“世界の”と謳っているが、その気になれば、世界を征服する事ができる。ただそれをしなかったのは、世界規模のモラルを守っていたからにすぎない。
彼にとって、エゴを、プライドを傷つけられる行為は、何事にも代えがたい屈辱だ。今まで何の苦もなく生きてきた。望めば全てが手に入った。苦労などない。故に、統括の言葉が気に入らない。支部長の存在が気に入らない。基地を破壊したγ《ガンマ》も、図星を突いたあの騎士も。全てが気に入らない。
神を侮辱すればどうなるか、力を持って示さねばならない。神の雷。天罰を与えなければ。それを成す事が出来るのは、あの歴代最強を誇る“銀腕の魔女”を消し去ったβ《ベータ》のみ。それを扱う事ができるのは、自分しかいない。そう、ケビン=ウェストサイドしか。
[私が、神だ。私が最強だ……]
言葉が漏れる。いや、言い聞かせているのだ。この扉を開き、その力を手に入れるために。
最後の声紋認証を終えたセキュリティーは、赤から、青へと、その発光色を変化させた。複雑に絡み合った閂が、パズルを解く様に一本ずつ外れていく。そして、最後の一本が外された時、重厚な扉が、重い音を響かせながらゆっくりとその身を開放していった。
隙間から零れ出す。金色の光。徐々にその全貌が露わになる。最も恐ろしい力。β《ベータ》が。
逆防護フィールドが展開された先、数メートルの超硬化アクリルガラスの向こう側。そこには、一人の少女が蹲っていた。黄色いリボンと床まで広がった黒髪。そして、か細い肢体。それを防護するように広げられた六対十二枚の金色の羽根。暁の明星ルシフェルが、麻布の様に見える特殊素材で編み込まれたワンピースに包まれている。一見、巨大な繭にも見えるその姿を、ケビンは恍惚の表情で見つめた。美しきこの力こそ最強なのだと、笑みが零れる。
その時、人一人分もあろうかという一枚の羽根が動きを見せた。瞬間、ケビンの頭の中に直接声が響きだす。
『どうした人間。新しい食事でも持ってきたのか』
中性的な声。その声によって紡がれた言葉には、感情がこもっていない。それに眉をひそめたケビンは、壁に埋め込まれているスピーカーマイクのスイッチを押した。
[新しい知識など、もうない。今回私は、今まで与えてきた知識の謝礼を受け取りに来た]
『謝礼だと』
室内に流れるマイク音声に反応し、翼がもう一枚開かれる。
[そうだ。今まで私は、お前に膨大な量の知識を与えた。それが契約だったからな。しかし、今、その知識を与えた私の、私たちの組織が危機にさらされている]
『だから、どうしたというのだ。私には何も関係のない事』
[さらに知識が欲しいだろう。ならばその力、貸してはくれまいか。一部でも良い。私に寄生してはくれないか]
少しの沈黙の中、さらに二枚の羽根が展開される。
『そうすれば、更なる知識を与えてくれると言うのか』
[そうだ]
そうケビンが返すと、頭の中に天使の笑い声が響き渡った。最初はククと、噛み殺す様に。そして、次第のその声が大きくなり大音量の高笑いへと変わる。
『面白い』
その言葉を聞いて、ケビンは確信する。所詮、生物。欲には勝てないのだと。だが……
「やめてぇ!!」
少女の肉声が聞こえた。その瞬間、腹部に激痛が走る。だが、それは刹那だけ。遅れて来た防衛本能が脳内麻薬を多量に生み出し、それを快楽へと昇華させた。しかし、現実は変わらない。腹部にぽっかりと空いた穴。そこから血液が、臓器が、重力に引かれ零れ出す。生々しい音を立て、無機質な床を赤く染め上げていく。
いったい何が起こったのか。ケビンは理解できない。異変の元凶である腹部に手を当てると今までそこにあった壁が綺麗に取り払われ、背中まで貫通していた。それを理解した瞬間、膝の力が抜ける。ガクンとついた両膝。視線が下がると、誰がこれをやったか、理解できた。
丁度、目線の高さ。そこに腹部に空いた穴と同じ直径の円が見える。防護壁にと作られた強化アクリルガラス。そして防護フィールドが同じ様に貫かれていたのだ。部屋の中で怪しく揺れる金色の触手が、間違いなく凶器だろう。
『私が、飼われているとでも思ったか。小賢しい。需要と供給が成されていたから、私はここに留まっていただけの事。新たな知識がないと言うなら、もうこの地球には要はない』
[う、そだ……]
『どうとでも思うが良い。だが真実は、変わりはしない』
それが最後の言葉だった。一瞬金色が煌めいたかと思えば、世界が闇に切り替わる。
「いやぁああああっ!!!」
少女の悲痛な叫びが、反響し合う中。金色の魔物は優雅にその羽根を全て広げ、力を宿す。何と脆弱な人間だ。軽く触れればその姿を崩す。だがそれ故に、知識という力を持ったのだろう。実に面白い生物だ。さて、最後に知識が集約するこの場所に訪れた危機というモノを見物に行こうか。もしそれが、私の新たな知識とならざるものであれば、お前の望み通り破壊してやろう。この地球諸共な。
そう、魔物は脳漿をぶちまけ痙攣を続ける、人間だったモノに精神波を送る。それが、戯事である認識は、人間を嘲笑するモノだった。
『さて、宿主よ。共に行こう。新たな大地へ』