15 星を継ぐ者
どれだけ、父親の胸で泣いたのだろうか。一頻り涙を流した恭介は、充血した目を細めながら、父親の胸板を押す。
「くせぇよ。親父……」
それが、精一杯の強がりだという事は誰の目にも明らかだった。しかし、そんな息子の態度に道三は救われる。今にも泣きだしそうだった自分を隠す事ができた。せめて、父親として自分は弱くてはいけないのだ。そんな気持ちが唇を動かす。
「恭介。お前の“γ《ガンマ》”を見せてくれ」
W.STARの説明を受けた時、銀星の呼び名を教えられた。だから、その意味は良く分かる。つまり“銀星を見せてくれ”だ。それに応え、恭介は銀星に呼び掛ける。
「銀星」
そう言葉に発した瞬間、恭介の右腕が最強の鎚を形成する。甲冑の様なディテールに道三は黙って頷いた。そして穏やかの表情で右腕から恭介の顔へと視線を移す。
「銀星という名前を付けたのか」
「ああ」
――北内君。今日からα《アルファ》回収チームのサポーターとして働いてもらう――
――室長。俺の研究はどうなるんです――
――誰かに引き継がせるだけだ。研究員は星の数ほどいる。それに君の担当する人物はこの世界では有名人だ――
――まさか、“銀腕の魔女”ですか――
――ああ、性格に少し難有りだが。委員会の御息女だ。丁重に扱えよ――
――今日から君のサポーターになりました。北内道三です――
――三元瑞穂です。よろしくお願いしますね。道三さん――
――こ、高校生なの君?――
――見て分かんない? ほ?らピッチピチの十六歳――
――何やってんのよ道三。α《アルファ》の反応が出たわ――
――出たって君ね。俺には分からないんだから――
――うるさいわね。私先行くから、ちゃんとサポートするんだからね――
――ちょ、ちょっと――
――飛ぶわよ『銀星』――
「瑞穂と同じだ。瑞穂もこいつを銀星と呼んでいた」
溢れそうになる涙を必死に堪え、道三は母の腕に視線を落とすと、母の右手を摩った。
――おっそいわね。何してたのよ。ほら、さっさとα《アルファ》回収班に連絡――
――いつになったらついてこれんのよ道三――
――な、なかなかやるじゃない。見直したわ――
――これは道三にしか任せられないの。わかる? それだけあなたが優秀ってこと。理解してる?――
――何で、私、戦ってるんだろう……ねぇ。教えてよ道三――
――もし、さ。もし全部のα《アルファ》を回収したら、私普通の女の子に戻るから……そしたらさ……――
――道三。大好き――
――北内瑞穂になりました。これからずっとよろしくね。道三――
――子供ができたの。すごいわね今じゃ、もう性別わかるんだって――
――ふっふ~ん。名前はもう決めてあるの。恭介。どう? 良い名前でしょ――
――スターライトって綺麗なのに、どうしてこんな風になっちゃうのかな――
――β《ベータ》!? 大丈夫よ。だって私は“銀腕の魔女”なんだもの――
――瑞穂? 瑞穂? どこだよ。どこ行ったんだよ瑞穂ぉ!!――
「そして、戦っていたんだ。十一年前、あの日が来るまでは……瑞穂はあの子を……覚えているか? 一緒にキャンプに行ったあの子だ」
道三の問い掛けに恭介は力強く頷く。忘れるはずがない。初恋の相手だ。名前は南条真奈美。あの事件以来行方不明になっている。その両親も引っ越してしまい、連絡は取れない。だから、彼女もきっと……
「瑞穂は、あの子を庇って死んだ。最後まで自分の意志を貫いたんだ。だがな、その子が今も事件に巻き込まれてる。特異なケースとして本部で隔離されているんだ。人間の欲が、今も彼女を苦しめている。だから恭介……彼女を、真奈美ちゃんを助けてくれ」
それが、父親の本音だった。隠す事のない言葉。恭介だから言えた本音。本当ならば自ら乗り込んでいって救出したいに決まっている。自らが妻の意志を引き継ぎたいに決まっている。だが、それができなかった。道三には力がなかった。強大な科学技術の巣窟である本部相手に戦う力が、常識を覆す魔法のような力が。
だから何度、妻の右腕に寄生してくれと頼んだ事か。それでも右腕は反応を見せない。どうして受け入れてもらえない。何故だ! 何度も叫んだ。しかし、それは叶わなかった。できなかったのだ。なぜなら、この右腕にはもう力は残っていないのだから。残っているものは彼女の記憶だけ。それに気がついた時、道三は誰にもこれを渡すものかと奥深くへ隠し込んだ。
だが、恭介にならそれができる。力が残っていない者であっても、吸収される事ならば可能だ。長年の研究から、それは立証済み。そんな中、今回三度目のスターライトが起こった。その瞬間道三は歓喜に震え、我先にとγ《ガンマ》を求めたのだが、それも手にする事が出来なかった。組織で回収されたγは全て本部へ送られ管理される。だから、古くからの付き合いであり瑞穂の事を知る、同じ意志を持った統括・支部長と共に“バカンス”という名の作戦を決行した。γ強奪作戦だ。しかしそれも本部に先手を打たれ、もう猶予はない。残された道はこれしかないのだ。
「瑞穂の意志を継いでくれ……」
震えた父親の声。弱々しくも感じられる。こんなにも小さな父は見た事がない。少し恭介は寂しくなった。屈強な父だと思っていた。底が知れない父だと思っていた。だがそれは、表面だけしか見せていなかったのだろうと今気がつく。気丈に振る舞う事が恭介のためだと思っていたのかもしれない。幼くして母を失った我が子を不安にさせてはいけないと取った行動なのかもしれない。だがもう、そんな事はどうでも良いと恭介は鼻を鳴らした。そして、おもむろに母の腕を銀星で掴む。
(銀星……)
『わかった』
呼応する心。母の腕が形を崩し、今恭介の腕の中へ。
母親の意志を継ぐのに何の躊躇いがあろうか。初恋の相手を救い出すのに何の戸惑いがあろうか。そんなもの微塵もありはしない。だから、恭介は笑う。辛気臭い空気を吹き飛ばすかの様に大声で笑った。
「なぁに言ってんだ親父。そんな大事な事、親父にゃ任せておけねぇからな。俺がやってやる」
そう言って胸をドンと銀星が叩けば、穏やかに拍子を刻む心が高鳴った。熱い血潮が体中を駆け巡る。父の思いが、母の記憶が、それに乗って銀星を、恭介を導く。
「それに、もう継いでる。親父の意志も、お袋の意志も。だって俺は、あんたたちの息子だ。お袋の力ぁ、そいつらに見せてやんぜ!」
恭介が突き出す拳が、チョンと道三の胸板をこつく。衝撃なんて皆無だ。だが、どうしてこんなにも堪えるのだろう。不思議な感情だった。寂しくもあり、悲しくもあり、憎らしくもあり、嬉しかった。こんな時、どの様な顔をすれば良いのだろう。自分の父はいったいどんな顔をしていた? どんな瞳で道三を見ていたのだろう。
――頑張れよ、道三――
笑っていた。精一杯の表情で……だから自分も……
「泣くんじゃねぇよ親父」
必死で作ろうとする笑顔ができない。いつもならば意識せずとも簡単に作れた。でも、今の恭介を前にすると、それができない。代わりに、今まで隠し続けた涙が頬を伝い流れている。
「う、うるさい。泣いてねぇ。ほら行け。さっさと姫を助けて来い」
大きな掌が恭介を追い払うように動くが、それを嬉しそうに笑った恭介はたった一言、言葉を残して玄関先から飛び立った。
「親父は、天の邪鬼だ」
残された道三は、椅子に腰かけその時を待つ。渡すべきものは渡した。自分がやるべき事はこれで、全て成した。あの時からの思いを息子に託せた。だから、それに後悔はない。今回の事で、それぞれの人間に思うべきところはあるが、各々一筋縄でやられる人間ではないだろう。無事でいてくれる事を信じるだけだ。危険に晒されるのは本来であれば自分だけで良かった。そうあるため力を求めて強くなりたかった。だが、気持ちだけではどうにもならないのがこの世界なのだろう。だから、思う事が全て叶ってしまったら、それは目指すための“モノ”が欠如してしまう。根底となる心が抜け落ちてしまうのだ。
全ての生物。いや、全ての存在に心があるとするならば、その大切さを知らない愚かなモノたちは、厳しい生存競争で淘汰され消えゆく運命にある。力は全てではない。強さこそが全てなのだ。それぞれの存在意義に従って求められる強さ。自分に求められている強さ。それが今やっとわかった。
「俺は強くなれたかな……瑞穂」
零れた言葉。だがその言葉を上塗りする様な足音が、リビングに雪崩れ込んで来る。統一された黒装束に自動小銃(MP-5)を構えた部隊が底の分厚いブーツで床を汚す。銃口が狙うは一点。道三の体だ。
「恨みますよ統括。巻き込むのは卑怯だ」
それらに目線を移さず皮肉を零した。
「それは、私の言葉です室長」
黒の部隊を掻き分けて、佐和子がその姿を現す。最後に目にしたスーツではなく今度は黒いスーツ。そして、手にしているのは書類ケースの代わりに、同色の拳銃だった。カチリと撃鉄の起きる音が静まり返った部屋に響く。
「いつから研究員が銃を携帯する時代になったんだ」
いつも通りの口調が飛び出すと、道三の後頭部に佐和子の銃口が当てられる。かすかに震える感触が伝わってきた。
「黙りなさい! 北内道三研究室長。研究資材の独占及び、無断持ち出し、並びに、情報漏洩。ほか三十三点の罪状であなたを拘束します。抵抗すれば、皆が引き金を引きます」
佐和子の声が上ずる。こんな繊細な指に無骨な凶器を握らせたのはいったい誰だ。直接はあの腹黒ボンボンだろう。だが、その大元は自分。だったら、このまま引き金を引かせるわけにはいかない。それに、統括も言っていた。孫娘は巻き込むなと。
「抵抗しない。言い訳もしない」
そう言って道三は両手を頭上に置いた。