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12 星を知る者

「どの面さげて帰ってきやがった? このクソ親父!」

 恭介の罵声が、自宅リビングに響く。だらしないジャージ姿で自分を見返す息子を満面の笑顔で抱きしめると丸太のような腕で締め上げた。その男性の名前は北内道三きたうちどうさんよわい四十七にして、筋骨隆々。恭介よりも少し背の高い黒髪。その長髪が手入れをしていないからか、ボサッと広がりを見せている。そう、この男こそが恭介の父であり、一週間風呂に入っていないと言った、あの男性だった。

「父親にクソはねぇだろう。このバカ息子」

 そう言いながら、さらに腕に力を込めた。「ぎゃぁ」と恭介の口から空気が漏れる。一大学院の研究者が持つ力ではない。研究ばかりに暮れているくせに、どうしてこんな馬鹿力が維持できるんだ。そう呼吸器官の中枢を圧迫されながら恭介は必死でもがいた。数日から数週間の不定期な間隔でしか帰宅しない父親に、残った空気を絞り出す。

「さっさと離せ、クソ親父。臭ぇから、クソなんだ。今度はどれだけ風呂入ってねぇ」

 道三は「二週間」と真実を告げようかと思ったが、それより、そんなに臭いのかと、表情を歪める恭介を開放し、自分の体を嗅いでみる。が、特に臭いとは感じない。いつもの匂いだ。加齢臭という単語が脳裏を過る。しかし、途中でカレー臭へと変換されてしまった。こういった感性もオヤジ臭くなる原因かと自嘲し、過去にも妻から感性の指摘を受けたと、鼻から溜め息を抜く。あの頃から自分はオヤジ臭かったのだ。

「そんなに臭うか?」

 とぼけた表情で首を傾げる道三に、恭介は鼻をつまんで大きく息を吸い込む。

「間違いなく臭ぇ。風呂は沸いてっから、さっさと入って来い」

 そう言いながら、椅子に掛けてあったバスタオルを掴み父親にぶつける。それが床に落ちない間にすくい上げると道三は、それを肩にかけ口を尖らせた。

「まったく、元気な瑞穂みずほにそっくりだ」

「そんな事言ってねぇでさっさと入れ」

 鼻息荒く言い放つ息子を尻目に、豪快に笑った道三はアタッシェケース片手にバスルームへと向かう。

 その姿を見送った恭介は、大きく溜め息をつく。今日の道三はいつもと違う。交わした会話の雰囲気は変わらない。だが行動がおかしい。必要以上のハグだってそうだ。小学生までの記憶を遡ってみたが、そんな事は一度もなかった。しかしそれよりも恭介の中で引っかかる言葉。どうして今更、母親の名を口にするのかと。

 恭介の母。北内瑞穂きたうちみずほは聡明で、腰まで伸ばした赤毛がとても魅力的な女性だった。

 “だった”この言葉が示す様に、瑞穂はすでにこの世にはいない。十一年前のある事故によって命を落としたのだ。それは、恭介が幼い時期の事で、はっきりとした記憶がない。覚えている事といえば、近所同士が集まった夏のキャンプで事故があった。その時、母親と幼馴染が違う世界へ旅立った。といった、おおまかなものだけ。今考えれば、その時からだろう。一緒に参加していた勝昭と今の関係になったのは。そういった様々な原因を孕む過去の事件。それをいくら父親に問いただしても、「あれは、不慮な事故だった」と遠い目をされるだけで、詳細を決して語りはしなかった。そして、道三が例え話をするにしても、決して母親の名は口にしなかったのに……それなのに、どうして今になってその事を口にするのだろう。

 心の底にしまってあった疑問が、再び脈動を開始する。締め付けられた胸の痛みに、恭介はもう一度溜め息をついた。

「何で、今更……」

 複雑な表情を見せる恭介に、今度は銀星が端的な疑問を投げた。

『恭介。君の父は何者だ』

「ああん?」

 どういった質問か理解できない恭介は、眉をひそめる。自分の父親が何者かと聞かれ、どう答えたら良いのか言葉を選びきれない。だが、一般的に捉えればこうだろうと、唇を動かした。

「ただのクソ親父さ。大学の研究かなんかで全然家にも帰ってこないバカ野郎だ」

『専門は? 生物学か?』

 やけに質問をする銀星に多少訝しむものの、恭介はひらひらと手を振る。

「さあな。興味がないからわかんねぇ。……なあ銀星。どうしてそんな事聞くんだ?」

 どうして銀星が道三に興味を持つのか、恭介にはわからなかった。いつもマイペースで、冗談ばかりを振り撒き、人前で本音は一切口にしない。それでも行動は常に本音で間違いはなかった。そこには少し憧れを見ているかもしれないが、それ以外は性格破綻者だと烙印を捺している。

 不潔で、皮肉屋、意地が悪くて、天の邪鬼で、口が悪くて、手が早い。

 と、そこまで考えてみたが、自分の事を棚に上げている事実を思い出し、恭介は自嘲する。ああ、結局似たもの親子なのだと。

 だが、そんな恭介の戯れをよそに、いつも以上に緊張感を孕んだ言葉が紡ぎだされた。

『君の父。彼の持つ鞄の中に、同族を感じる』

 緊張感がリビングを包み込む。銀星の言葉。その意味が良くわかる。今まで、同族の気配を感じ取った時、争い事は避けられなかった。一歩間違えば、命を落としかねない。そんな展開が常に用意されていたのだ。恭介の心で警鐘が鳴る。まさか、父親と争わなければならないのか。そんな思いが掌を汗で湿らせた。

 だが、道三は今風呂に入っている。だったら、鞄から多少なりとも隔離されているかもしれない。今ならば、今の内なら、争うことなく決着をつけられるのではないか。そう恭介の中に浮かんだ瞬間、電話のコールが鳴り響く。ジリリリリンと鳴ったその音は、自宅に備え付けてある電話からではない。と、いうことは、携帯電話の着信音だ。この家で携帯電話を所有するのは父親しかいない。耳を澄ませばバスルームからその音が流れてきている事に気がつく。突然の事に恭介は生唾を飲み込んだ。


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