第1話 第08章 玄幽、赤い傘に想う
――十二月も半ばを過ぎた。
雨がしとしとと降っている。師走の後半の、凍るような冷たい雨。
鈴鳴の町はこれから、地獄のような盆地の冬へ向かって駆け下りていくことになる。
山猫村玄幽は頭の後ろで腕を組み、虚空をじっと見つめていた。
部室には、彼の湯飲みから立ち上る湯気以外、動くものはない。放課後の遅い時間、おまけに雨降りとあって、部室棟は全体が奇妙な静けさに支配されていた。
玄幽は、降って沸いた今回の通り魔騒動に、強く引っかかっていた。
湯飲みの横に置いてある古書――『鈴鳴村怪異録』。
この通り魔事件と、この古書の内容には、奇妙に符合する点と、符合しない点があった。
符合するのは、雨降りの日に、赤い傘の女性が狙われる、という点だ。
しかしそれ以外がまるで合致しない。古書では傘の内側を覗き込まれるだけで、決して切られるようなことはない。そして覗き込んでくるのは、髑髏に毛の生えた化物なのである。
――穿ちすぎだろうか?
しかし、玄幽の中に芽生えた奇妙な胸騒ぎは、一向に収まる気配が無かった。
仮にこれがただの変質者による犯行であったとしても、古書との奇妙な符号点が引っかかる。
それに、犯人の姿を見た者は誰一人としていないのだ。これは「見逃した」のではなく、「見えない」何かが犯人だからではないのか?
元より玄幽は、伝記や伝説の類を鵜呑みにする人間ではない。
彼が現在蒐集している鈴鳴町界隈の伝説や神話にしても、それを明確な史実として捉えるのではなく、その裏に隠された「比喩としての文化」を読み解くためのメッセージとしてのみ、玄幽は読むようにしていた。
鈴鳴町界隈には多くの伝説がある。一つ目の巨人や人を化かす狐、そういったありきたりなものから、もっと特異なものに至るまで。
それらがかつてこの地を徘徊していた――という風に考えてしまっては、少なくとも民俗学的な視点からは間違いであると、玄幽は常々考えてきた。
とはいえ一方で、そういう得体の知れないものが「存在していればいいな」と思う気持ちも、玄幽の中にあるのもまた事実だ。妖怪も化物も幽霊もいない、科学――理論と実践だけが是とされる世界なんて、玄幽は息苦しくてしょうがなかった。
――これは、チャンスなのかもしれない。
玄幽は、相変わらず閑古鳥の鳴き声すら聞こえない、物寂しい部室を見て思った。
この事件と、古書『鈴鳴むら怪異録』の内容を関連付けることが出来れば――もちろんそれが少々のこじつけであったとしても、人々の心に残すインパクトは大きなものになるだろう。何の手がかりも無い事件であるし、マスコミは妙にオカルティックな報道脚色をしているし、何よりこの地味な街に起きた大事件、みんなが注目しているのだ。
――俺がそれをアピールすれば、部に興味を持ってくれる人が出てくるかもしれない。そうすれば、部の存続が可能なくらいの人数、集まるのではないか?
玄幽の目には、一種異様な輝きが宿り始めていた。
すっかり冷めてしまったお茶で喉を湿らせると、玄幽は『鈴鳴村怪異録』のページを繰る。まずはこの中からヒントを探さなければ――。
…………。
生徒会長、山梨香夏子が通り魔に襲われたのは、実にこの日の夜であった。