第1話 第06章 多恵
蔵の扉が閉ざされ、外界からの光は完全に絶たれた。
蝋燭の明かりだけが煌々と蔵の中を照らし、篭や桶などの古道具の数々をぼんやりと浮かび上がらせる。
りく婆の紹介によれば、その美しい女はりく婆の古い友達、ということだったが、それにしては若すぎると、どうも聖は腑に落ちなかった。
それ以外に彼女に関する説明が一切なされないことも、どうにも解せない。
「あの、お名前を聞いてもよろしいですか」
聖がそう尋ねる。
女はなにやら感慨深げに聖を眺めていたが、やがて視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「多恵――ってのが、あたいの名前さ」
瞬間、りく婆の表情に、ある種不可解な動揺の色が浮かんだが、聖にはそれが見えなかった。
「多恵さん――それで多恵さんは、この私にどんなご用事でしょうか」
「うん、それなんだけどね」
多恵は居住まいを正すと、聖を真正面から見据えた。
「いきなりこんなケッタイなとこに呼びつけて、本当に悪いとは思うんだけど、聖ちゃんにどうしても頼みごとがあるのさ。妙な話になるんだけど、ここはひとつ、訳を聞かずに、あたいの話を聞いて欲しいんだ」
そして多恵は話し始めた。
神妙な面持ちで、ぽつりぽつりと、聖に話した。
奥歯にものの挟まったような多恵の、そう長くない話を聞いている内に、段々と聖の表情に困惑の色が表れてきた。
「――つまり、これからこの街で奇妙な事件が起きるだろうから、その事件の情報を集めて欲しい、と。でもその事件がどんなものかは、分からないんですね?」
多恵はほっこりと笑って頷いた。
「そういうことさ。聖ちゃんは頭が良いんだね、あたいの話なんかよりよっぽど分かりやすいよ。どうだい、引き受けてくれるかい」
多恵は眉間に皺を寄せて首をかしげる。
「いえ、あの……漠然とし過ぎて、わけが分からないんですが……」
「こら、聖」
憮然とした表情で多恵に答える聖を、りく婆はたしなめようとするが、多恵はやんわりとりく婆を制した。
「いいんですよ、おりくさん。こんな無体な話、聞かされりゃあ誰だって首を傾げるに決まってるもの。でもね、聖ちゃん、あとほんの幾日かすれば、あたいの話も分かってもらえると思うよ。それに、あたいが今頼れるのは、聖ちゃんしかいないんだ」
この通りだよ、と言って多恵が深々と頭を下げたので、聖は慌てた。
どうして私なのか、なんでこんな蔵の中で話をするのか――様々な疑問は尽きないものの、聖は何故だかこの華美な女に好意のようなものを感じ始めている自分を自覚しつつあった。
――悪い人じゃなさそうだし、きっと私にしか頼めない理由があるんだろう。
聖はそう思った。
「わ、分かりました。私にしかできないんなら、お引き受けいたします。だから顔を上げてください、多恵さん」
多恵はゆるゆると頭を上げると、その白く冷たい手でしっかりと聖の手を取り、何度も何度も礼を言った。
その目が少し潤んでいたので、聖はいよいよ慌ててしまった。
とりあえず聖は、鈴鳴町の事件の情報を集めて、多恵に逐一報告していくということを約束して、その日の話はお開きになった。
…………。
聖が蔵から立ち去ると、りく婆は多恵に向き直って口を開きかけたが、多恵の頬に涙が伝うのを見て、何も言えなくなってしまった。
「いい子だねぇ、聖ちゃんは。見ない間に随分と大きくなった。昔は豆粒みたいにすばしっこく蔵を駆け回っていたのにねぇ。――やっぱり、あの人にそっくりになった」
「……誰だって歳は取りますよ。あたしだってご覧の通りさ」
深く皺の刻まれたりく婆の顔をまじまじと見つめると、多恵はころころと笑った。
「あんたも、子供の時分は随分やんちゃだったね。あたいはあんたが蔵の二階から飛び降りて叱られてたのをよく覚えてるよ。……時間が経つのは早いものさ」
りく婆は蔵の中を見回して懐かしそうに微笑むと、ほうっと息を吐いた。
そしていかにも残念そうな口調で、「今度のこと、あたしがやってやれりゃあいいんだけど……」と言った。
多恵はありがとう、と小さく言うと、蔵の外の雨音に耳を済ませるように目を細めた。
「いいじゃないさ、若いあの子を信じてみようよ。ただ――あの子には、ちょっとばかし辛い思いをさせちまうかも知れないけどね……」
親密な空気の中、蝋燭が静かに燃えていた。
雨は相変わらずしとしと降った。




